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アンソロジー『翻訳文学紀行 V』

 翻訳物が好きなんだよ。
 異文化交流が大好きなんだよ。

 本当だよ。
 そういう人だっているんだよ。普通に。

(文字数:約2600文字)



翻訳文学紀行さんと書籍情報

  文学フリマの大阪会場では、
  お金なくなっちゃったから、
  後日大阪は本町近辺の、
  toi booksさんで買ったよ。

これまでに5冊出されているんだが最も装丁がシックで私好み。


  『翻訳文学紀行 V』
    発行所     ことばのたび社
    発行日     2023年9月10日
    A6版 227ページ

  世界各国の小説を、
  各国語専門家の中でも有志が翻訳している。

『バレンズィ』(タンザニア:スワヒリ語)

  E・ケジラハビの小説。

  大変に興味があるスワヒリ語とアフリカ文化。
  もちろん翻訳だから日本語で読むんだが。

  タンザニアはアフリカ大陸を、
  マダガスカル島の対岸から、
  ちょっと北あたり。

  公用語だからスワヒリ語で書かれているが、
  登場人物達はその地域特有の言語、
  ケレウェ語で話しているらしい。

  ズィカンボナ(なぜ埋葬しなくてはならないのか)と、
  ニョコニョコ(ちくしょうめ)の老夫婦。
  時折訪ねに来る女性、
  バントゥムウェ(ちょっとあんたたち)、
  といった、

  各人の口癖や行動から、
  名付けられた愛称が定着して、
  本名など忘れ去られる感覚が、
  すでに趣き深い。

  タイトルのバレンズィ(皆に愛される人)も、
  老夫婦の女性の方が、
  花嫁としてその村に来た時に、
  あまりの美しさから付けられた愛称だ。

  とある土曜の一日を基準として、
  時折老夫婦の回想が差し込まれる。

  それぞれの愛称が付けられた経緯や、
  心を根こそぎ引き抜いてしまうような悲しみ。
  老夫婦の男性側が鳴らすエナンガは、
  バナナ酒を美味くしてくれるという。

  エナンガも聴いた事がなく、
  バナナ酒も飲んだ事はないが、
  それでも味わいが感じ取れる。

『文天祥詩選』(中国)

  文天祥。

  大日本帝国時代には、
  「忠臣の鑑」として、
  小学校の国語読本に取り上げられるような、
  人物だったそうだが。

  南宋時代の中国の人だぞ?

  「忠臣の鑑」といったところで、
  その君主はもちろん、
  自分たちの国の君主ではないばかりか、

  自分たちが当時(人によって異論はあるだろうが)
  侵略している土地の歴史上の君主なんだが?

  大日本帝国民の末裔ではあるが、
  当時の教育者たちの思考はさっぱり分からん。

  もちろん本書においても、
  時の政府に都合よく祀り上げられた姿ではなく、

  一人の人間の叫びと言ってもいい、
  獄中の苦難や、
  家族を蹂躙された悲しみを、
  書き遺した部分を訳出している。

  ってか三年の投獄の後に処刑されてんだよ。

  時の政府もまずは、
  人としての懊悩を読み取った上で、
  悼めよ。

  

『ロンボ』(イタリア:ドイツ語)

  イタリアのフリウリ地方を舞台にした、
  エスター・キンスキーの作品。

  地形の正確な説明から入る、
  かっちり硬質な文章で、
  初読時は大変読みにくく感じたが、

  再読、熟読するにつれて、
  面白みが増してくる。

  我々にとっても遠い感覚ではない。
  むしろ我々の方が密接と言っていい。
  ヨーロッパにおいてはこの地域特有の、
  地質起源の過酷な現象とされているが。

  タイトルの「ロンボ」は、
  「地震の発生をほんのわずかだけ、
   先んじて知らせる地中の響き」を意味する。

  1976年に起きた、
  フリウリ大地震を記録する小説だ。
  読み込む度に一行ごとに、
  ゾクゾクゾクゾクしてくる。

  5月にしてはやたらと暑い一日や、
  それなのに融け残っている山頂の雪。

  火がついたように泣き出すカワラヒワ。
  水辺を離れてさ迷い出る黒いヘビ。
  やたらと汗をかく草に、
  誰もが無性にイライラし出す感じ。

  運よく家を離れたり、
  ちょうど脱出しやすい場所にいた子供たちが、

  大人になった、
  と言うには充分に老けてから、
  当時の詳細を思い出す。
  まだはっきり覚えていると語る。

  本書で訳されたのは、
  小説全体の十分の一くらいらしいが、
  全てを訳出して、
  もっと広く読まれてもいいんじゃないかな。

  

『私はバリケードを築いていた』(ポーランド)

  ワルシャワ蜂起。

  世界史の教科書で、
  用語くらいは見たような……で、
  私も含めて大抵の人には、
  終わっているだろう話を、

  当時病院で、
  負傷者の看護に当たっていた筆者、
  アンナ・シヴィルシュチンスカが、
  30年越しに記録した詩集。

  四の五の言わずに読むに限る。

それぞれの身体は要塞で、
口と目で閉ざされていた。
その中では生と死が、
生死を賭けて決闘していた。

あちらこちらには
勇気と希望の宝石が散らばっていた。
病院は
値の付けられない宝の宝庫だった。

『病院』(一部)

  こんなの現実にその場にいた人にしか書けないから。

  ここには書き写さないけど、
  臭いや熱や痛みまでもが克明に記されている。

  あともう一編。

最初に闘いを命じたものたち
彼らにいま私たちの死体を数えさせよ。

彼らに通りを通り抜けさせよ
もう存在しない通りを
街を通り抜けさせよ
もう存在しない街を
何週間も何ヶ月もかけて彼らに数えさせよ
死ぬまで彼らに数えさせよ
私たちの死体を。

『彼らに死体を数えさせよ』

  黙るしかないだろ。


『ベター・ライフ』(チェコ)

  ミハエラ・クレヴィソヴァーの、
  ノワール小説。

  チェコでは1989年以降に、
  ようやく書かれるようになった、
  と言うより、

  共産主義政権下では、
  書く事が出来なかったジャンル、
  とのこと。

  犯罪が絡む、とは言いながら、
  この作品の読後感は、
  絶妙に微笑ましい。

  終盤近くまで読者にも、
  ごくささやかなものではあるが、
  謎が残されているのが実に良い。

  読者も主人公と大体同じタイミングで、
  「そうだったのか!」と思える。

  良かったね。
  なんか良かったね。
  依然手放しで喜べはしない状況だろうけども、
  それは良い事だったんだよ。


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

  

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