
1月28日
日記と白鯨読み(上 156-184)
プロジェクトの切れ目の隙間のタイミングに少し気分を変えようと午後休みをとって一人でどこかに行くことにした。こういうときに休みをとるのは余り抵抗なくできるけど、どこに行くか決めてそうしているわけではない。同僚にどこか思いつくかきいてみたら、土浦という自分では思いつきようのない地名を言われて、じゃあそこに、とすぐに決めた。電車に乗って2時間くらいかけて土浦の駅に着いてから霞ヶ浦の周りを日が沈む前まで歩いていた。湖沿いの見渡しをほぼ埋めているレンコン畑の横にたまにレンコンが山盛りに打ち捨てられていて、アニエス・ヴァルダの『落穂拾い』のことを思い出した。レンコンが大量にそこからこぼれ落ちるところの規格というものがこの世界にある。あてはまるもの→収穫とこぼれ落ちたもの→拾い、フランスには収穫後の作物は拾っていいという何世紀か前につくられた法律があり、それはまだ反故にされていないと語る学者が登場する。法を蝶番にしてこぼれ落ちたものが生を支えるインフラになる。会社に半休の制度がなければ、ここで書いているようなことは起こらなかった。自分がどこかからこぼれ落ちているかはわからない。
歩き疲れたら焼き鳥屋に入って瓶ビールを頼んで、特に何も説明もされずおかあさんがお任せで焼いて出す串を食べていた。常連ぽい方たちは皆んな手土産をもってきていた。おかあさんの雰囲気なんだと思うけど、客が自分なりにビシッとしようとしているのがわかる。余程腹が減っているように見えていたのか俺の皿にだけものすごいハイペースで串が出されていた。
店を出てから暗くなった港町沿いの土手から対岸の明かりをぼけっと眺めながら歩いていたらポツポツ雨が降りはじめて、駅の方に折り返した。
帰りの電車では白鯨を読んでいた。語り手からみたところの異教徒でありどこか高潔さのあるクイークェグと心を交わすところ。すぐにクイークェグのことが好きになった。
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