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北海道新聞みなみ風、コラムコーナー”立待岬”掲載コラム。
季刊フリーペーパー@hにて連載。 食旅脳内メモリーズ。
昨年の秋、函館市から夕張郡由仁町に車で何度も荷物を運びながら引越した。田んぼに囲まれた土地に建つ築百年を越える古民家を紹介していただき、住居兼店舗として活用できるよう可能な限りの修繕を自ら施した。函館のお店は閉店し、荷物は片付け、梱包して運んだ。一冬をまるまる越えて、住居を含めた全ての修繕を終え、今月やっとお店は再オープンを果たせた。長い時間と手間を要して、お店ごと旅した。移動販売はよくあるにしても、店舗ごと旅するなんてなかなか無いことかもしれません。函館のお店の内装を友人た
小学生くらいの頃、幾つかの夏に茂辺地の家に友達やいとこたちと泊まった。広くて古い家を自由に駆け回って遊んだ。海や川も近く、庭で遊ぶのも楽しかった。暗い煉瓦造りの蔵も子供心に怖いけど気になる魅力。 今は通る度に、建物のない更地を見て記憶を手繰る。 記憶の風景。 子供の自分。 あの家に住みながらお店ができたらとかつて思ってた。それはお店をする前の話。叶わぬ夢。今はなき家。 今の由仁の家の鍵は沢山の方々の、本当に沢山の方々の小さな小さな、でも着実に導かれたような縁が繋がって、手元に
旅してる時、宿が決まるとホッとした気持ちになったものです。 旅って移動が中心に思うけど、宿やカフェやレストランを見つけて、留まって過ごす時間も旅の大きな要素だったりします。 居場所を見つける。居場所作る。 人はずっとそんなことをして人生を過ごします。動いては留まる。動いては留まる。 その連続。 10代後半から20代にかけて、時間があれば映画館に飛び込みました。丸一日映画館に居ても苦じゃないくらい映画館に居ることが好きでした。 その頃の自分にとって映画館が自分の居場所でした。
2004年、トルコのイスタンブールに長期滞在した。 着いてしばらくの間、料理を学ぶ場を探したり、トルコ語のスクールに通ったり、忙しなかった。 それでも、合間にトラムやバスや街の移動船に乗ったりして、街の魅力的なスポットを巡ったり、街に酔いしれたりした。 数ヶ月が過ぎ、街に友達もでき、いつも訪れる店やスーパーや床屋などができ、バス移動も通勤というような感じになってきた。 三ヶ月も経つと、旅というより生活という景色に変わってくる。 バスから眺めるドルマバフチェ宮殿やエジ
昔々、飛行機は本当は飛んでいなくて、乗った時点で周りのセットが変わってどこか違うところに行った気にさせられてると思ったりしたことがある。 見えるのは飛行機の小窓から見える世界だけ。 そんなことはありえないのだけど、家の窓の外の景色を見ながら、ふと思い出した。 旅したことはその瞬間は体験だけど、旅を終えた瞬間から過去になり、旅は記憶になる。 記憶とは鮮明で、曖昧である。 一度も海外に行ったことがない人が、海の向こうのことを想い、そこに自分が居ることを想像したなら、それも旅である
函館で出会った友人たちが今は世界のあちこちで暮らしている。できたら全員のとこに会いに行きたい。いつかきっと。イタリアの北西、スイスに程近いピエモンテ州の山の中の小さな町に嫁いだ友人の結婚式に呼んでもらいミラノの空港まで飛んだ。バスに揺られアルプス山麓のドモドッソラという街まで。ピエモンテ州の州都トリノより、山岳鉄道でスイスのロカルノがずっと近いという山の町。そこからさらに北上した友人の住む山の中の町トロンターノへ。小さな町だけど、若い人たちも各々の暮らし方を見つけて住んでいる
函館・西部地区の元町にて生まれる。1歳になる前に杉並町に越したので、ほぼ生まれたというだけで西部地区への思い入れはないに等しい。その後の人生で、西部地区から程遠い地を渡り歩き、函館から離れたままの人生が続く。故郷函館は、自分の人生において、十代までを過ごした少年時代に過ぎなかった。 しかし人生は不思議なもので、強く望んだと言うわけでもないが自分の人生の区切りとして一度函館に戻る。30歳。一人の知人すらいない函館ライフが始まる。まずは「はこだてイルミナシオン映画祭」のボランティ
旅先ではやたらと歩く。イスタンブールの街もとにかく歩いた。バスやトラムで移動できる距離でも歩く。 交差点でふと立ち止まって横に見えた路地が気になったら吸い込まれるように路地へ入る。ひっそり路地裏にある素敵な骨董屋に出会うこともあるし、やたら地元の人たちで混んでいるご飯やさんに出会ったりすることもある。 何も無いけど思わず写真に撮りたくなる趣きがある道に出会すこともあるし、暗い路地に差し込む明るい日差しの下を猫が通りかかったり、路地裏で遊ぶ近所の子供たちの賑やかな声が響き渡って
飛行機が離陸する瞬間は日常から解き放たれる格別な瞬間だが、船が港から出発する時もまた、ゆったりとした時を感じながら非日常へ誘われていく味わい深い時だ。 船は函館から津軽海峡へ。 2018年家族四人テント持参で「北東北夏祭り」&「八甲田山・八幡平の山中にある温泉巡り」旅に出かけた。 快晴のフェリーデッキの上で爽やかな風を感じ、晴れやかな心持で旅が始まる。 発祥から数えると300年近い歴史を持つと言われる「弘前ねぷた」を観に弘前に入る。 友人と待ち合わせ、商店街のお店ご
ネパールを初めて訪れた時、ポカラという町で装備なしで行けるトレッキングに行ってみないかとお誘いがあり日帰りで登れる山を登った。 これまで日本で山登りをあえてしようという機会がなかったので、新鮮な気持ちで急な山道を一歩一歩歩んだ。 登った山の遥か高くにそびえる美しく神聖なヒマラヤの山々。 汗をかきながら、きつい坂道を登っていると無心に近い状態になることを覚え、到達した目的地から見えた清らかで美しい世界に心が華やいだ。 数年後再びネパールを訪れた時、もっと高い所へ登りたい
パザールバザールのオンラインショップにて 冷凍カレーの販売をはじめました。 店主のオリジナルグッズなども合わせて ご覧下さい。
旅の思い出と考えた時、やはり思い返されるのは、旅先で食した美味しいご飯やお酒を味わったお店の雰囲気やお店の方との交流であり、そこで過ごした食体験である。 普段の食事体験より、より鮮明に旅先での食体験は記憶に刻み込まれるのは、旅の高揚感、そしてお店に向かうまでの道程、次の予定先までの景色なども含めた一連の流れの中で、より楽しい体験として心に残るからだろうか。 思い返すと、旅先で調理して食した食事の記憶も深く記憶に残っている。 トルコ長期滞在中にトルコ航空のキャンペーンでい
旅が好きで、特に自分の生まれ育った文化とは異なる文化に触れるのが楽しくて、時間や条件が整えば海外へ足を運んだ。 時が経ち、自分がこれまでに行った国々で感じた、味わった文化を日本のここ函館で、自分というフィルターを通したお店という形でアウトプットし始めた。 観光地である函館にはここ数年確実にグローバルな来訪者が増えていた。 日本全土だけでなく恐らく世界規模で、自由に人や物や情報が飛び交う時代に突入していっていたのだと思う。 紙媒体の旅情報だけでなく、インターネットを通じ
アフリカの北西に位置するモロッコは、南にサハラ砂漠、北はジブラルタル海峡を渡ればスペインに辿り着く。 海峡は大西洋、地中海に通じる。 公用語はアラビア語とベルベル語。 かつてフランス保護領だったためフランス語を話す人たちも多いが、北に向かえばスペイン語を話す人が増える。 英語は通じないことが多かった。 人種も文化も入り混じっていて多様。 ベルベル文化にアラブ文化、アフリカ諸国・スペイン・ポルトガルの影響を受け混じり合う。 有名な料理は土鍋を使ったタジン料理。
どうして函館から由仁町に移住・移転されるのですか?と聞かれます。 同じ北海道。 自分たちは広い北海道内を旅するのも全然苦ではなく、むしろ距離を楽しむタイプである。 多少遠くても、魅力的なところならふらりと出かけます。 だから自分たちにとってはそんなに不思議に思わなかった。 でも、函館の人からすると普通に考えると結構距離あるし、車以外では行くのはなかなか簡単ではなく(千歳空港が近いので飛行機なら早いが気軽ではない。)、行くとしたらそんなドライブを楽しめる僕らのようなタ
パザールバザールをこの十年間支えてくださったみなさまへ。 函館の西部地区、末広町の夏蔦絡まるこの小さなお店を 長い期間ご利用いただきありがとうございました。 沢山のイベントなどの出店でも パザールバザールのごはんを食していただきまして、 本当にありがとうございました。 この小さなお店は、 店主である自分と嫁、友人二人の四人で、 時間をかけて、作り上げました。 建てる柱一本、壁に塗る塗料、床や棚の板一枚一枚、 すべてみんなで協議しながら、選び抜き、 すべての材を洗い、磨