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『源氏物語』試論


はじめに

 『源氏物語』といえば、知らない者はいないといっても過言ではないほど有名な古典文学作品である。にもかかわらず、恥を忍んでいうと、筆者はこれまで中学や高校で『源氏物語』を読んだのか否かさえも覚えていない。そもそも『源氏物語』が54帖という膨大な巻数を有しているということさえ今回この覚書を書くまで知らなかった。そのような私がこれから『源氏物語』を読んでみようというのだから「気が触れた」と思われても仕方がない。ヘーゲルだのマルクスだの西洋かぶれの哲学や思想を研究してきた人間が、三十半ばに差し掛かろうとしている時に、いきなり自国の古典文学作品に目を向けるということが一体何を意味しているのか、自分でもいまいちはっきりと理解していない。とはいえ、何事も時宜にかなった頃合というものがあり、早い遅いの問題ではないのだと思う。むしろ私の知らない豊穣なテクストがまだ数多く存在していることに喜びを感じるばかりである。

『源氏物語』

 先に触れたように『源氏物語』は54帖から成る膨大な作品である。原本はすでに消失している。現在残されているその写本には多くのバリエーションが存在するが、それぞれの写本には一部欠巻が存在する*1。
 以下では、池田亀鑑編著『校異源氏物語』(中央公論社、1942年)および柳井滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎(校注)『源氏物語』(岩波書店、2017年)を基本テクストとして参照する。資料については「国書データベース」(国文学研究資料館)や「デジタル源氏物語」、青空文庫の與謝野晶子訳、その他ホームページを活用している。

岩波文庫版『源氏物語』の表紙にもなっている「源氏物語絵屏風」は「国書データベース」から閲覧可能である。

桐壺

(池田亀鑑(編著)『校異源氏物語』巻一、中央公論社、1942年、5頁)

 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いとやんごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめき給ふ有りけり。

(『源氏物語(一)桐壺―末摘花』岩波文庫、2017年、14頁)

単語

  • 【不定指示代名詞】いづれ:どれ。

  • 【格助詞】の:連体修飾語(連体格)。

  • 【名詞】御時(おほんとき):[接頭辞]「御」+[名詞]「時」。天皇の治世の尊敬語。

  • 【連語】にか:断定の助動詞「なり」の連用形「に」+係助詞「か」。「〜であろうか」。

いづれの御時にか

 冒頭の「いづれの御時にか」という箇所から、この物語が天皇制を前提とした世界(つまり「日本」と我々が呼ぶ地域)を舞台にして描かれることが真っ先に宣言されている。このような舞台設定は例えば『ハリーポッター』がイギリスの世界を前提とするようなものである。 天皇制を前提とし、そのうえで読者にとって問題となるのは〈どの天皇が即位した時代なのか〉であろう。この点について天野紀代子は次のように語っている。

天野 ……更衣というものはもうすでに紫式部の時代にはいなかった。浅井虎夫の『女官通解』から「歴代皇后・妃・夫人・嬪の概表」を貼っておきましたけれども、「女御、更衣あまたさぶら」っていた時代は、醍醐天皇、せいぜい村上天皇の時までで、それ以降は更衣という妃はいないんですね。一条天皇にはもちろんのことです。女御や更衣が大勢仕えていたと始められる出だしで、読者はすぐさま五十年前、一〇〇年前の王朝を想像したことでしょう。

(「〈シンポジウム〉『源氏物語』の魅力」法政大学国文学会『日本文学誌要』77巻、4頁)

現代の我々が読めば曖昧な記述に見える「いづれの御時にか」という導入も、当時の人々が読めば「すぐさま五十年前、一〇〇年前の王朝を想像」することが可能であったという指摘は重要である。天野は続けて言う。

天野 ……作者がどうして身分の低い更衣を持ち出したかという上では、醍醐帝の更衣に藤原桑子というのがいますけれど、これは中納言にまでなった藤原兼輔の娘で、紫式部にとってはお祖父さんの姉妹に当たります。そのことが創作の上で重要に関わっていたのではないかと思われます。一族の名誉であった入内が、更衣だったことへの特別な思い入れがあったに違いないということです。

(「〈シンポジウム〉『源氏物語』の魅力」法政大学国文学会『日本文学誌要』77巻、4頁)

作者すなわち紫式部は勿論『源氏物語』の作中には登場しないのだが、天野のように作者がどのような意図で舞台設定をしたのかにふかく思いをめぐらすとき、あらゆる舞台設定が必然的なものであるかのように思われてくる。

(つづく)

*1:『源氏物語』の写本については「国書データベース」に整理されているのでそちらを参照されたい。

文献

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