バレンタイン
バレンタインデーの大定番ソング「バレンタイン・キッス」は、発売された1986年の年間チャートでは14位であり、この順位を引き合いに、当時は大ヒットしていなかったとの紹介を"私のバカせまい史"というTV番組でされていた。
年間で14位は十分だろうと思ったが、昔は番組名にも使われていたようにベスト10、トップ10というのは大きな基準であり、そこで太くハッキリとした線が引かれていたのだろう。
私が主要な学生時代を過ごした90年代はCDが隆盛を極めていた時代であり、その時も10位以内に入るのがステータスとされていた風潮があった。
そして、今もこれがあるかはわからないが、自身が好きなミュージシャン、バンドが売れているということでマウントを取るという、謎の感覚を持つ者が、主に小中学生時代には存在した。
例えば私の好きなミュージシャンが20〜30位台だったとする。それでも十分だし、そこそこの知名度もあっただろうが、ただ売れていて人気があるとの理由だけでファンになるようなアンテナの低いミーハー人種が、「誰それ?知らない。売れてるの?私の好きな〇〇は1位とったよ」などと言ってくる、この謎のマウントである。
今でも"知らないマウント"はあるが、それと近いか。
売れる前から応援していた、とかではなく、よく見聞きするという理由のみで洗脳されるようにファンになったようなもんが、我が事のように意気揚々と自信満々に揺るぎのないマウントをかましてきたのを思い出す。
今なら、例えば私がKIRINJI(キリンジ)が好きだと言えば「誰それ?(アー写を見つつ)ただのオジサンじゃん。売れてるの?米津1位とったよ。」みたいな感じである。
当時の90年代中頃だと、真心ブラザーズはギリセーフ、スチャダラはアウト、みたいな、何となく。
あくまでその当時のミーハー人種の価値観の話しである。
これに少し付随する話で、私が小学生の頃に所属していた野球チームは、人数がギリギリで、ハッキリ言って弱かったのだが、でも試合に出られるし、少人数の方が気楽で良さそうとの理由で、それを良しとして入った。
私たちがあるチームにボロ負けした翌日の学校で、それを聞きつけた別の大所帯のチームに所属する同級生らが、「えっ、あそこに負けたの!?オレたち余裕で勝ったよ!」なんて言ってきた。
しかし彼らはそこの3軍レベルで、ベンチにすら入っていないのである。
子供ながらに「それ、どういう感覚なのだろう?」と、何だか妙で、不思議であったし、なんなら逆に思いっきり見下していた。
しかし、そっちの方が良かったのではないかと、大人になってそう感じ始めた。
私がその弱いチームを立て直し、みたいなカッコいい綺麗な話しに落ち付けたら良かったのだが、ただの"十把一絡げ"の特段そのセンスがあるわけでもない凡庸な少年が、ただ、ぬるま湯を選んだだけで、そこで切磋琢磨することはなく、保温、保温を繰り返し、その適温でいつまでも快適に浸かっていただけで、いつまでもぬるく、そして弱かった。
大所帯の強いチームであれば、レギュラーを目指して頑張るし、無理だと思えば見切りをつけてやめて、別の分野へ。
あるいは応援に専念したり、球拾い、道具の片付けを率先するなど、自分なりの役割を見出し、そういった姿勢が評価されて、何らかに繋がることもあるだろう。
己を知るというか、分をわきまえる感覚。
これは社会でも役に立ちそう。
私の場合、適当に練習、そして試合。
負ければ「まぁそうだよね。仕方ないよね。」
これで終い、その繰り返し。
何かしらの成長に繋がっただろうか。
ところでバレンタイン。
「おれ、甘いもの苦手だからな〜」という伝統的な予防線が、今年もあちらこちらで張られていることだろう。