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モラハラ育ちが人生リベンジ!筋トレ&マラソンで親の呪いをぶっ壊す話⑦最終回
ついにこのシリーズも最終回。
長かったようで、あっという間の7回。まるでロング走のラスト1km。足はガクガク、息はゼェゼェだけど、「ここまで来たんだから、もう1km走るしかない!」っていうあの感じ。
今日は、これまでの振り返りと、最終的にわたしが見つけた「我慢ってなに?」について話そうと思います。
「私はこんなに我慢してるんだから、お前も少しは我慢しろ」
前回の記事でも書いた、この言葉、わたしの心の奥にガッチリ居座ってました。
「こんなに耐えてるのに、なぜあの人は自由にしてるの?」
「わたしだって頑張ってるのに、どうして報われないの?」
「なんでわたしばっかり…」
まるで呪いのように、この思考が頭の中をぐるぐるしていました。でも、冷静に考えてみたんです。
そもそも、「我慢」って何?
誰かに強制されてるわけでもないのに、どうして「我慢している」という感覚が生まれるのか。
わたしの場合、それは幼少期の家庭環境にありました。
モラハラが当たり前の家で育ち、親の顔色をうかがいながら生きてきた。何かをしたら怒られる、期待に応えないとダメな子だと思われる。
だから、「自分の気持ちよりも他人を優先する」ことが染み付いていたんです。
「我慢」が美徳だと思い込んでいた。でも、それって本当に美徳?
ダイエットと筋トレが教えてくれたこと
この思い込みを解消するのにはとても長い年月がかかりました。
最初はただのダイエット目的だった筋トレを通じて、汗をかいて、筋肉痛に悶えながら気づいたんです。
「誰かのためにやってるんじゃなくて、自分のためにやってる」
これ長年、生きてきてはじめての感情でした。
筋トレやジョギングを通じて、心の奥底にこびりついた「我慢」の正体が、ふと見えました。
結局、わたしは自分を犠牲にすることで「見返り」を求めてたんですよね。
「こんなに頑張ってるんだから、報われるべき」
「こんなに耐えてるんだから、感謝されるべき」
…いやいや、そんなのおかしい!
筋トレとジョギングは「努力に対して自分で結果を出すもの」なのに!
自分でやる。
自分で変わる。
人に認めてもらうためじゃなくて、「自分が納得できるかどうか」が必要だったんだって気付いてからは、わたし自身がかなり成長、変わったと思います。
変な思い込みと、さよならする方法
どうやったら「変な思い込み」から解放されたのか。
わたしが見つけた答えは、「身体を動かすこと」でした。
一番、苦手だと思っていたこと、決して今でも得意ではないことでです。
それまでは、頭の中でいくら考えても、結局同じループにはまるだけ。思い込みの沼にはまって抜け出せなかったんです。
だから、筋トレする。ジョギングする。
身体を使って、思考をリセットする。
トレーニングしてる間に「わたし自身のために」って気持ちになれるんです。
だから、わたしは走り続ける
このシリーズを書きながら、いろんなことを思い出しました。
辛かったことも、笑えないことも、今ならちょっと笑えることも。
でも、一つだけ言えるのは、わたしは確実に成長し、前に進んでるってこと。
あの頃の「我慢」はもう、いらない。
これからは、わたしのため生きる。
ダイエットも、筋トレも、ジョギングも、全部「わたしがわたしを大切にするためのもの」にしていく。
最終回だけど、終わりじゃない。
これからも、わたしは走り続けます。