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はふはふと餡まで熱いまる餅よ

季語:餅(冬)

はふはふとあんまであついまるもちよ

幼少時の餅つき会

祖父母が達者だったころ、わたしがまだ小学校にあがるまえくらいだろうか。年の暮れは親族が祖父母宅に集まり餅つきをするのが恒例だった。祖父は心臓が悪く、見物に徹していた。その他の大人の男の人(父や伯父)が交代で杵を振るう。ひとつき毎に杵の餅を移動させるのは祖母の仕事だ。すばやく手に水をつけ、餅がくっつかないようにしつつ、満遍なくもち米が潰れてゆくように位置を変え、時には大きくひっくりかえす。

重たい杵が振り下ろされるまでのわずかな時間に、巧みにもちを移動させるのは見ているだけでハラハラする。早く均等に餅をつくには、返し手の技量が大切なのだ。わたしが生まれる前、母が子供のころから何十年もやってきたのだろう。手際よく祖母は餅を転がしてゆく。

つきあがったら、母や伯母たちの出番だ。大きな餅の塊をちぎり、適当な大きさに丸めてゆく。「のし板」という大きなお盆のような板に、餅どおしあるいは餅と板がくっつかないように片栗粉をふり混ぜながら並べてゆく。形も悪く、もたもたした手つきながらわたしも餅を丸める。

伯母たちが丸めると形もよく、大きさも揃っているのに、わたしの丸めた餅は小さかったり、大きかったり、どことなく不恰好なものばかりだ。たかが餅されど餅。うまくやろうと時間をかけると温度が下がり、思うような形にならなくなってくる。不本意な出来は諦めて次こそはとつきあがりを待つ。

シンプルな丸餅以外にも豆が混ざった豆餅(なんの豆だろう?黒豆?)や真ん中に餡玉をいれた餡子餅もつくる。餡子餅は適当な大きさに餅を平たくし、真ん中に餡玉を置く。そして素早く包み継ぎ目もわからないようにきれいに形を整えるという高度な技量が求められる。どうしてもはみだしたり、形が崩れたりで納得のいくものはできなかった。

最後に鏡餅用の大きな餅を集まった家族分仕上げる。賑やかで楽しい年末の恒例行事だった。正直伯父伯母は苦手だったが、このときだけはひとつの目的に向かって協力できる、それも楽しみのひとつだったのかもしれない。

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餅つき機を使う家族での餅つき

祖父が亡くなると自然と年末の餅つきもなくなってしまった。杵と臼で突くのはさすがに無理なので、我が家では餅つき機という家電製品が活躍していた。

兄の家の分と実家の分。小規模な餅つき会だが、年末恒例の行事であった。餅つき機が突き上げた餅をちぎっては丸めてゆく。子供の頃は戦力外だったわたしもそれなりに役に立つようになっていた。甥っ子たちは粘る、熱い餅に苦戦してうまく形を作れない。きっと幼い頃のわたしと同じだろう。

それも母が体調を崩し始めるとやらなくなってしまった。もうここ数年はホームセンターでプラスチック製の鏡餅を買っている。中には小さな切り餅がいくつか入っていた。

地域で異なる餅文化

今、餅といってもっとも有名なのはサトウの切り餅ではないだろうか。四角い切り餅が個包装されて販売されている。今年の餅もサトウの切り餅であった。餅のかたちは大雑把にいえば西日本は丸餅、東日本は切り餅である。サトウは丸餅も販売しているようだが、圧倒的に切り餅をよくみかける。

東北の方だと餅をなまこ形につくって、切り分けるというスタイルもある。バケットを切っていくのと似ている。

餅の形や豆餅に使われる豆の種類。そんな伝統文化はどこへやら。きっとスーパーで買う切り餅が全国標準になっていくような気がする。

はふはふと餡まで熱いまる餅よ

餡子の入った丸餅をオーブントースターで焼く。わたしは大の猫舌だが、早く食べないと餅は硬くなり風味も落ちてしまう。餅を掴む手も熱い熱いと持て余しながら、一口ごとにはふはふと口の中で温度を調整しつつ、食らいつく。上品さのかけらもないが、童心に帰ってのんびりと丸い餡子餅と格闘するのが、わたしの正月だった。

市販の切り餅を2度ほどあべかわ餅で食べた。自家製の餅との違いは、形に以外に食感にもあらわれる。市販の餅はよく伸びるし、よく粘る。美味しくないわけではない。ただ、あの餡子餅が懐かしくなっただけだ。少しばかり形の悪い、噛むほどに甘みを感じるまる餅が恋しくなっただけだ。

お付き合いありがとうございました。9日に餅の話を書いているからといって、まだ正月気分なわけではないですよ。ちょっとスキ・フォロー・コメントがいただければなぁ…と思っているだけです。お年玉替わりに❗️

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ウールーズ(heureuse)
本質的に内向的で自分勝手なわたしですが、世の中には奇人もいるものだなぁーと面白がってもらえると、ちょっとうれしい。 お布施(サポート)遠慮しません。必ずや明日への活力につなげてみせます!