「美しい」という感覚、美の真実
皆さん「あの人は美しい」や「これは綺麗だなぁ〜」という感覚、あの正体は何なのかわかる方はいますか?
ほとんどの人は感情の一つだと思ってると思いますが、厳密な話、実際はそうではないのです。
それではどのようにして「綺麗」や「美しい」という感情が生まれてくるのか。今回はその感覚について考察していきます。
感情について
まず皆様、最初に思いつくのは感情の一つなんじゃないかと思う方が多いと思います、
なので「感情」について話していきます。
①二種類の感情
人それぞれ綺麗と思う感情が違う理由を説明するためにまず、感情が生まれつきなものと生まれてから身につくものの二種類が存在する事を理解しなくてはなりません。
感情(かんじょう)とは、ヒトなどの動物がものごとや対象に対して抱く気持ちのこと。喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖などがある Wikipedia参照
②実験
とある実験のお話をしましょう。
生まれてから蛇を一切見たことない蛇という概念すら知らない子供に蛇というものを見せた時、一体子供は恐怖するのでしょうか?
生物が恐怖すると瞳孔が開くのですがこの実験で、子供の瞳孔を調べたところなんと瞳孔が開いたとのこと。
そしてもう一つの実験があります、
子供の前で他の子供や大人が「花、ウサギ、蛇」などを怖がる動画を見せてみます。
その子供に花やウサギを見せたところ怖がるのか?というものがあります。
結果は危険性のない花やウサギを見せても恐怖することがわかりました。
③結果
このように生まれつきDNAなどに刻まれた生存本能によるものと、後天的に身につけるものの感情がある事は分かったと思います。
美しいと思うものも例えばハーフの人が綺麗だと思うのも生命が反映する上で色々なDNAを混ぜ合わせることにより生存競争を勝ち抜けたりする為に生まれたと言えたり、自然を見ると美しく思うのはそう言った物が関係してくるのでしょう。
逆に奇形のものに恐怖を覚えるのはそういった繁栄させるのには不向きなものであるからなんらかの嫌悪感が出てくるものだと思われます。
そしてまた特殊な嫌悪感を美と捉える文化が存在したりするのもあります、例えば廃墟を美しく思ったり、死というものを美しんだりする物があります。
そういったものは生まれつき、先天的ではなく生まれてから学んだもの、後天的に身についた美なのだと思われます。
現代における美とは
現在、世の中における美として定着してしているのは後天的な美がメインでしょう。
これはアートだと1917年に作られたマルセル•デュシャンの泉という作品により、アートの中心になったのではないか?と思われます。(厳密にいうと違うのですが…)
例えばこの下の写真、それに起こる感情を美しい物だと教え込まれたり、それを見た時に良いことがあったとします。
そうすると生物はそこに安心感を生み出し、美しいとなるのです。
それを踏まえてこの絵を見てください。
まぁ美しいわけがないのですがこれを現代アートというのはコンセプトを美しいとし、アートとなっていくのです。
現代美の矛盾と問題
現代の美しさはこういった「自由な発想」のために大きな矛盾や問題を抱え込んでいます。
例えばいきなり知らない人が飛び付いてきたとします。これをその人がアートだと言ったとして本当に美しく、アートと言えるのでしょうか?
飛びつかれた側は恐怖まで覚えてしまいます、これを美だと捉えると殺人なども許してしまうことになるのです。
これは自由を求めた結果のジレンマ的な問題を抱えています。よく「人によって美しいと思う物は違う」という方や「固定観念に囚われてはいけない」と自由な発想をさせるように仕向けられます…
確かに自由な発想は必要ですが今の人々は「固定観念を壊すという固定観念に囚われている」と僕は思います、何事にもルールは存在します、それを守り、その中で自由を見つけることが面白さであり、楽しさであると思います。それが「自由」だと思います。
美の両立
そしてこの問題を解決するには先天的な美と後天的や美を両立させることが必要になるでしょう。
両立させることにより、ある程度のルールと自由度は保つことができると思います。
その為先天的な美の中に後天的な美の必要な部分を含めるようにしていくこと、それが必要になってくると思います。
ですがこれがなかなか難しいことなのでしょう、僕も考えてはいるのですが一部は可能だとは思うのですが全てに適応できるのかはまだ知識不足でわからない点が多すぎるので…
最後に
美しい物が、神秘的な物じゃなくなっている現代何か新しい風が吹けばいいなと思いまとめさせていただきました。
今後色々なことをまとめていくのでよろしくお願いします。
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