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『第3の教育(仮)』3つの弱点

今回は『第3の教育』の弱点についてお話しします。


※「第3の教育(仮)とは何か」についてはこちらをご覧ください


注意!
今回の記事は学校教育/受験指導のステレオタイプを強調してお話しています。全ての学校や学習塾、全ての先生方の取り組みが「そうだ」と、攻撃する意図はございません。あらかじめご了承ください。


前提となる知識はこちら


弱点① 子どもの成長を評価しにくい

認知能力を重視するこれまでの教育


ここでは、第2の教育(学習塾)を例に出します。

学習塾では、生徒の成長を数値化できます。一番分かりやすい例が、テストの得点や偏差値です。

「こんなに点数が伸びたね!すごいね!」と、うっかり結果を褒めてしまいたくなるあれです。

このように、測定可能なチカラ認知能力と呼びます。アタマのチカラと言い換えてもいいかもしれません。



非認知能力を重視する第3の教育(仮)

対して、第3の教育は非認知能力の成長を目指します。

非認知能力とは、意欲、自信、忍耐、自立、自制、協調、共感など、生きていく上では欠かせませんが、数値化が非常に難しい能力のことです。ココロのチカラと言い換えてもいいかもしれません。

能力を数値化しにくいため、成長が評価しにくい。これが大きなデメリットです。

このデメリットのため、学校教育や塾では取り扱いが難しいのも現状です。

ここを意識的にケアできるのが、第3の教育(仮)の良さでもあるのですが…照




弱点② 何を学ぶかは子ども次第

第3の教育(仮)では、子どもがあるモノ/コトに対して興味を持つように仕向けることはできますが、実際に何を学んでいくのか、探究していくのか、最終決定権は子どもたち自身にあります。

そのため、指導者側が何か明確に学ばせたい技術や知識がある場合、第3の教育(仮)は不向きと言えます。

極論、第3の教育(探究)では受験指導はできない。*

これが最大のデメリットです。

進路を実現するための教育は、第1の教育や第2の教育(塾や習い事)に頼るしかありません。

*最近、『探究』を謳った学習塾が増えていますが、『探究』と『探究的な学び』/『生徒の主体的な学び』は大きく異なりますので、ご注意ください。


弱点③ 教育格差の拡大

すこし前置きが長くなります。

外発的動機づけ

たとえば小学校や中学校(ここでは高校も含めて話をしますが)などの義務教育(第1の教育)には、ある種の強制力があります。

朝は8時半に教室にきて、先生の話は座って聞き、教えられた内容を素早く正確に相手に伝える。

子どもたちは先生や保護者に褒められたくて、友達に自慢したくて、もしくは怒られないために、授業やテストをがんばります。

または、いい大学に入ったり、将来の安定を求めたり、自分の将来のために学業に勤しみます。

このように、何か分かりやすい報酬や罰のために頑張るモチベーションのことを、「外発的動機づけ」と言います。

外発的動機づけを使えば、実際の行動につながりやすく、短時間で効果を上げられます。また、 報酬やペナルティ(=自分にとっての損得)が明確なので、行動への意欲が高まりやすいことも大きなメリットです。

つまり、指導者が教え込みたいことを"全員"に指導したり、はやく正確な技能を伝授したりするには抜群の方法であり、戦時中や高度経済成長期の機械的な働き方と非常に相性がよかったのです。

誰一人取り残さず、全員で成長していく。

日本型学校教育が『全人教育』と呼ばれ、世界から評価される所以です。


内発的動機づけ

しかし、第3の教育(仮)では、子どもたちの「内発的動機づけ」を重視します。

「内発的動機づけ」では、なにか行動を起こすとき、理念信念感謝の想いや、シンプルに好きだ!やりたい!という気持ちのみで突き動かされます。

そこに報酬や罰がなくても、です。


本題

第3の教育(仮)は生徒の内発的動機づけに頼るところが大きく、学びの質が子どもたちのやる気と比例します。

第3の教育の存在は、『第3の教育を知らない子』や『知っていても価値を見出せない子』に対しては、かなり不利にはたらきます。

つまり、『意欲のあるご家庭』や『意欲のある子どもたち』だけがどんどん時代にフィットしていくという、これまでとは違う種類の教育格差を引き起こします。


まとめ

内発的動機づけをベースに、非認知能力を伸ばそうとする第3の教育(仮)は、これまでの教育の常識が一切通用しません。

テストもできなければ、指導者が偉そうな話をしたり、何かを教えるということもしません。


では、第3の教育(仮)は何ができるのか。
ぜひこちらも併せてご覧ください。


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