単純作業や頭脳労働の増加と不機嫌な保護者の関係を考えてみる。(57)
1.感覚と情緒
人間には身体の内側の情報を感じ取る感覚がついています。
足元を見なくても階段を昇れたり、目で見てなくてもサイドブレーキを引けたりするのは、筋肉や関節の状態を感じ取って身体を調整できるから。
また…
人間には身体の傾きやスピードなどを感じ取る感覚もついています。こっちの方は平衡感覚やバランス感覚という言葉でわりと一般的に知られているかもしれません。
バランスなどを感じ取る感覚があるおかげで、転びそうになった時に反射で体勢を整えたり、電車内で立ち続けることができるのです。
こうした筋肉や関節、バランスを感じ取る感覚を総じて「原始感覚」と呼んだりします。命の維持や安全のために必要な感覚のため、理性に関係なく自動で働くもの。ですから、危機的状況の時ほど活発に働くようになっており、脳や内臓との結びつきも強くなっています。
要するに…
危機的場面に遭遇すると人は…原始感覚が活発になり、それに連動して脳も覚醒し、心臓は鼓動が速まって、俊敏に対応できる状態を作るのです。
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2.危機が去ったら落ち着くことが大事
どんな家電だって動かし続ければ壊れます。熱を持ったり、消耗したりして寿命が短くなる。
人間の身体も一緒です。
動かし続けることはできない。エネルギーを補給するのと同等以上に、一端動きを止め、休むことが必要なのです。
だから…
原始感覚が活発になって俊敏に動き、しばらくすると人間は穏やかになります。そうなるようにプログラムされてる。
つまり…
スポーツをしたり絶叫マシーンに乗ったりして、汗をかいたり鼓動が速くなるような経験をすると、その後、自分を休めるために脳がリラックスモードに入っていくのです。
ストレス発散や気分転換に運動が効果的なのは原始感覚が刺激されて強制的にリラックスモードに入れるからなのでしょうね。
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3.現代の労働
現代の労働の多くは、あまり身体を動かしません。
僕は職場にいる約9時間で2000歩も歩かない。
工場労働などでも似たようなものだと思います。さすがに2000歩ということはないでしょうが、ベルトコンベアの前でひたすら腕だけが動く。
現代は身体が動かなくても成立する仕事の方が多くなってきているような気がします。それはつまり…原始感覚が刺激されにくい生活だということ。
いくら家事で身体を動かしていようと、農耕や狩猟と比べればその運動量は比較対象にすらならないでしょう。
原始感覚が情緒と連動して落ち着きを生み出すのであれば…日中、ほとんど身体を動かさずに何時間も過ごし、気分転換もせずに帰宅すれば、それは「落ち着きにくい状態」と言えるのではないでしょうか。
専業主婦(夫)も似たようなもの。
買い物や洗濯をしているとはいえ、子どもと公園に行っても一緒には遊ばない。原始感覚は刺激不足で情緒を安定させる余地がない。
そこに長時間労働や家事などによる脳疲労が重なれば、そりゃ脳も身体も「不機嫌になりやすい状態」ですから、ささいなことでキレたり八つ当たりするリスクも高まるでしょう。
ヨガでもピラティスでもウォーキングでも…
原始感覚を刺激する時間を増やすことで、落ち着きやすい状態を意識的に作り出すことが大切なのかもしれません。
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4.余談
という話もあるでしょうが、それはまた別の話。個人的な経験則で言えば、単純に自己表現力や他者理解のスキル不足なんだろうと思います。
自分も同僚も雑な言葉しか話さないから、それが雑であることにも気づけない。雑なコミュニケーションを当然だと思い、それが普通で生きてるから、他者理解もできない。
親子であってもそれは同じ。
大人と子どもであれば、大人が子どもの内面を察してやれなきゃなにも始まらないが、そもそもその力が乏しい。他者を自分と異なる存在として慮るという態度がない。
結果、子どもの自己表現力も育たず溝は深まり、虐待などにつながる。
原始感覚の刺激が十分なだけでは虐待は止まらない。逆に、肉体労働による過度な疲労もまた、不機嫌さにつながりやすいものですし。
ただ…
デスクワークや単純作業中心の現代の多くの労働者が、家庭で不機嫌になりがちな理由はそういうところにもあるんじゃないかな…と思ったのです。
みなさんはどう思いますか?
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。