努力と忍耐を他人に強制するのは……-詩-
人の成長には
努力と忍耐が必要だ
だが
それを他人から強制されるのは違う
それは自分の意思でやるべき事だ
他人から出来るならしてよ
今までしていたのだから
と言われてストレスを溜めながらするものではない
自分の意思で
自分の成長のためにする事だ
そもそも
努力と忍耐は楽しい事ではない
簡単に出来る事ならば
努力も忍耐も苦しみはない
だから
本当に出来ない事に対して
努力も忍耐も過酷だ
努力が足りない
忍耐が足りない
相手からそう言われたら
よく考えたらいいさ
自分が相手とどう向き合うべきか
自分が我慢して
相手との関係を維持するべきか
自分には自分のペースがある
自分には自分の得意不得意がある
僕は普通の事が出来ない
でも工夫したら
他人には迷惑をかけず
他人にはこの障害が理解されない程度には出来る
だがこれは僕がかなり試行錯誤の末に
他人に迷惑をかけないために対処法を得た
つまり言いたのは
僕は自分の欠点を補うために調整をする事で
障害はあまり感じない
だが
かなり頑張れば普通の事が出来る僕に対して
知らない人は
頑張れ
とか
忍耐が足りない
と言われる事もある
僕には僕のペースがある
このギリギリのペースが崩れると
僕はしんどい
これは僕が10年以上の苦しみ続けた結果
実践と本によって見つけた方法だ
でもかなりの苦痛を伴う
普通の事が出来ない代償は大きい
だが
周りから見たら大した事がないように見えるらしい
でも
普通の事が出来ない事をカバーするために
僕は工夫をしたら方法を見つける事が出来た
これは大きな宝物だ
僕はパニック発作により
外食と外出をするという
負荷がかかると
胃の動きがおかしくなり
固形物は食べれない
水分はどうにか飲めるが
パニックを起こしたら
水分や呼吸も危なくなる
さて
僕は普通の基準で話されるのが嫌いだ
そして
僕は僕なりに頑張っているつもりだ
だから
僕は他人から課せられる
努力と忍耐が心底嫌いだ
確かに僕は一部の能力は無能さ
他人の力を借りないと外出も出来ない事がある
他人の力を必要とする時もある
一人の力はたかが知れている
でも
出来るようにカバーするとある程度の事は出来る
これは僕にはかなりの苦痛を伴う行為で
はっきり言って地獄だ
だから
僕は他人から課せられる言葉が一番不得意だ
その課せられる言葉の必要性を感じたら
僕は努力も工夫もする
だが
必要を感じなかったら
僕は関わらない選択をする
そうしないと
相手のペースに呑まれる
相手と自分は違う
だから
自分が出来る事が相手に出来ない場合
理解出来ない事が多い
だが
それをどう捉えるかだ
甘えと捉えて
努力と忍耐を課すのは構わない
だが
相手がその努力と忍耐を耐えられる精神の状態なのか
よく考えないと
相手を壊してしまう
だから
相手に何かを強制するのは
危険だ
自分が鼻歌を口ずさみながら出来る事は
相手にとって全力でしてどうにかなる場合もあるのだから
自分にとって簡単は
果たして相手にとって簡単なのか
そして
普通に見える人間の抱えている問題は難しい
とくに見て分かるものならば言わないだろう
でも見て分からない障害に対して
人は無警戒すぎる
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