『ベストフレンド』

私より少し遅れて「私たちの始まりの場所」に入園してきた、あの日の『あなた』は、どこか不安げで、物寂しそうにひとりぽつんとそこに佇んでいた。
「「ねえ、あなたの名前はなんていうの?」」
『あなた』は、そんな柄でもないはずの私が自分から歩み寄った、多分最初の『ひと』。
何故か自然と、まるでそうすることが決まっていたかのように、声をかけていた。
今でも驚くほど「迷い」がなかった。
私も遅れて入園してきて、初日から馴染もうとしても弾かれて、そもそもどうやったら他の子と仲良くなれるのかちっとも分からなくて、途方に暮れて。
だからかな。
あの時の『あなた』は、いつもの私と似た目をしていた。
『あなた』の気持ちが手に取るように共感るわかる気がした。

いつの間にか、私たちは互いを「親友」と呼び合うようになっていた。
『あなた』はどうだったか分からないけれど、少なくとも私は、二人だけにしか見えない糸で結ばれた糸電話で、気持ちが通じ合っているようにいつも感じていた。

『あなた』は春の日差しのような人だった。
穏やかで暖かくて、心が透き通っていてとても綺麗だった。
汚らわしい私とは違って、誰からも自然と好かれる、仲良くできる人だった。
けれど『あなた』は、少なくともあの学び舎では、私だけを「一番」に思ってくれていた。
『あなた』にとって、あの頃の私は「特別」だった。
私は今でもそう信じている。

卒園してからは、日常を共有することが出来なくなってしまった。
それでもお揃いの習い事を始めることで、毎週幾ばくかの時間を共に過ごすことができた。
全く満足ではなかったけれど、ずっと会えないよりは遥かにマシだった。

小学校に入った私は、どこにも馴染めないでいた。
クラスが、環境が変わるごとに、誰かにいじめられた。
毎日帰って一人、小部屋で人形遊びするのが私の「いつも」だった。
それなりに仲良くしてくれる子は偶に居たけれど、決まって孤独感を拭えなかった。
いつも他の子を『あなた』と比べてしまう、無意識の自分がいた。
『あなた』ほど私を満たしてくれる相手は、どこにも存在し得なかった。
他の子の心の中には、私ではない、「誰か」の影が既にあった。
私は自ずから孤立していった。

それでも構わなかった。だって私には『あなた』がいたから。
『あなた』と会える、週の僅かなひとときだけが、私を癒してくれた。

けれど、『あなた』と居ない時間が増せば増すほど、『あなた』との心の距離が開いていくのを感じてもいた。
会うたびに、『あなた』が遠ざかっていくように感じられて、不安になった。
習い事でも、私の知らない『あなた』の知り合いや友達が現れるようになり、その度に顔が曇ってむくれる自分がいた。
妬ましく思う気持ちを隠せない自分が恥ずかしくて、でも気づいてほしくて。
かまってちゃんになる自分が嫌いで嫌いでたまらなかった。
それでもやっぱり隠せない。
ただ、「『あなた』の中の私」が相対的に小さくなっていくのが、悲しかった。

習い事でも私は、主に自分と同じ学校の連中からいじめを受けるようになった。
出来損ないでチームの足を引っ張る疎ましい私。自分本位で空気が読めない私。
そもそも私は、習い事そのものはどうでも良くて『あなた』と少しでも一緒にいれればそれで良かった。
『あなた』は他にも習い事をいくつか習っていたし、お互いの家の事情もあったから、気軽に会うのは難しくて。
私に許された唯一の選択肢は、それしかなかった。
だから私は、耐えた。
しがみついた。
痛くても痛くなかった。
『あなた』の匂いのする、やわらかい春の日差しを、私の元から逃げていかないよう大事に大事に抱え続けた。
皮肉にも、そうすればそうするほど、『あなた』は遠ざかっていった。
『あなた』が習い事に来ない日は、だんだん増えていった。
それは、今思えば必然だった。

ごめんね。
とうとう私は、そのたった一言すら『あなた』に伝えられなかった。
他の子から何度も何度も私をかばってくれた『あなた』。
私と一緒くたに罵詈雑言を投げつけられた『あなた』。
それなのに私は。
心のどこかで、それを喜んでいる、嬉しく思っている私がいた。
痛みもおそろいだね、なんて頭の片隅で囁く悪魔。
『あなた』が私を放っておいたからだよ、なんて密かに嘲笑う化け物。
それが私。
最低。
本当に醜い。

私は習い事を辞めた。
『あなた』を残して、去った。
限界だった。
いじめもそうだけど、私のせいで傷つく『あなた』を見るのが。
本来なら人に好かれる、心の綺麗な『あなた』が穢されていくのが。
そして何より。
そんな『あなた』を、己の汚い独占欲で縛り付けて、胸を傷めながらもひっそり笑う私を許せなかった。
『あなた』の「特別」であり続けるために、『あなた』の枷になり下がった私。

『あなた』は私なんかと一緒にいるべきじゃない。
そもそも、こんなヘドロまみれの私が、一時期でも『あなた』のような人の「特別」になれたことが奇跡。
だからもう、私なんか忘れて自由になってほしい。
私でない、「みんな」の春のお日様でいてほしい。
そういう意図で、黙って別れた。

いいや、それは欺瞞だ。
最後の最後まで、私は最低だった。
『あなた』に「特別」な傷を残す期待が、本当は隠れていた。
臆病で卑怯で強欲な私。

もし、その傷が今も『あなた』の中に有ってくれているのなら。
烏滸がましいけれど、『あなた』にもう一度会いたい。
会って直接伝えたい。
知ってほしい。
殴って罵ってほしい。
けれど、それは絶対叶わない。
叶ってはいけない。
私が自分の手で『あなた』を事実上捨てたのだから。

だとしても、これだけは不変の真実。
『あなた』は私の、最初で最後の『ともだち』で『ベストフレンド』。


















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