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旅と生活の境目。
2004年、トルコのイスタンブールに長期滞在した。
着いてしばらくの間、料理を学ぶ場を探したり、トルコ語のスクールに通ったり、忙しなかった。
それでも、合間にトラムやバスや街の移動船に乗ったりして、街の魅力的なスポットを巡ったり、街に酔いしれたりした。
数ヶ月が過ぎ、街に友達もでき、いつも訪れる店やスーパーや床屋などができ、バス移動も通勤というような感じになってきた。
三ヶ月も経つと、旅というより生活という景色に変わってくる。
バスから眺めるドルマバフチェ宮殿やエジプシャンバザールやガラタ橋もいつもの景色と目に馴染んでくる。
旅と生活は遠い物ではない。訪れた初めの頃は、トルコのシロップ漬け名物パイ菓子バクラヴァも、驚く甘さを異国の新鮮な感覚と楽しんだ。
旅が生活に変化した頃、バクラヴァをわざわざ食べに友人とカフェを訪れている自分に気づく。
体や脳は、気づかない内にその地に馴染み、染まっていく。
小さなチューリップ型のグラスで飲むトルコ紅茶に入れる角砂糖も、半分が一個に、一個が二個にと、トルコ人のようになっていた。
そんな瞬間、旅は生活になっていると気づく。
よくよく考えたら、今現在自分がいるここもいつか初めて来た所。
旅が生活に変化しただけ。
そう思って、今いるここを見たら、見える景色も変わるかもしれない。
(2021年4月
北海道新聞みなみ風“立待岬”掲載)