最近読んだ本 2021年5月
・「ラクガキ・マスター」(寄藤文平)
デザイナー・イラストレーターの寄藤文平によるユーモアに溢れたラクガキの指南書だ。
「広葉樹は傘のかたまり」とか「川は溝」「山はシワ」など、言葉で書くと何をいっているのだ、という感じだと思うが、図で示されると説得力が凄まじい。つまりそのようにイメージで置き換えることによって木や川、山といった対象を「それらしく」描くことができるようになるのだ。
実際上手く描けるようになるのかはわからないが、読むだけで絵が上手くなった気がしてしまう! シンプルな線で描かれたラクガキにも、上手い下手がある…。上手な絵と下手な絵の違いをこんな風に一目でわかるように、しかもユーモラスに示されると、もうお手上げだ。
「ものを見て、それらしく描く」ということの本質に迫っている恐ろしい本だと思う。
・「私のイラストレーション史」(南伸坊)
漫画雑誌「ガロ」編集者として様々なイラストレーターと関わった南伸坊による自伝エッセイ。
帯には「あの頃、イラストレーションという言葉には魔法がかかっていた。」とある。
この本を読むと、1960年から1980年にかけて、イラスレーションという言葉は特別な意味合いを持っていたことがわかる。当時出てきた新しい絵を、和田誠が「イラストレーション」と名付けたというのは初耳だった。
私が言いたかったのは、和田さん(たち)がイラストレーションとかイラストレーターという言葉の使用にこめた意味は、当時ももちろんあった「挿絵」とか「挿絵画家」とは違う表現をしはじめたジャンルに、新たな名称を与えて、その違いをあきらかにしたかったということじゃないかということでした。
(中略)
つまり、横尾忠則、宇野亞喜良、山下勇三、粟津潔、灘本唯人、山口ひろみ、長新太、和田誠。といった人々の絵がイラストレーションなのであり、その人たちがイラストレーターなのだということです。
(中略)
もう少し経つと「イラストレーション」と日本語で言う人は、テレビのことを「テレビジョン」と言う人みたいになってしまうだろうが、一九六〇~一九八〇年くらいまで、イラストレーションというコトバは輝いていた。
この本に書かれているのは、筆者と当時時代の最前線にいた表現者たちとの交流である。筆者の視点から語られるイラストレーション史は、当然のこと客観的記述からは遠いが、これこそが歴史だ、という気がした。歴史とは語られるものであり、歴史を語る資格のある人間は、その時代を懸命に生きた人なのだと。
自分もいつか、この時代を面白く語れるだろうか。
・「ねじ式」(つげ義春)
先程紹介した「私のイラストレーション史」には、つげ義春が「ねじ式」を発表した時の衝撃について書かれていた。それでふと、つげ義春が読みたくなり、本棚に一冊だけあったこの本を手に取った。
連休で、浮世の煩わしさから離れて読めたのがよかった。休日に一人で窓からの光を背に、その物悲しい世界にとっぷりと浸った。
この本は代表作「ねじ式」を含む短編集。どれもよかったが特に好きだった作品は、「チーコ」「噂の武士」「オンドル小屋」「ゲンセンカン主人」「長八の宿」「ある無名作家」。