ドキュメンタリーで免疫を付けて備える
私はドキュメンタリーやノンフィクションといったものが好きで、そういったテレビ番組や記事などはジャンルを問わず、何かと見てしまう。
災害や紛争などをテーマにした暗く悲しいものは、内容によっては、ときに躊躇することもあるが、それでも極力、見るようにしている。
それはもちろん、興味、好奇心から来る部分が大きいが、加えて「見ておかないといけない」といった、また別の気持ちの要素がある。
無駄に大層な言い方となってしまったが、その実は、ただ単に自分のためであり、自身に同様のことが起きた際の心構えとして、あるいは免疫を付けておくような、気持ちの面での"もしもの備え"といったようなものだ。
非常事態に遭った際に、確実に取り乱し、絶対に冷静でいられるわけもないだろうが、それを幾分和らげる、多少なりとも助けになると思っている。
例えば、ボクサーのパンチを受けるとして、その間に薄い段ボール1枚かます程度の効果はありそう。
しかし、それがヘビー級ならほぼ意味を成さないだろうが。
まぁ、そういう感じである。
こういったものに興味を持ち、見聞きするわりに、ボランティアを始めとする支援活動や、それに付随するようなものに携わったことは、恥ずかしながら、ただの一度もない。
本当に、まさに自身のためだけに摂取しているといった、重ね重ね、恥ずかしい有り様である。
また、それで免疫が付き、いざという事態に対峙した際に生かされるのかは、幸いなことに、現在までにその当事者になったことがないため、わからない。
起こらないことを願うし、未然に防げたり回避できればそれで良いのだが、全てにおいてどうなるかは、わからない。
そのための"気持ちの備え"なのだが、一方で、その基本とも言える、食糧などの備蓄を始めとする物理的な方は、全くもってやっていない。
適切な量を考えて定期的に入れ替えたり、そういった具体的なことには、腰が重い。
やはり、そうは言っても何事も無いだろうと高を括っている、その現れといったところか。
そうとわかっているのなら、やれば良いのだが、やれない。
実際に痛い目に遭わないと行動に移せない性分。
ただ、それらが役に立たない、それどころではない被害に遭うことも十分に考えられる。
そうすると、最終的には"気持ちの備え"がモノを言うのではないかとも思う、といった都合の良いところで落ち着ける。
とは言いつつ、そちらの物理的な方はありがたいことに、妻がしてくれている。
その一方で、彼女は悲しい、暗い内容のドキュメンタリーを見聞きすることは出来ない。
私は心を傷め、ときに多少引きずる程度で済むのだが、彼女はそれが酷く"きて"しまうようだ。
ゆえに、そういったものを見る際は、彼女の視聴覚に触れぬよう、慎重を期す。
こう記してみると、上手くバランスが取れている。
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