呼ぶ声はいつだって悲しみに変わるだけ〜「片目で立体視の星間飛行」観劇録③〜
【本文は読み終わるまでに約4分かかります。また、短編作品のうち一作品にのみ触れており、次の演目については後日記載させていただきます。予めご了承ください。】
――銀河系最大の“テラドンキ“に立ち寄った僕が、七色に光るゲーミング奴隷と逃避行すること。
(パンフレットより抜粋)
本作が4つの短編によることは先に触れた。全体の構成という視点からみたとき、今回の「ドン・キホーテの星」は、序破急でいうところの「破」だな、と思うなどした。比較的淡々とした演目が続いた流れでサーブされる爆音、照明、そして躍動する2名の役者。宇宙空間にたゆたっていた身体がいい感じにビックリする。
役者ふたりのバランスが良い。
主人公を演じた甲地清一郎の、淀みない身体と発声の勢い。宇宙空間を漂い、テラドンキの地下からゲーミング奴隷を連れ去り、設置されたコロガシの前でピタリと止まる。それでいて、佇まいの何処かから不器用な雰囲気が漂っている。もちろん技巧の不足を指摘しているわけではなく、「不器用な人の雰囲気」を彼が纏っていたということである。そしてそれは、最後に主人公が迎える結末の侘しさに繋がっている気すらしてくる。
もう一人の黒田世理子も実に達者だ。ゲーミング奴隷をはじめとして、天使や老婆やペンギンなどを何役も兼ねていた。しかもそれらを的確に演じながら、自らの技能を見せつけるような優越感を感じさせない。この際なのでぶっちゃけると、私は演じている役どころよりも「ほら、私上手いよね!?」みたいな自意識が透けて見える役者がラッキョウと同じくらい嫌い(※)なのだが、彼女は巧者でありながら、役を舞台に顕現させることに専念していたように映った。実に良い。
本作もまた煙に巻かれたような幕引きだが、ただ一つハッキリしているのは、彼は所望していた特殊なデンタルフロスをちゃんと買い、テラドンキを後にしたということ。つまり恙無く目的を達成していたのだ。それなのにこの虚しさはなんだろう。目まぐるしいサイクルの大量生産と大量消費の最中に出くわした非日常と、その末に手にした日常の象徴。老婆の言う通り、糸切れ一つが彼を出張へ連れ戻したわけである。
そういえば、ディスカウントストアの店名の元ネタであるドン・キホーテは、従者とともに挑戦した無謀な突撃のシーンがよく知られている。主人公の逃避行も、無謀な挑戦だったのだろうか。それとも、消費者の時空を縦横無尽に変えるテラドンキの陳列棚をほんの少しでも変えたのだろうか。
脚本を読み返していたら「薄利多売のユーモアが印刷されたTシャツの森!」という台詞がすごく好きになった。ええやん。
※ 私がラッキョウをどれくらい嫌いかどうしても気になる方は、個別に聞きにいらしてください。先日、オオカミ大の謎の生き物が闊歩していたド田舎でお待ちしております。
(第3章へ続く)
(文中敬称略)
(所属団体等は省略させていただきました。ご了承ください)
(文責:安藤奈津美)
(くどいようですが 続 き ま す )