鈴木健「個人(individual)という幻想」人は自分の意志で行動したつもりでも・・・。だから成田さんの言葉に共感したのかも。
「何が良いことで何が悪いことなのか、わからないような状態に耐えることこそが生きることなのではないか」
本を読んだり、動画を見たりして複雑で変化の速い世界を俯瞰する努力?をし、「気づき」から生まれる表現をとりあえず書いてみるということをやっていると、いつも思うのは、そのことに関しての別の見方があり、考え方があるということ。
しかも、自分自身が今書いたばかりの事柄にすぐ疑問を感じてしまうことも多々ある。
人間が「世界」を理解しているつもりでいても、全くそんなこともなく、最近の研究だと、自分の行動に対しての理由付けは、その行動の後に行われているものであるとのこと。
何か一つの社会問題を「良い」と「悪い」の二元論で考えても全く意味がない。
そもそも日々の生活の中で、人が知り得る情報や認知できる範囲などほんのわずか。
いや、ここまで複雑な社会を、何か解っていると思うことのほうが幻想だと学ぶほどに思う。
人それぞれ関心のある社会問題は異なり、日々変化する。
今の選挙の方法では、人々の考えを反映することは出来ない。
分人民主主義という考え方は、とても理解できる。
「何が良いことで何が悪いことなのか、わからないような状態に耐えることこそが生きることなのではないか」
という成田悠輔さんの言葉は、日々矛盾を感じている私に響いた。
分人民主主義というシステムを技術の進化で取り入れられたら、少しは生きやすい社会になるのだろうか。