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勉強の本質をわかってない先生が陥る知識のラットレース

1.使えない知識に意味はない

教育や心理、発達支援の世界は日進月歩で研究が進む。

テクノロジーの発展にともなって、データの集積も発表された論文へのアクセスも容易になり、知識はもはや庶民が無料で入手できるものになった。

知識は所詮、道具に過ぎない。

「飛車や角が進める方向」を知っているということと、「飛車や角で効果的な攻めを生み出せる」はまったく別の話。

今この国は、道具を使う感覚がないまま知識を蓄えることに躍起になってるもったいない人が増えている。

プレイ時間10分のLv.1のプレイヤーが伝説の剣と極大魔法と万能薬を持ってるような感じ。片手に攻略本を開きながら。

知識よりも、それを使いこなす感覚の方が足りてない。

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2.「知識を使う=反射を制御する」という段階

2+3=5

小学1年生が習う算数。

2年生になるとかけ算が出てくる。

2×3= ?

+と×の違いに気づけば考えるかもしれないが、たぶん2年生のクラスでかけ算を教える前に提示すれば反射的に「5」と答えたくなる数式だ。

それは一生懸命たし算を勉強したからこその条件反射だ。

九九を習ったら、その反射をこらえて「6」と答える必要がある。

間違えたり正解したりを繰り返しながら、やがてその反射は消えていく。代わりに「符号を見て正しく答える」という反射が形成される。

これが学習だ。

学習とは「これまでの行動(思考)パターンを修正すること」であり、学校の勉強はある一面で「行動(思考)パターンの修正方法」を学ぶための作業だ。

教科書を学ぶのではなく、教科書で学ぶ

ということ。

裏を返せば「これまでのパターン」という反射をこらえることができない人間は、どれだけ知識を取り入れても意味がない。

知識を取り入れる過程で磨くべきは「自分の反射に気づき、修正する態度」だということ。

つまり

学ぶほどに自己理解を深め、深まった自己理解に基づいて修正点を見つけられなきゃ、本当の意味で学んだとは言えない…ってことだ。

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3.専門知識を得ればなんとかなる…という勘違い

法務教官も、放デイのスタッフも、向き合う相手が非行少年や障がい児だからか、何かというとすぐ専門知識と言いたがる。

特性を理解し…
個性を尊重し…

個別に対応する…という。

それが不要だとは言わないが、大半の人間はそれ以前のところでつまづいて…しかもその事実に気づいてない。

少年院ではよく「文字式がわかりません」「一次関数がわかりません」と相談を受けた。でも、そのほとんどは文字式・関数以前に、四則計算のルールなどの小学生の算数でつまづいてた。

本人にその自覚がなく、さらには大半の先生が素直に文字式や関数を教えてしまうから、いつまで経っても成績が伸びない。学習性無力感と子どもへのあきらめしか生み出さない。

非モテがやるべきは、意中の子の趣味や好みを把握してプレゼントを用意することではない。大抵の場合は、身だしなみやマナー、話し方を修正することが優先だ。

世の中の専門知識に追われてる先生たちは、学びの本質を見つめ直し、自己理解と反射を乗り越える態度の有無についてきちんと考え直した方がいい。

専門知識?

必要なのはそれ以前のとこですよ。

教育書なんて捨てて、本買う金で自分磨きするか、これまでに読んだ本をもう一度読み返してみるといい。今の自分の思考回路とどれだけ一致してるか点検したら、きっといろんなものが見えてくる。

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こんにちは!へいなかです! 非行少年の地域定着支援を仕事にするべく、経済的な基盤をつくるためにアレ…

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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。