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1104 私の何がいけないの

7:30過ぎに目覚ましが鳴り、1度目を覚ました。朝ごはんを母親に作ってもらい、食べながら今日のスケジュールを思い出す。9時から18時までバイトで、その後渋谷で友人とご飯。帰ってからは勉強する時間を作れるといいな、と。

 アルバイトに行くのは7月末ぶりで、久しぶりで少し緊張した。にもかかわらず、8分ほど遅刻をしてしまい室長に再会したとき気まずさが拭えなかった。隙間時間に正欲を読みながら、授業では生徒とのコミュニケーションに苦労する。どうすれば心を開いてくれるか、生徒のやる気や実力がうなぎのぼりになるか、なーんて。自分なりの信念を一つ通せるだけで違うんだろうなと思いながらも、それを見つけるのは一苦労だ。
 自分自身あまり胸を張って勉強してきたとも言えないから当然だろう。これからでも一つ学ぶ姿勢を持って、頑張っていけたらいいなと思う。
 3ヶ月ぶりの出勤であったが、変わらず生徒が通っていて、自分とは塾で以外は交わることのない時間を過ごしながら各自のペースで成長していることが当たり前なのにどこかこそばゆく感じる。

 ここで私の小さな不安を吐露したいと思う。私は彼氏のことが大好きだ。一時期は人を好きになることなどできるのかと不安であった時もあるが、そんなの冗談みたいに今の彼氏が好きだ。「ギブの精神」が備わっているとは言い難い私は彼を愛することができないけれど(言い訳せず好きならば与えろと言われればそれはそうなのだか)、それでも胸を張って好きだと本人にも周りにも告げることができる。
 その背景に相性の良さが挙げられる。性格が合う。話が合う。笑いのツボが合う。そう思えることが多い。故に、彼といる時間は心に安寧と幸福感と充実感を3つ同時にもたらしてくれる。そんな存在なかなかいない。2人で紡ぎ出す空間が私にとってはたまらなく愛おしいのだが、ときに本当にその空気感は2人で作り出したものなのかと不安になるのだ。彼1人が作り出している空気だとしたら?私はただそれを享受する側であって、何の貢献もできていないのだとしたら。それこそ言い訳せずに自分に与えられるものを与えろという話になるのだが、私は一体今何をギブできていて、新しく何を提供できるのだろうか。
 ときどき彼とじゃなかったら、新しく彼氏ができたときに同じようにな空気を2人で紡ぐことはできるのだろうかと気になって、試したくなる。彼氏を失いたくないから、無駄に誰かを傷つけたり、無駄に嫌われたりなんていやだから、そんなことはしないけれど。
 実際友人といて、そういうことって結構あった。私も友人、同等に話して楽しい会話を繰り広げてると思っていた。そんな時にふいに友人から「私ばかり話してごめんね」と実は自身が知らぬうちに聞き役に徹していることを知らされ、その言葉が鈍い音ともに頭に響くような錯覚に陥る。
 「話せなくてごめんね」「会話を盛り上げられなくてごめんね」口にはあまり出したくないけれど、そんな気持ちでいっぱいになって悲しくなる。会話である以上、自分と友人2人で織りなしてきた"会話"ではあるのだが、自分は代替可能というか、相手方が私である必要のないくらい自分は会話という食卓に何の食材ももたらすことができていない。友達が振る舞った料理に私ばかりが気持ちよくさせてもらって、一緒に調理してる気にすらなって。本当に情けない。
 彼との関係においても同じことが言えるのではないだろうか。彼は同じような関係を他で築けてしまうのではないか。私と彼の関係性の背後にあるのは2人の相性の良さではなく、彼自身の人柄の発揮だとしたら。もちろん彼が誰とでも"合う"とは言わないけれど、彼が織りなす空気感に私は浸ってるだけなのだとしたら。

 そんな嫌な想像を繰り広げながら、一概に妄想だと一蹴できずにいる。だって、私には友達が少ないのだから。

 もう一つ悲しいことがある。優先順位の低さ。友人の中で優先順位があることは仕方のないことだとわかっている。時間は有限だから、会いたい人にもその度合いに順位をつけなくてはならない。だから、社会人になるにつれてその時間が少なく限られたものになって会う人もまた限られてしまうのだ。中高時代の友人の中で、約束しても会えない、また今度会おうと言って誘われていないのに他の友人と会っている情報がSNSで目に入る。それは他でもない本人による発信で、きっとそれを目にしてモヤモヤを抱く誰かがいることなど想像などしていないのだろう。それでも、  「あ、自分って相手にとって優先順位が低いんだ」と現実を突きつけられ、いずれ開き直れるにしても少しはやっぱり抉られるんだ。そうやって削られていく私の交友の輪は知らぬうちに誰も残らなくなってしまうのではないだろうか。友人がいるって"普通""正常"側の岸にいる人にとっては当たり前のことだから、私はその対岸に属する人間なのではないかと、ほれまた嫌な真実が突きつけられる。

 でも手ぶらだから、私は。何も持っていない人に用がないなんて当たり前。むしろ搾取される側に回ることがないことに喜びを感じるべき?と寂しさを能書きで埋めてみたり。埋まるはずなんてないけどね。知らぬうちに長くなってしまった。ここ最近抱えている心の穴というか。深く悩んでいるわけではないんだけど、どこか液漏れしてるようにいつまでも「あるべき自分」には辿り着けない自分。

 納得はしてるけど、満足はできない自分。そんな自分と折り合いをつけながら生きていくのかな、私は。私の何がいけないわけ、という言葉が心の中ではずっと鳴り響いてるんだけどね。

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