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舞台「オデッサ」体験録 〜言葉、ことば、コトバ!〜 【~ふわふわへんくつ・へんげきじんばんがいへん~】

【本文は読了までに10分かかります。ご参考までに】
アメリカ、テキサス州オデッサ。
1999年、一人の日本人旅行客がある殺人事件の容疑で勾留される。
彼は一切英語を話すことが出来なかった。
捜査にあたった警察官は日系人だったが日本語が話せなかった。
語学留学中の日本人青年が通訳として派遣されて来る。 取り調べが始まった。
登場人物は三人。 言語は二つ。 真実は一つ。
密室で繰り広げられる男と女と通訳の会話バトル。(イントロダクションより一部抜粋)

 今年1月、東京公演を皮切りに上演され、本日大千穐楽を迎えた舞台「オデッサ」。かつて劇団東京サンシャインボーイズを主宰(現在、充電期間中)し、ジャンルを問わず数々の作品を世に出し続けている脚本家・三谷幸喜が約3年半ぶりに手掛けた新作だ。
 公演の詳細が発表されたとき、私の選択肢は一つしかなかった。


「行く。とにかく行く。何がなんでも行く。」


※※※※※
【※!筆者注!:以下、※が5つ続くところ(※※※※※)までは読み飛ばして差し支えありません】
 そもそも私が舞台に興味を持ったのは、三谷幸喜の作品に感銘を受けたからに他ならない。
 キッカケは1999年に放送されたテレビドラマ「古畑任三郎」3期だった。当時小学生だった私はあまりの面白さに魅了され、こんな面白いものを書いているのは誰なんだと初めてエンドクレジットをガン見し「脚本 三谷幸喜」の文字列を脳内に叩き込む。それからは近所のレンタルビデオ店で「やっぱり猫が好き」や「古畑任三郎」シリーズを借りまくり、エッセイ集「オンリー・ミー: 私だけを」や雑誌のインタビューを読んだり、TVに出ているのを見ては「なんだこのおじさま」と一瞬冷静になったり、大河ドラマ「新選組!」では伝説の回「友の死」を台所のテレビで見ながら号泣し、折悪しく裏番組だった「24時間テレビ」を逆恨みして「地球には愛で救えない命もあるんだよ!!!!!」と情緒を乱されるなどした。
 そんなこんなで気づけば四半世紀、私にとって三谷幸喜の作品は好みのものもあればまあまあのもあり、しかしながらそこに通底するスタンスには共感し続けているファンである。特に2022年放送の「鎌倉殿の13人」に至っては、関連書籍やBlu-ray BOXを買い漁り、同年12月に鎌倉市で開催された最終回のパブリックビューイングにも足を運び、あのラストシーンを大画面から浴びて「この後どんな顔して登壇してくる出演者を迎えたらええねん……」と茫然としたのも記憶に新しい。(以上、私の三谷作品遍歴ダイジェスト終わり)
※※※※※

 私は長年「三谷幸喜が作・演出を務める新作舞台を、いちばん最初に上演される劇場で見る」という夢を叶えられずにいた。些細な何かしらがチャンスを掴ませてくれない年月。漠然とした夢を抱きながら、気づけば四半世紀が経っていた頃、「オデッサ」の詳細は忽然と発表されたのである。

 結論から言えば3回観劇した。
 東京で1回、宮城で2回。我ながら飛ばしたなー、としみじみする。何かにつけて自分に言い訳をして、やりたいことを有耶無耶にする自分としては、相当思い切った体験だったと言っていい。そのどれもが刺激的な日々だった。
 体験談は後に譲るが、当然、公演そのものも非常に満足度が高かった。ひたすら笑わされながら、登場人物たちのバックボーンに思いを馳せ、予想の斜め上をいく展開に驚かされる。丹念に構築されたシナリオと、実験的な要素も加わった演出。まさしく「エンターテイメント」の妙味にどっぷり浸かった。

 東京芸術劇場プレイハウスに足を踏み入れ、舞台を見た瞬間を忘れられない。
 深夜、寂れたダイナーの片隅。僭越にも「あ、プロの仕事だ」と思った。10メートルは先にある舞台から、建物の空気感がスッと身体に入ってくる感じ。物語の世界観を雄弁に、かつさりげなく伝えてくる奥ゆかしさ。幕が開くまでの間、舞台美術や客入れの曲にどうしようもなく虜になりながら携帯の電源を落とした。場内アナウンスは、三谷幸喜本人がコミカルさも交えながら「途中休憩はございません」「携帯の電源を落としてください」という版もあり、観客を楽しませながら大事なアナウンスをする姿勢も抜かりない。

 本編についての感想等はすでに数多の先人が記しているので、私は今回のキーパーソンである児島(迫田孝也)について考えてみたい。
 彼は3日前に発生した老人が殺害された事件の犯人でこそないものの、オデッサ警察が右往左往していた連続殺人事件の真犯人であり、しかもネイティブレベルで英語を話せることも秘匿していた人物だ。なんなら、老人の件も元をただせば児島が町を放浪していたことが遠因なので、全ての元凶と言ってもいいほどである。設定だけみれば背負わされたものが多過ぎるくらいだが、そんな過積載さを緩急巧みに運転しきった演者の地力に感服するばかりだ。
 児島は「英語を話せない」「連続殺人の罪が明るみになりかけている」という己の設定上、老人殺人事件の捜査にあたったカチンスキー警部(宮澤エマ)と日高(柿澤勇人)の対話を丹念に理解し、都度ふたりを「児島は老人殺人事件の犯人だ」と誘導しなければならなかった。老人を殺した罪を被ることで、連続殺人の罪から逃れられるばかりか、確固たるアリバイを得られるからだ。しかしながら、その目論見は日高の想定以上の鋭さと、同郷出身というだけで親身になるほどの優しさで崩れ去っていく。
 劇中、児島は何度も、日本語を解さないカチンスキーが見ても分かるほど大袈裟に「俺は老人を殺した」と訴える。老人を殺害した架空の状況を全身でジェスチャーしたり、日高の思考を混乱させるような言動を幾度も行う。ありもしない「児島がオデッサの景色を見て創作したポエム」のくだりが分かりやすいだろうか。並の人間なら匙を投げる児島のトスを、とにかく頑張って打ち返してしまう日高。追い詰められた人間が火事場の馬鹿力で乗り切るシチュエーションの可笑しみという、三谷作品でよく見られるコミカルな展開は、この作品でも大盤振る舞いされている。

 日高の健闘もあり、児島の「老人殺しの罪」は冤罪と判明する。しかし本題はここからで、元警察官だった児島は事件捜査に不慣れなカチンスキーに銃の扱いを教えたあと、安堵のためか英語が分かると示唆する発言をしてしまう。それに気づいた日高とカチンスキーにより、「連続殺人の罪」が明るみになってしまった児島は豹変。イギリスで生まれ、鹿児島に移り住み、東京で暮らした過去でひたすら「言葉」や差別に苦しめられた過去を語る。「あなたの過去はどうでもいい。なぜ連続殺人の被害者は命を落とさなければならなかったのか」と問うカチンスキーに「黙秘する。調べろ」と冷徹に告げる児島の心は、ミスで警察官の身分を失ったその日から、幼少の頃より苦しんだ日々に退行していたのかもしれない。メタな指摘をすれば、そこを深掘りしても冗長になるだろうし、実験的な要素も強い本作では今回の上演時間(1時間45分)が丁度よかったように思うから、その点は潔い切り方だと感じた。

 さて、児島が日本語と英語の両方を理解していた以上、彼は日高とカチンスキーの会話をすべて理解していたことになる。しかも先に述べた通り、己の思惑上、カチンスキーに老人殺しのかどで逮捕される必要があった。そのために過度なジェスチャーや言動を繰り返しては日高に妨害され続けたわけだが、意図的に状況を悪くし続けるという意味で、迫田孝也の出世作のひとつでもある「酒と涙とジキルとハイド」のプール役を彷彿とさせる。
 あたふたする他の登場人物たちを俯瞰で見ながら、なにかひと悶着起きるように仕向ける男。プールのそれは「面白そうだから」だったが、児島は明確に悪意で「事態を好転させようとする人物」を妨害し、自らの利を狙う悪として描かれていた。その最後はなんとも情けなかったが、そのアイロニーがハマるのも演者に当て書きする三谷脚本と、それに応えた演者のマリアージュだったろう。

 1990年代末期、迷走する半生のなかで単身オデッサに渡り、自分なりに苦悩する若者を演じた柿澤勇人の熱量が印象的だった。日本語のみならず、英語と鹿児島弁を操る役どころで、パンフレットで日々満身創痍だったと証言されていたのも頷ける。カチンスキーに己の苦悩を語る直前、何かを呑み込むように硬い表情を見せた後、笑顔を作った演技を前から3列目で見られたのは僥倖だった。
 宮澤エマはドラマ「緊急取調室」にゲスト出演した回が印象的で、そこから意識的に見始めた役者である。「鎌倉殿の13人」では源実朝(奇しくも柿澤勇人)の乳母である実衣を演じていた。今回は出自を乗り越え、遺失物係ながらも警部までのし上がったシングルマザーを好演。経歴だけなら硬そうな人物像に、愛嬌とコミカルさがナチュラルに共存していた。
 音楽を舞台で生演奏し、少しだけ出演した荻野清子の楽曲も、開幕直後から世紀末のアメリカの片田舎に観客を誘っていた。そして公演直前までシークレット扱いされていたナレーションの横田栄司、もう私「横田さんがナレーションだってよ」って知ったときどんだけ嬉しかったと思ってんだよ。その事実だけで「鎌倉殿〜」ファンとしては泣いたね。いやホントに。


 以下、各公演で個人的に体験したことの備忘録である。公演の内容とは何ひとつ関係ないので、読みたい方は読んでください。
 ご覧のとおり、この歳になってもギリギリで生きています。

・1月26日(金)ソワレ観劇
 池袋で格安ホテルの「シングルの部屋」を予約したところ、ひと部屋に2段ベッドが2つあるうえ、仕切りがカーテンしかない部屋で驚愕。キャリーケースを預ける部屋も施錠されておらず大混乱するも、とにかく無事にチェックアウトに漕ぎつけた。
 なお、部屋の仕様がそんなんだったため、ドラマ「不適切にもほどがある!」初回を余裕で見逃す。

・2月24日(土)マチネ・ソワレ観劇
 駅ビルで昼食後、徒歩でも余裕で間に合うだろうと思っていたら、意外に会場が見つからず、ちょくちょく赤になる信号を前に「三谷幸喜さんごめんなさい……前から3列目なのにこんなんでほんとごめんなさい……最悪腹を切って詫びます……」くらいまで追い込まれる。
 結果、開演2分前に着席して携帯電話の電源を切るまで間に合わせる。

 何事も終わってしまえば思い出になりますが、流石に反省すべき点はしなきゃいけないなと思いました。
 とりあえず今後、使える公共交通はバンバン使っていこうと思います。
(文中敬称略)
(文責:安藤奈津美)

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