放射性前蛹奴

死ぬ最期のその瞬間に、人生を振り返って総じて「自分が自分で生まれてよかった、自分が自分として生きてきてよかった」そう思えるようになりたい。また、私の死で、生まれる命を歓べる心の美しさを持ちたい。

放射性前蛹奴

死ぬ最期のその瞬間に、人生を振り返って総じて「自分が自分で生まれてよかった、自分が自分として生きてきてよかった」そう思えるようになりたい。また、私の死で、生まれる命を歓べる心の美しさを持ちたい。

最近の記事

桜の木

桜はあんなにも清く美しく咲き誇るのに、どうしてそれを散らしてしまうのでしょう。 私は思います。 桜が咲くのは、それを見る人々の思いを受け取るからです。 桜が散るのは、その一つ一つの思いに共鳴し、涙するからです。 それは、今を生きていることへの、喜びの涙。 それは、嬉しいことも、悲しいことも、苦しいこともあったという、過去を慈しむ涙。 それは、離れ離れになってしまうけれど、貴方のことはずっと忘れない、どうかお元気で、という別れの辛さを堪える涙。 それは、いつかまた

    • 『ベストフレンド』

      私より少し遅れて「私たちの始まりの場所」に入園してきた、あの日の『あなた』は、どこか不安げで、物寂しそうにひとりぽつんとそこに佇んでいた。 「「ねえ、あなたの名前はなんていうの?」」 『あなた』は、そんな柄でもないはずの私が自分から歩み寄った、多分最初の『ひと』。 何故か自然と、まるでそうすることが決まっていたかのように、声をかけていた。 今でも驚くほど「迷い」がなかった。 私も遅れて入園してきて、初日から馴染もうとしても弾かれて、そもそもどうやったら他の子と仲良くなれるのか

      • 私が謝れないのは

        これまでを振り返っていて思うのは、自分は誰かに謝ったり、感謝の言葉をかけたりすることが苦手だということ。 全くできないわけではない(そう思いたいだけかもしれない)けど、絞り出すのに凄くエネルギーが要る実感がある。 いつからだろう。 多分幼少の頃から少なからずあって、歳を重ねるにつれてどんどんその重しは肥大していった気がする。 どうしてこんなに重たいのか。 尊大だからか? 反省できないからか? やってもらって当たり前だと思ってるから? 他人の気持ちが分からないわけではないし、

        • カブトムシ

          私は【カブトムシ】が好きだ。 厳密には【Trypoxylus dichotomus】が好きだ。 つまるところ、日本の夏の風物詩の一つである、”あの”カブトムシのことである。 他のカブトムシの種や、他の昆虫も嫌いではないし、寧ろ好きな方ではあるが、【カブトムシ】に対するそれには遠く及ばない。 私にとって【カブトムシ】は幼少の一番辛かった時期を支えてくれた『心の友』であり、今の(あるいはこれまでの)私を形作るその『一部』、あるいは、あの頃の私の『象徴』でもある。 【彼ら

          いじめの報復(復讐)ってさ

          インターネットとは非常に便利なもので、日常で出すのは少し憚れるようなセンシティブな話題について、様々な立場からの「生」に近い意見をあちこちで拾うことが出来る。 多くの人は、名前や顔を晒す公の場だと周囲の目を気にしてしまい、自分の本音を隠したり、人当たりの良い形に加工したりしてしまう。 しかし、匿名であれば多少気が大きくなるからか、殆ど剝き出し状態の素を晒し合うようになる。 それが時に行き過ぎて集団バッシングによる自殺などの大事にまで発展することもある。 優れた道具ほど、その扱

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