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いつも母国語の情報を理解しているかどうか。たぶん、してません。

わたしが人に教えるときでも大前提になる話としてよく言うことなので、今回、急に簡単にざっくりとそれを書きたいと思います。

この話は、学習に限らないので。読めば有用…かもしれません。

 みなさん、本当に日本語で言われたことを百で聞けていますか?

認知の問題(思いこみや偏見で歪む認識)を除いたとしても、みんなわりと日本語で読んだり聞いたりした情報の再現度は高くはなく、言われたことを簡単には復唱できないと思っています。

授業で教わったことを15分毎に振り返って、今どこの、何をどういう説明で教わっているかを文章で書ければ、理解していると言っていいですが、大多数ではないと思います。

雑談であっても、ある程度筋道があるのであれば理解している人は話の流れを再構築できるはずです(できない場合は理解を前提にした対話というよりは、お互い刺激になるようなワードを投げ合って、そこで刺激を受けて思いついたことをさらにお互い思い思いに投げ合う、という形の玉入れ型の雑談ですね、余談)。

理解が必要になる文章には、母国語であっても大体前提があって、文脈があって、そこに意味があります。そこの理解がないと、結局は分かってないので、アウトプット(再現して復唱する)ができません。

英語で言えば英単語も高度なのは覚えられないし、どの外国語学習においても高度なものについては理解が及ばないために頭打ちになり、学習が進まなくなります。

母国語であったとしても理解がないのであれば、雑談や人からのダイアログ(口話)はわかる…と思えるくらいの段階から進めないでしょう。本も中々読めないのではないかと思われます(理解は関係なく我流でたくさん読んでいる場合もありますけど)。

学習で言えば、単語やクイズ形式でしか物事を頭に入れておらず、全体的な俯瞰で見た理解をしていないということです。

ちなみに外国語学習がある程度進んだ人にはよく、完全に理解した文章の音声を何度も聞いて丸暗記して、アウトプットするのが有用だと言われますが、それはこの理解を促しつつ、運用能力を高めることができるからです。

 理解度の話に戻りますが、この前読んだ『日本語のニュアンス練習帳(中村明著)』に面白い文章があったので引用します。

『さわやかに晴れた秋の日、山形県の海沿いに走る国道七号線を車で南下してもいいのですが、運転が長くなると疲れるから、今は羽越本線の特急列車で庄内浜を右に見ながら酒田・鶴岡を経て新潟方面に向かうことにしましょう。』

これは本の序文の最初の文章です。地理的な理解と、国道を走る運転への理解、さらに羽越本線が海沿いを観光するかのように走って通る鉄道だという理解が前提になっています。

これをゼロから理解しようと思うとわりと難しい気がします。これが「わからないかも」と思える人は良いのですが、何となく日本語だから読めて理解した気になるのがまた母国語の厄介なところです。

(「わからないかも」と思える人は、自身の理解度の尺度を持っているから、問題はあまりないという想定です)

ここで最低限理解が必要なのは「さわやかに晴れた秋の日、海を眺めつつ電車で日本を南下することを思い浮かべてみてください」です。

その次が「酒田・鶴岡を経て、新潟方面に向かっている景色」という具体的なイメージが頭に入っていればほぼ完全に理解していると言えます。

再現するとなると、「さわやかな秋、国道?号線を南下すると大変なので、羽越本線に乗って特急で庄内浜、酒田、鶴岡で新潟方面に向かうこととした」で及第点でしょうか。100%の理解となると、ここで挙げられている各地の映像としての景色が、頭に思い浮かべられていないといけませんね。

 理解度はアウトプット中心で考えるべきです。

受動的に、言われたことが何となくわかる、書かれていることが何となくわかった気がする、は理解したことにならないという判断になります。

母国語でも、なんでもたまに復唱して見てください。声に出した方が意味があります。声に出すというのは、アウトプットとしても非常に有効です。ただ頭で浮かべていることとは雲泥の差があり、理解度が体感できるのではないかと思います。

人は、体を動かすために脳がある。なので脳はアウトプット前提の臓器であり、器官です。

だから、何かの情報を会得した際に(学習したときに)、同じ形でアウトプットができないのであれば、既に理解していると思い込んだ情報の質が落ちていると言っても過言ではないでしょう。

 とはいえ、引用した文章はこの後も説明が続きます。中高生向けの文章なので、この文だけで理解できなかったとしても、後を読めば何となくわかるようにしてくれているのです。

理解度、もちろん完全に求めることができれば最高ですが、上述のように、どこまで理解しているかを判断する軸さえあれば、わりとどこかで低かったりしてもサポートされていたりして何とかなります。

ただ、母国語でも理解度にはかなり上下があることは認識しておいて損はないですよ、という話でした。

このぱこぐまちゃんは耳の段階か、理解の段階で問題

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