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素敵なシネカフェで知った日本映画の共通点

JR埼京線の十条駅北口にシネカフェソトというお店がありました。
不二家のケーキ屋さん(ペコちゃん)の横にあるビルの薄暗い階段を降りるとそこは別世界です。
階段の壁や入口には映画やお芝居のポスターが貼ってあります。
入口の大きめの扉を開けると35mm映写機が目に入ってきます。
中に入っていくと、お洒落で粋でシャイなマスターが大きなカウンターの中で静かに出迎えてくれます。
カウンターは、元東京駅内「東京ステーションホテル」のバーから譲り受けたものだとマスターが少し誇らしげにおっしゃっていました。

定期的な映画上映会はもちろんのこと、上映がない日でもふらっと一杯やりに寄ったものです(映画フィルムは借りるのに結構お金がかかるようで、最後の方は音楽ライブや落語の会の開催が多くなっていました)

そんな素敵な空間を提供するシネカフェソトですが、2年ほど前に駅前の再開発でロータリーのまわりにある建物が取り壊しとなってしまい、現在は残念ながらありません。
マスター(柳澤さん)お元気でしょうか。


このお店で定期的に「シネトークin十条~晋也と俊雄の映画塾」という映画を観ながらのトークショーが開催されていました。

晋也さんは“カントク”の愛称でお馴染みの山本晋也監督
俊雄さんはNHK元アナウンサーで衛星映画劇場三代目支配人
です。

映画愛溢れるお二人の知識と雑学を交えながらの絶妙な掛け合いトークを映像を観ながら聞くのが楽しみでした。

そんなトークショーの中で印象に残っている内容を今回ご紹介します。
間違っているところもあるかもしれませんが予めご容赦ください。


日本の映画史の転換期に公開された映画には共通点があるという話

■日本初の映画
1898年に「化け地獄」「死人の蘇生」という短編、1899年に「芸者の手踊り」が公開される(商業用として歌舞伎座で公開)

■日本初の本格トーキー映画

「マダムと女房」
1931年(昭和6年) 五所平之助監督

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劇作家の新作は家族とともに新居に引っ越してくる
仕事がはかどらない新作が、パーティーを開いている隣家に
音がうるさいと乗り込むが、そこにいたマダムに酒をすすめられ・・・
上機嫌で帰宅すると妻絹代に𠮟りつけられ絹代は・・・


■戦後初の正月映画

「東京五人男」
1946年1月3日公開 斎藤寅次郎

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終戦で軍需工場から帰ってきた5人の男
東京の焼け野原の貧乏長屋ではいつまでも
帰ってこない男たちの葬式がおこなわれており・・・
無事に家に帰った5人が必死に生きていこうとするが・・・


まずはこの映画を終戦(1945年8月)から4か月で作ったということにびっくり。
日本人ってたくましいな~と思う。
実際の東京の焼け野原が映画の冒頭に映し出される。
戦後の生活ぶり、配給の様子などもリアル。

配給品の横流しなどで私腹を肥やしている輩もいるが、そんな状況でも人々は強く生きていく。
お笑いあり、人情あり、歌あり、特撮ありの映画である。
名前は聞いたことがあったが、どんな人かわからなかった横山エンタツ、花菱アチャコ、古川緑波もこの映画で初めて知ることができた。
古川緑波が子供とドラム缶風呂で歌うシーン、エンタツ・アチャコの掛け合いなど、当時のお笑いの大御所たちの演技が見られるもの楽しい

また、この映画では、あのゴジラやウルトラマンの生みの親である円谷英二が特撮を担当している
台風で川が氾濫し家が流されるシーンなど圧巻であり見どころでもある

いろいろな楽しみ方のできる映画だ


■日本初のカラー映画

「カルメン故郷に帰る」
1951年3月 木下恵介監督

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ストリッパーのリリィが故郷へ錦を飾りに帰ってくるが
故郷の人たちは刺激が強すぎて戸惑いが隠せない
そんな中、リリィは・・・
高峰秀子が綺麗で可愛い!


今回紹介した「日本初のトーキー」「戦後最初の映画」「日本初のカラー映画」は
厳しかったり辛かったりする環境でも主人公(たち)が楽しく生きていて、馬鹿なこともやるが人情を大切にしている
どんな映画かと言えば暖かみのあるコメディ映画である

世界の映画を観たときに、例えば、その国初の〇〇映画というと、文学作品のようなシリアスな内容が多いようだ

映画史の転換期において、日本がこのような人情と笑いをテーマにした映画を作ってきたことを嬉しく感じる
寅さんがずっと国民に愛されてきたのも日本人が大切にしてきたものがそこにあるからだろう


コロナ禍で1年以上が経ち、現在、東京は3回目の緊急事態宣言の中ではあるが、明けない夜はない
この状況を、今回紹介させていただいた映画のように、人情と笑いの心を持って、みんなで乗り切っていきたいと思う


チャップリンの名言
人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ


お粗末様でした
映画好きのハーブおじさんでした
(今日はハーブの話なしです)


なぜ急に映画の話を記事にしたかというと、ぐるぐるさんの映画の記事をみて何か楽しく、昔を振り返ってみたくなったからです
ぐるぐるさん
ありがとうございました
私もまた「眼には眼を」を観てみたいと思いました




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