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対人支援職のバーンアウト予防への壁に「イメージの問題」があるのではないか
「男だから」「女だから」「あの国の人だから」「あの職業だから」という見方は偏見になり、善意であったとしても、個々人の個性や状況を見ることを忘れてしまいます。
また、対等でバランスの取れたコミュニケーションではなく、いつまでも一方が話続けていたり、愚痴ばかり言って、目の前の相手を、悩みを吐き出す容器扱いしてしまうと、それも相手の個性や状況はどうでもよくなっているということでしょう。
(1)イメージの問題
①「見られ方の問題」
私は今まで対人支援職では無い立場から、支援職のバーンアウト研究に携わり、国内外共通のバーンアウト要因として、
・仕事量(扱うケース数が多すぎ、一つ一つの利用者やクライアントの状況
もヘヴィである)
・同僚や上司との良くない関係をもたらすマネジメントシステム
・そもそも足りない人的、設備的リソース
・書類仕事が意外に多くテクノロジー導入が進んでいない
以上のような要因を扱う資料にいくつも出会って来ました。
一方、helpwellでの活動も進み、メンバーの話や、私自身も新しい資料に出会う中で、「社会にある対人支援者イメージが働き手を縛り、バーンアウトの一要因になっているのではないか」という仮説が出てきました。
イメージは時に人々の中に常識を埋め込み、悪いことも「普通のこと」にしてしまうと思います。
②「慈悲」「白衣の天使」そして「英雄」へ
ある本(①)では、英国が誇る原則無償の医療制度NHSの現場の悲惨な実態(戦場にも例えられますし、ある調査から見るとアフガニスタンにいた英国軍の状況と比較しても悲惨とのことです②)が語られ、米国の医療現場の実態紹介も併せながら、
・プレッシャーを拠り所に多くの看護師が踏ん張っている
・看護師イメージに『慈悲』『母のようなケア』や『白衣の天使』がよく言
われていたが、コロナ後は『英雄』という見方が強まった
・しかし『英雄』等と言われるほど、また救うのが難しい患者に共感や慈悲
を覚えるほど、救えなかった時のどうしようもなさから共感疲労に陥る
以上のような話が紹介されています。
※本の中では共感疲労(瞬時に起こることがある)とバーンアウト(長期蓄
積で発生)の違いが強調されていますが、本の中でも共感疲労の症状に
「援助すべき人を避けようとする」「仕事へのエネルギーや能力低下」
「様々な物事への依存」が挙げられており、バーンアウトとの共通点も多
いように感じました。
また本の中では英国での医療現場の待遇の問題点が指摘され、現場の雰囲気の悪さの原因に、医療や社会リソースの削減のきっかけになったサッチャー元首相の新自由主義的改革があるのではないかと指摘されています。
③「女性イメージ」に似ている?
一見良さそうなイメージを固定化することで、却って待遇やバーンアウト等の問題解決を妨げているのではないか。
このイメージが広がるより深い要因には(近年国内外ともに性別比は変わってきていますが)対人支援職に多い女性へのイメージにも原因がありそうです。
今ではジェンダーバイアスの問題が取り上げられることが増えましたが、かつては「男性のように普遍的価値観に則って主体的に道を切り開いていく」能力が女性は劣るとされ、代わりに「母性」「愛」(前述の看護師イメージにかなり近いですね)が優れているから、ケアの役割を担い、主体的男性の補助役に回るのが自然であるという価値観が今以上に世界で主流でした。(③)
これは女性への偏見や差別の視点からももちろん問題ですし、「やるのが自然だからケアへの対価は高くなくていいだろう」というケア労働(対人支援含む)の軽視にも繋がっていると思います。
(3)より具体的な問題
①「感情の容器」にされる
人の深刻な悩みを聞き続けたら結構疲れますし、話す方も大変で必死なのだと思いますが、時に聞き手は話し手にとって感情を吐き出す「容器」もしくは「道具」のようになってしまうのかもしれません。それによって「容器」にされた人はイライラしたり、話し手に反感を覚えるといいます。(①)
これはもしかしたら対人支援職の多くが経験し、支援職で無い人も少なからず経験することかもしれません。しかし話し手も誰にでも話せる訳ではもちろん無く、寧ろ抑圧的だったり貧困な日常から逃れるために、誰かを感情を吐き出す「容器」にしてしまうのでしょう。
②「容器」と「吐き出す側」の役割分担
しかし「苦しい人がたまたま話しやすそうな人に色々吐き出す」面があるのは否定できませんが、言い換えれば上記「(1)イメージの問題」で看護師と女性イメージから役割が固定化され下に見られる問題を扱ったように、「容器」となり感情を受け取るのが当たり前の人と、感情を吐き出して当たり前の人の役割分担ができているとも言えそうです。
(4)結論と展望~感情の制限~
ここまで複数の角度から対人支援職へのイメージの問題を書いてきました。
イメージが実際に現場で支援する人や、仕事では無いが何らかのケアをする必要がある人の心に影を落とし、
・待遇が悪くても我慢するか、嫌なら黙って去るしかない
・あまり他者(特にクライアントや利用者)を合わないと思ったり愚痴を言
ってはいけない
と無意識のうちに考えてしまったり、働く仲間内でも(イメージに合わない実例は山ほどあるはずなのに)本当の思いを共有しづらくなるのではないかと私は考えました。
また対人支援職等ケアに携わる人以外にしても、資本主義や能力だけが普遍的だと思って内面化してしまい、自らや他者へのケアを怠り、または逆に自暴自棄になり何かに依存してしまうリスクに晒されていると言えるでしょう。
つまりは前述した「男性のように普遍的価値観に則って主体的に道を切り開いていく」見方が抱える大きな問題です。
また対人支援職の方々も能力主義とは無縁で無く、もしかしたら「愚痴らず争わず、そつなく難しい人もケアし続ける能力」に追い立てられている人々もいるのかもしれません。
(もちろん無理の無いセルフイメージで、湧き上がる思いから、高い目標や理想を追う人も大勢いるでしょうし、それは素晴らしいことだと思います)
今後はより良い社会のためにいかに固定化した「イメージ」から解放されるかという提案と、より専門的に「マルクスの疎外理論とソーシャルワーカー」についての論文を見つけたので、分析していきたいと思います。
【参考文献】