自分の思考が変わると世界が変わった。
「〜であるべき」「〜でなきゃいけない」反対に「〜ではいけない」とか。
「自分には絶対無理」「これが出来ない自分はダメな人間だ」とか。
「きっと嫌われてる」「私は周りよりも劣っている」とか。
今までに辛い経験をしたり、成功体験が少ないと勝手にこんな面倒くさい思考癖がついちゃう。
自分では、その思考が絶対だと思い込んでる。それは正しくない事も多いのに。
面倒な思考が染み付くと、それを剥がすには結構な時間と小さな積み上げが沢山必要になる。
完璧な人なんていないし、全てを上手く出来る超人じゃないのにさー。
でもふとした時「あれ?思ってたのと違う」「っえ?手抜きしたのに怒られない」っていう摩訶不思議体験をすると今までの自分の思考が正しくなかったって思わされる。
思い込みを捨てて、冷静に周りを見てみると「もうめんどくさいからやめよう!笑」「こんなもんで良いんじゃない?適当でー」「やばい!あれやるの忘れてた!笑」みんな結構ゆるーく生きてた。
環境や周りの人の影響って大きい。
人に許されると自分も自然と周りを許せるようになった。
辛い時は、環境を変えるのも良いね。
そして環境の影響も大きいけど、よくよく考えてみると自分を苦しめているのは、自分自身である事も多いのかも知れない。
「人に嫌われてはいけない」「仕事は手を抜いてはいけない」「子育ても家事も頑張らないと」「これができない自分には価値がない」「常に正しくあるべき」とか。
元々はこんなタイプじゃなかったんだけど、変に揉まれてしまったな。
出会う人すべてに好かれるなんて、無理ゲーでしょ。仕事はいつも100%なんて死ぬでしょ。子育ての正解なんてどこにあんの。たまに食べるファーストフードは最高だし、何でも出来なきゃいけないなんてレベル高すぎ。息ができなくなって溺れるよ。
いつの間にか正しくて完璧な自分じゃないと受け入れてもらえないって思い込んでたけど違ったみたい。
自分を少しずつ表現するようにしたら、自然と上手くいく事が増えたし、生きるのが随分と楽になった。
自分は自分。人は人。
完璧を常に求めるのは酷だし、自分の人生なのに他人の目ばかり気にして生きるって、損してる気がする。
やる時はやるけど、頑張る時と手抜きする時の割合って結構重要。真面目ってたまに傷ね。
そして自分と向き合うきっかけになったのは、息子の不登校だった。大変な時間も意味があったのかも。考える機会をくれたね。ありがとう。
自分の思考が変わるとこんなに世界が変わってみえるもんなんだなー。