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我が家のまぼろし秘伝レシピ

大学進学で家を出たわたしにとって、家族との思い出のほとんどが18歳までのものだ。その後はたまの帰省、進路を巡っての反抗に親子ゲンカ。挙句、夢破れて心身を病んでの出戻り。その後はうつ病で引きこもりとあまりいい記憶がない。

そんなわたしでも、母の料理は大好きだった。「最近は料理も手抜きばかりで、忘れてしまったよ」と言いながらも、温かな夕食は傷心のわたしには染み入るような美味だった。何か食べたいものはあるかと聞かれ、考えた末にひとつ思い出した。

「そうだ、お母さん。あれが食べたい。キャベツを煮込んだ料理で名前はわからないけど。

料理の特徴をあげて、何とか思い出してもらおうとした。でも結局、母は思い出せなかった。カンタンな料理なのでレシピとして控えることもなかったのだろう。こうしてわたしの思い出の料理のひとつは、まぼろしの料理と化してしまった

研究熱心で器用な母の思い出

母は料理にかぎらず研究熱心な人だ。かなり本格的な織物機を使い、布地からデザインした唯一無二のオリジナルジャケットを父にプレゼントするような人だ。

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短期間で終わった趣味まであげれば、それこそ切りがない。そのなかでもっとも情熱を注ぎ、創意工夫の限りを尽くしたものが料理である。

雑誌のスクラップや人に聞いた料理を几帳面に整理し、秘蔵のレシピブックを作っていた。外食で珍しい料理を食べることがあれば、何度も試作しオリジナルそっくりのものを作り上げ、レシピブックに加えてしまうほどだった。

中学、高校時代、わがやに遊びにきた友人は、母の振る舞う料理のめずらしさと美味しさに一人残らず驚嘆し、最大限の賛美を贈った。これといって人に誇れるものを持っていない自分にとって、母の料理は友人に誇れる最上のものだった。

ひとり暮らしで家庭の味を懐かしむ

進学で上京するまでのわたしの食生活は、それはそれは充実していた。だから、なるべくひとり暮らしを始めてからも自炊を心がけた

そのまずいことまずいこと。一応初心者向けの料理本どおりに作ってはいるはず。でも何が悪いのか、かろうじて料理というレベルの出来栄えだった。もちろん、料理に不慣れなことが最大の原因だ。しかし、無意識に母の料理と比べていたのだろう。あれには、どうしてもかなわない。

お弁当のおむすびでさえ、圧倒的に母の方が美味しかった。塩味で海苔を巻いただけなのに。年季の差なのか、愛情の差なのか。そもそもわたしに料理センスが欠如しているのかもしれない。それでも、母の味を目標にして、できるだけ自炊は続けた。

波乱万丈のひとり暮らし後期

親の希望する大学に入学したものの、どうしても馴染めなかった。一番の原因はその学科に興味がないこと、そしてその学科で進級、卒業するための必修科目に大事な技術、センスが自分に欠けていたことだ。

考えてみれば、小学校の授業のときから逃げまくっていたその科目が必要な学科を、どうして受験してしまったのだろう。親の希望だから?もちろんそれが大きい。でもNoといえなかった自分が悪い

中退してほかの大学に行きたい。後出しで親にケンカを売る結果になった。始めての本格的反抗期。進学前に相談していれば丸く収まったかといえば、それはどうかわからない。でも、ここまでこじれることもなかっただろう。

本筋から逸れるので、その後の詳細は割愛させていただく。あらましだけ述べさせていただく。大学中退。就職し貯金。希望大学へ編入学し卒業。でも夢を追うには回り道が過ぎた。また本気で夢を目指し続けるなら、大学院への進学も必須だが、そこまでの資金もない。とりあえず副業、趣味的に勉強を続けながら就職する道を選んだが、世の中そんなに優しいところばかりでない。心身ともに壊れてわたしは、傷心の思いだけを荷物に実家に戻った

当たり前だけど両親も年を取る

子供のころ、お母さんは生まれたときからお母さん、お父さんは生まれた時からお父さんって思ったことはないだろうか。

誰もが最初から大人だったわけでも、老人だったわけではない。いろいろな経験を積み重ねながら年をとっていくのだ。わたしが、実家から遠く離れた場所でひとり相撲をしていた間も、両親には多大な心配をかけた。そして両親には両親で別の苦労も生活もあった。

少女だったわたしが可憐さのひとかけらも残さず帰郷したように、迎えてくれた両親にも昔のハツラツさは失われていた。母は慢性の間質性肺炎を患って自力で買い物に行くのも難しいありさまだった。

母の著しい体力の衰え、活動力の低下は、何もかも母に頼り切っていた父にも衝撃だった。正直、銀行の手続きひとつ一人ではできない人だ。

これはどうすればいいんだ、と役所や銀行などの手続きを母に聞く。肺炎なので息も切れ切れながら、懸命に説明しようとする。でも、その言葉は聞き取りづらく、なかなか伝わらなかったり、勝手に勘違いしたりで父が癇癪を起こす。他人が怒鳴られても恐怖心を感じずにいられないわたしは、この父の癇癪に耐えられず引きこもりがちになった。

そんな崩壊寸前の家庭でも、唯一穏やかな時間が訪れる瞬間があった。病を押して母が準備してくれた食事の時間である。子供のころに比べれば、凝った料理は減った。冷凍食品やレトルト食材の活用も増えた。それでも、母が用意してくれる食事は、魔法のように心を穏やかにしてくれた。

近づきつつある母の限界

月日を追うごとに母の容体は悪くなる。やがて間違いなく訪れる介護体制のために、転居することになった。むしろ転居は負担になるのではと、わたしは反対したが、独断専行の父は止まらなかった。

父は、わたしの実家といえる家のほかに、祖父母から譲り受けた家をもう1件所持していた。いわば父の実家である。そちらに転居することにしたのだ。

大変な引っ越し作業のあと、母はついに家の中を家具づたいに歩くのがやっとの状態になってしまった。父は俺が責任を取ると昼食と夕食の係を買って出た。自動的に私が朝食係になった。

実は、わたしは利き手の人差し指が動かない。他の指の動きもあやしい。従って包丁の取り扱いに不安がある。これが父が昼食、夕食を買ってでた理由のひとつである。この他にも転居直後から、息切れ、動悸、歩行時のふらつきといった症状も続いていた。これでは父が食事当番をするしかない。

数年ぶりの料理チャレンジ

そんな中、母が熱を出した。結果はただの風邪で大事に至ることはなかった。しかし、実は風邪っぽい症状はわたしも感じていた。

父はレトルト食品中心、調理済み惣菜中心ではあったが初めての食事の支度に奔走していた。誰も贅沢は言わない。言わないが、わたしは栄養バランスの偏りが気になっていた。夏場はうどん、素麺、レトルトハンバーグのローテーションが続いた。今は素麺が抜けて、カレーライスやチャーハンもメニューに加わるようになったが。どうしても炭水化物主役になる。

野菜といえばトマトときゅうりを切ったものに、塩をかけたものしか出てこない。カレーライスにもチャーハンにも多少の野菜は入っている。でも、両方とも主役はコメである。

父は満腹になるか、そうじゃないかでしか料理の判断をしない。基本的に食に興味がないのだ。父にとっては仕度だけでも精一杯だろう。栄養バランス云々を急に要求するのは無茶すぎる。

わたしがやるしかない、と思った。

冷蔵庫をみて、材料をチェック。腐ったもの、賞味期限が過ぎたものも多かった。生産者の方に胸のうちで詫びながら、処分する。

そして、今日と明日の食事はわたしがつくる、と宣言した。

指が動かなくなって数年ぶりの包丁だが、細かいことや長時間の作業でなければ何とかなる。初日は自分の料理のリハビリも兼ねて野菜のコンソメスープを作った。ちょっとしょっぱい。それでも両親は文句言わずに食べてくれた。

これはおでんとかのっぺい汁かとか散々な言われようだったが。(コンソメスープで、どこにも和風の要素はないのに!)

まぼろしの秘伝レシピに挑戦

2日目。本気モードでいく。指が動くうちは結構自炊もしたんだ。母の味を思い出しながら、いろいろ工夫してきたんだ。できる、できる。自分を鼓舞して料理に取り掛かる

でも、記憶だけをあてにせずにネットで検索してみた。

どうやらキャベツと◯◯のミルクスープという名前らしい。◯◯の部分はレシピによってベーコンだったり、きのこだったり、とキャベツに合わせる材料で変わっていた。

名前は違っても、作り方は基本的に同じ。キャベツなど食材を水で煮る。煮えたら顆粒スープ、牛乳をいれる。最後に塩胡椒で味を整える。いくつかのサイトをチェックしたが、ほぼ同じ手順だった。

たぶん、この通りにやれば失敗しない。でも、母から繰り返し聞いた料理のポイントとネットのレシピには大きな違いがあった

母は言っていた。水はいれない。野菜の水分と牛乳だけで作ると

まだ指が動いたころに、この料理も再現を試みたことがある。キャベツと牛乳だけで煮込み始めると、焦げ付きやすい。牛乳が沸騰すると表面に膜が張る。これは見た目と食感を悪くする。要は温度管理とじわじわキャベツから水分を染み出させて焦げ付かないようにすることだ。

言うのはカンタンだけど、意外に根気がいる。そこでもうひとつ水分の多い野菜を加えた。トマトである。

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焦げ付かないように温度が上がり過ぎないように、鍋とにらめっこ。材料の正しい量も実は把握していない。従って、牛乳も何cc入れるのかわからない。鍋の様子を見ながら少しずつ調整してゆく。

ネット情報も参考にさせてもらった。ベーコンやきのことの組み合わせ例があったので、両方とも投入する。何しろ賞味期限が近いのだ。もちろん、それだけでない、いろいろ入れることで、スープの味も良くなるだろう。もちろん、栄養価もアップするはず。全て煮えたところで、とろけるチーズをプラスする。これも母直伝のオリジナルだ。

こうして、レシピの考案者はすっかり忘れているが、ネットの知恵を借りつつ、私の記憶、そして思い出せる限りの母のアドバイスを合わせたスープが出来上がった。

大鍋で作りはじめてよかった。3人家族なのに倍くらいの分量ができあがった。自分ではまずまずの出来栄えと思った。あとは、両親の口に合うことを祈るだけだ。

まぼろしの秘伝レシピ蘇る?

味と両親の反応が気になって写真どころでなかったので、食べかけ写真でご勘弁を。なるべく見栄えのマシなところを持ってきたつもり。でもインスタ映えはしなそう。

1回目

でもね。最高の勲章をいただきました。

永遠の料理の師匠である母からの「おいしい」のひとこと。食に無頓着な父もうまいと言ってくれた。

結局、母はこの料理については何も思い出してくれなかった。だから、本当の「我が家の秘伝レシピ」ではないかもしれない。

でもね、お母さんのアドバイスを覚えていたから作れたんだよ。

だから、図々しいけど名乗らせてもらおう。これが「我が家の秘伝レシピ」だと。

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