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1103 とりとめもない

 とりとめもない一日とはまさに今日みたいな日で。美容院へ行って、大学へ行って、彼氏に会って。特別大きな出来事はないけれど、髪を染めたりして確実に自分は明日に向って生きていることを感じられるとともに、大学では人とつながっていることを実感できて。ああ生きるってこういう日の積み重ねでできている。

 朝起きたのが遅く、数分遅れでの美容院到着だった。できるだけ早く来てくださいと言われていたが、結果遅刻。特に何も言われることなく、席に案内された。ずっとしたかったインナーカラーを入れると決めていた。写真を見せながら、サッパリしたいから髪を短く切って欲しいこと、そしてカラーを入れたい胸を美容師さんに伝える。あとは美容師さんに話の主導権を握ってもらい、さまざまな提案を「お願いします!」と返した。
 最近よく食べてしまっていて顔がぷくぷくに膨れている。施術中は首元まで隠れているせいで余計に顔の大きさが強調されてしんどかった。初めてのブリーチにワクワクとビクビクを半分半分で抱えて、完成を待った。
 セットまで終えてもらって、満足げに鏡に映る自分を見つめた。そもそもあまり目立たないのだが、それも含めて気に入った。

 大学が始まるまで時間に余裕があるはずが、気づけば遅刻していた。とはいえ、特にやることもない授業。ただの作業時間を私は日記を書くことに費やした。
 そして、お待ちかねのデート。普段あまり行かない駅で待ち合わせて、改札前で落ち合った。
 彼氏といると心が穏やかで荒れることは少ない。彼といない時に少し平穏が乱れることはあったとしても、一緒にいることで解消されるわけだし不思議と不満や我慢が募ることはない。今まで他に恋人がいたわけではないからよくわからないけれど、理想的な関係、な気がする。
 これからも一緒にいられたらいいな。

 ところで、最近『正欲』という小説を読んでいる。多様性というものに深く切り込んだその本は、日常を過ごす自分では想像もできなかった性癖を持つ人々について描いている。その小説の登場人物はまともの対岸に生きる人に対して人々が持つ想像力の欠如を指摘する。たしかに日常の中で「水によって性的刺激を受ける人々」の存在など想像すらできない。そういう存在を無視して、「ダイバーシティ」を声高に主張する人々がマジョリティにいる。多様性とはマイノリティを受け入れようとする姿勢に一見見えるのだが、現実に存在するマイノリティあくまで多数派のマイノリティであってその全貌が決してマジョリティにさらされることはないのだ。決してわかった気にはなれない。
 八重子が大也を想って、誰かとの繋がりを持って欲しいと考えた際に大也はこう思う。「本当の繋がりはそんな場所では見つからない」と。本音を明かすというのとは信頼の証ではあるが、その信頼を委ねられるのはきっと仲間内のみ。部外者など求めてはいないのだと心が少し痛くなった。マイノリティもマジョリティには心を開き、打ち解けようとはしないのだ。
 誰もが幸せな社会なんて築かれることはないのかもしれない。それでもやっぱり誰かと繋がれているという幸福感を誰もが味わう権利があり、誰もが味わえるべきなのだ。それは完璧に誰もが幸せな社会ではないとしても、せめて明日を生きようと前を向いて歩くことが誰だってできる社会でなければならない。自分もそのように誰かの居場所となる存在でありたい。

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