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『太平記』読書記録3分の2の中

 3分の2の・中・


湊川の戦い
  
新田義貞軍と足利尊氏・直義兄弟軍の戦い。
  新田義貞は薄金、鬼切、鬼丸といった、
  源氏重代の武具で武装。(きっと武具好きは狂喜乱舞。)
  なんだけども敗れて丹波に逃げました。
  後醍醐天皇も今度はたくさんの供奉連れて比叡山へ。

  またも上洛した尊氏、
  東寺を皇居にして光厳院を皇統にする。
  ⚠️実はここをもって南北朝です。
   (ただしまだ先、という説もある。)
   今までただ二皇統あっただけなんです。⚠️

実は呪われていた日本国
  
日本開闢時の逸話。
  
まず六欲天(四王天、刀利天、夜魔天、兜率天、化楽天、
  他化自在天)ってのがあって、

  その第六天、だから他化自在天の魔王、いわゆる天魔が、
  国を呪ったんだってさ。
  なんか、天照「仏教には従わないよ(垂跡するだけ)
  って方便なんだけど誓ってくれたから。
  「天照の子孫を国の主にせよ。もし違へば
   十万八千の眷属が罰して命を奪うぞ」

  命を奪われた例として挙げられた、
  藤原千方(ふじわらのちかた)と、
  紀朝雄(きのともお)の戦いが、
  スペクタクルなんだがコイツら他の史記に存在しない。

高師重の比叡山攻め
  
新田義貞と弟義助は守る側で膠着状態。
  熊野八庄司足利側の味方に着いた。
  山に慣れてるのに田舎人だって地の文から侮ってる。

  一方比叡山では八王子権現が憑いた童がしゃべり出す。
  「国守る気でいたのに、主上も栄誉ばっか願って、
   衆徒も放埒で、仏法忘れてるじゃん。
   そりゃ助からないよ。尊氏も長くはないと思うけど、
   師重この山焼くとか言ってるから、明日追っ払うよ」
  みんなどうやって? と思ってたら、
  猿がめっちゃやって来て鐘鳴らしまくって、
  戦と思った両陣混乱。高師重首取られる。

  よっしゃと新田軍京攻めるけど2回失敗。
  軍がずっと流通路ふさいでるから民飢える。

  比叡山と興福寺のやり取りとかある。
  「助けに来いや」「分かった」とか言って興福寺、
  尊氏から庄園もらったので来なかった。

京都合戦
  
東寺破られた時尊氏何してたかって読経してた。
  
御所作りの太刀(刀の中心に菊花章入れた)を賜った、
  土岐頼直とか側近の高師直とかがめっちゃ戦う。

  新田義貞「一騎討ちしようや」って言ってきて、
  尊氏「悦ぶ所也」って返すけど上杉重能に止められる。

  比叡山6月から9月まで天皇に公家達養って、
  もう財産もご飯もない。飢えが限界に来て武家に協力。

ろくな奴がいないよ
  
新田義貞は良い奴だと思う。
  似たような嘘で敵方から2回も騙されてる。

  後醍醐天皇は尊氏から騙されてる。
  「新田さえ亡せばいいの。忠誠誓うから京戻って」
  って言われて義貞にも知らせず本気で還幸。
  (延元元年十月十日だそうです。)

  義貞もちろん激怒だけど、
  「いやもう兵も民も疲れてるし、ここは一旦和睦して。
   東宮を北陸に送るから義貞守ってあげて♪
   (京に残したら尊氏が義貞狙うの知ってるから)」
  とか言われて従う義貞は本当に良い奴が過ぎる(涙)

  一方で後醍醐天皇も足利直義から、
  三種の神器請われるも予め作らせといたニセモノ渡す。

  だけども足利も天皇を花山院に閉じ込めるし、
  公卿も解雇して、
  なんでかミサゴ射た弓の名手の本間さんまで斬首。
  
単純な不満を言うがもったいねぇんだよ。

ごだいご行動力は並外れ
  もちろん手引きする人はいるにしても、
  女房姿で馬乗って三種の神器も持って脱出。
  賀名生(梅林見に行ったとこ)を経て吉野に到着。
    ↑吉野朝成立をもって南北朝とするのが一般的。
     そして三種の神器を保持していた、
     南朝側を正統とする説も根強い。

  楠正行とか色んな味方来たけど、
  高野山と対立してた根来衆は来なかった。

  ※ここで対立話。かくばん上人のエピソードすごい。

ところで北陸が気の毒過ぎるよ
  
後醍醐天皇も閉じ込めたし、
  自分達は光厳上皇立ててるしって事で、
  尊氏勝手に「義貞一類追罰」の天皇令出す。

  天皇令出されたら諸国の武家って、
  無視するわけにいかんらしくて、
  追われた新田義助に、新田義顕(義貞の嫡男)、
  13歳の義治(よしはる、義助の嫡男)だけ隠して、
  東宮と新田義貞が居る金崎城へ。

  なんか知らんけど皆で楽奏するひと時とかある。

  元々足利軍にいた瓜生家が、
  託された新田義治を大将にして挙兵。
  味方する勢力も現れて、
  足利高経が守っていた善光寺城落とす。

  次は高師泰軍に攻められる金崎城を助けに向かうも、
  雪が深い時節で両軍難儀。
  新田義治だけは逃がせたけど瓜生家は全滅。

  金崎城内はいよいよごはんなくなってきた。
  馬殺して食い出した辺りで、
  新田義貞と義助はこっそり逃げる。
  (とにかく外から兵に物資持って来ない事には)

  いよいよ食事無くなって、
  力も出ないから、
  死体の肉切り取って食っては戦ってる。
  (飯は、食わせろぉっっ!!💢💢全俺が泣いたぞ💢💢)

  東宮だけは舟に乗せて逃がしたけれども、
  新田義顕と尊良親王は自刃。
  親王「死に方が分からないので教えておくれ」って。

  尊良親王を夢窓疎石が弔った事と、
  親王の若き日の御息所との恋物語が、
  えらいこと長い上にスペクタクル。
  まずは絵の中の美女に恋をしたところから始まってね。
  御息所が竜神に捧げられたりするよ。

お前は何者だ玄慧法印登場
  
後醍醐天皇に仕えたという北小路玄慧法印に、
  足利尊氏が色々と質問する、ってか
  「比叡山どうしよ。ぶっちゃけ無くても良いよね?」
  って言われて玄慧内心激怒だったけど、
  ここは弁舌の使いどころだと気を取り直し解説。

  尊氏に武家一門はそれですっかり感心して玄慧を重用。
  ってだから貴方が誰なのさ。
  (※弟子含めて『太平記』の筆者だという説があるんだ)

北朝(京・将軍方)はもう怖いもの無いって感じ
  
光厳上皇は太上天皇になり、
  光明天皇が即位しました。

  足利尊氏と直義は、兄弟揃って将軍に。

  そんな中に新田義貞と義助兄弟が、
  足利高経が守っていた越前府を落とした。

  金崎城から逃がされた東宮は、
  舟が着いた先で捕らえられて京に送られ、
  「新田義貞と弟の義助は切腹した」と嘘を報告したため、
  尊氏から鴆毒を盛られて亡くなった。

  長男飢えた末自刃するし、
  次男と正妻は病死して三男斬首されるし、
  東宮と東宮の弟宮も共に毒殺されるし、
  後醍醐天皇方も相当に気の毒。

敵の敵は味方
  
生きていたのか北条高時の次男、
  北条時行が吉野朝に恩免を求めて叶えられ、
  足利義詮(よしのり)11歳が管領になっていた、
  鎌倉を攻める。

  新田義貞の次男義興に、
  奥州の北畠家も加わって、鎌倉並びに武蔵府落ちる。

  次は京を目指す南朝軍を、
  関東の兵を集めた足利義詮軍が追いかける。

越前も京も戦場だ
  
美濃の垂井やら青野ヶ原やら、
  黒地川では背水の陣の逸話やら。
  将軍方には桃井兄弟がいて大活躍したりして、
  北畠顕家は阿倍野で討死。
  弟の顕信と新田義興が河内の八幡山にこもる。

  
足利高経がいる足羽城に挑んで、
  新田義貞軍は3回負ける。
  
越後軍が合流してくれたけど、
  「八幡山飢えてるよ。助けたって」って、
  後醍醐天皇直筆の手紙が届いた。

  仕方ないので児島高徳を向かわせて、
  義貞・義助は越前に残ってたら、
  手紙のやり取りが将軍方に知れて、
  高師直、八幡山に火を放つ。

  新田義興軍は河内に逃げたけど、
  これ義貞が足羽城攻めやすくなっただけじゃん。

  ※地獄に落ちた結城入道を地蔵が救うエピソード

新田義貞大蛇と化して死す
  
足羽城へ攻める前日に、
  「大蛇になって足利高経を怖れさせる夢見たよ」
  きっと瑞兆だって家臣達に話してたけど、
  よくよく聞いたら大蛇は「地面に伏してた」らしくて、
  斉藤入道は縁起の悪さを感じている。

  義貞の馬は水練栗毛。
  大将自ら戦いに赴きそれは勇猛だったんだけど、
  倒れた馬の下敷きになって逃げられず自ら首を切る。

  「大将自ら戦いに行くな。周囲の兵達も犬死だ」って、
  地の文が(戦い振りは讃えつつも)かなり辛辣。

全てがこれで終わりはしない
  
1336年(延元元年)8月16日
  義良(のりよし)親王を天子として、
  後醍醐天皇崩御。

  皆吉野を去ろうとするのを吉水法印止める。

  10月3日 義良親王、12歳にして即位。
  ⚠️後村上天皇、といった呼称は生前には存在しない。
   だけどここでは誰がどれかややこしくなるからさ⚠️
 
  翌10月には大嘗祭が執り行われた。内容の詳細。
  ※京ではないため簡易的、とは言え、
   執り行った事実に正統性があるという説あり。

  北畠親房が政務、
  洞院實世と藤原隆資が執務。
  四十九日を待って新田義助に足利攻めを命じ、

  新田軍、女子も三才児も残さず城を落としまくる。

色々メモ書き
  時勢装……じせいそう、いまようすがた、ばさら
      流行りを追い掛け贅を尽くした様

  3月3日 曲水宴
  9月9日 重陽の宴
  正月7日 白馬(あらうま)の節会
         ……天皇が白馬を御覧になる
  正月16日 蹈歌の節会……少年童女の歌舞

  小鷹狩……秋行う。ウズラ、ヒバリ等を獲る。
  大鷹狩……冬行う。獲物はより大型。

  流罪3種
    近流……越前、安芸
    中流……伊予、信濃、周防
    遠流……佐渡、安房、伊豆、土佐、常陸

  三明の学路
    宿命明……過去
    天眼明……未来
    漏尽明……現在

北朝いよいよもって怖いもの知らず
  
足利家はもちろんとして、
  側近の高家、上杉家が公家や皇室の御領も奪う。

  佐々木道誉の家来達が妙法院の紅葉折って、
  注意されても聞かないから追い出したら、
  道誉、妙法院に火を掛ける。

  
建仁寺も焼けて尊氏は側近だしかばうんだけど、
  非難が激しくて上総流罪。
  その後佐々木一族様々な理由で亡くなる。

  高師直は言わば部下である塩冶判官高貞の、
  妻への横恋慕が募って
  (美人の形容が多岐に渡っていて勉強になるぞ)、
  吉田兼好にラブレターの代筆頼む。
   → 注釈によると有り得なくもないらしい。

  風呂まで覗き見る。
   → 何でか『八犬伝』にまで挿絵付きで再録。
     覗き見た師直のワナワナ震えてる描写がリアル。
  
  濡れ衣着せて判官だけ殺そうとしたのに、
  一族皆で逃げる過程で妻子に胎児までもが、
  辱しめを受けさせぬために殺されて、
  判官も自害。
   → このイメージが歌舞伎版の忠臣蔵に。

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