旅とゆとり
旅先ではやたらと歩く。イスタンブールの街もとにかく歩いた。バスやトラムで移動できる距離でも歩く。
交差点でふと立ち止まって横に見えた路地が気になったら吸い込まれるように路地へ入る。ひっそり路地裏にある素敵な骨董屋に出会うこともあるし、やたら地元の人たちで混んでいるご飯やさんに出会ったりすることもある。
何も無いけど思わず写真に撮りたくなる趣きがある道に出会すこともあるし、暗い路地に差し込む明るい日差しの下を猫が通りかかったり、路地裏で遊ぶ近所の子供たちの賑やかな声が響き渡っていたり、階段や坂道を通り抜けたら遠くに小さく海が見えたり。それだけで思わずにやりとしてしまう。
旅の最中は、やることに追われるいつもの日常とは異なり、気持ちにゆとりがある。だから、そんな小さな喜びで心は充分満たされる。散歩して、お気に入りの店を見つけて、休んで、また散歩して。それだけで良き一日。美しい夕暮れや月明かりに照らされる街を見れたらさらに心は満たされる。
昨日飛行機や空港のアナウンスの音が懐かしく思い出され脳に流れた。旅に行きたいな。
それはきっと心のゆとりを欲してるのかもしれない。この文章を書きながらイスタンブールの街を懐かしみ思い出で歩む。緩やかな海風と入り組む路地、賑やかなトルコの人たち、夕暮れに照らされるモスクを想う。
いつかまたイスタンブールでゆとりある散歩時間を。
(2020.10.30
北海道新聞みなみ風“立待岬”掲載)