バーンアウトからの回復について
前職(対人支援)で、取りつかれたように仕事をしてきた、と振り返る。いわゆる、バーンアウトというものだ。
そのせいで、心身ともに疲弊し、やや重めの疾患をわずらい、その底辺からの回復にやや難儀しているのだとも振り返っているが、不思議とそれらに対する後悔のようなものは少ない。
自分なりに、信念のようなものも、あったのかもしれない。
自身の不注意や力不足で、現場に迷惑をかけてしまってきたことも多々あったのだが・・・。
それらに対しては、後悔のような、自責のような念はまだあるみたいで、まだときどき夢の中で謝っていたりする。
でも、必ずしもそれらが体調不良の遠因という訳でもないみたいだ。
全てが要因の一部とも言えるし、全てが決定的な一因とも言い切れないもので、どこに何があるとも言い難い。
心・からだ・魂(スピリット)のそれぞれに、何かが起きていて、その修復作業に時間がかかっているだけなのだと思う。
そして、それでもどうにか仕事や活動ができているのだから、それはある意味でラッキーなのだろう。
それは決して強がりではなく、本当に奇跡的なことだと思っている。
そして、マクロ的な視点から見れば、私は「不健康」というカテゴリーにラベリングされるだろうし、「弱い」というカテゴリーにはおそらく今後の人生でも、居続けるだろうと思う。
ただ、私という一人の人間の歩みを見てみれば、不健康な状態の中でも生き続けているということは、何かしら元気の素がわたしの中に眠っている証左でもあるし、
弱さを抱えながらも何とか生きているということは、しぶとさを内に秘めている証でもあるのかと思う。
人間の存在というのは、常に諸刃の剣のような性質を抱えていて、その危ういバランスの中に生きているということが多いのではないかと思う。
もちろん私は、もう少しバランスをとれるように心がけているし、そのための作業にも取り組もうとはしているが、
その人間存在の陰と陽、両方の世界を行き来できるようなフレキシブルさをもって、自分なりに活動的に生きて行けたらいいのではないかと、
漠然とながら、そんなことを感じ、日々を歩き続けている。