
子供が学校に行く義務は無い
ご存知だろうか?
日本でよく言われる「義務教育」とは子供を持つ親にかかっている義務であって、子供には学校に行かなければいけないという義務はないのだ。
第4条 (義務教育) 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
ここがポイント「普通教育」
「九年の普通教育」
普通教育とは、通例、全国民に共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育を指すとされ、義務教育と密接な関連を有する概念である。
九年の具体的な内訳については、教育基本法は特に規定せず、学校教育法に委ねている。
そうなの?普通ってなに?
あくまで一般的な教育ってなに?専門的でないことなの?
具体的な内容は学校教育法なの?
気にならなかったであろうか?私はなった。
義務教育の趣旨
○「義務を負う」
親には、憲法以前の自然権として親の教育権(教育の自由)が存在すると考えられているが、この義務教育は、国家的必要性とともに、このような親の教育権を補完し、また制限するものとして存在している。
「けだし、憲法がかように保護者に子女を就学せしむべき義務を課しているのは、単に普通教育が民主国家の存立、繁栄のために必要であるという国家的要請だけによるものではなくして、それがまた子女の人格の完成に必要欠くべからざるものであるということから、親の本来有している子女を教育すべき義務を完うせしめんとする趣旨に出たものである」(昭和39年2月26日最高裁大法廷判決)
(関連条文)
「普通教育」が必要な2つの理由
①民主国家の存立、繁栄のため(国家的要請)
②人格の完成
普通とは、
国家の存立、繁栄のために必要な一般的な人格の完成された国民をつくる教育のこと。
専門的でない理由は、国家が考える「普通」の国民が必要だからなのか。
当たり前だが、「普通」は日本国家の普通だ。
国が違えば「普通」なんて通用しない。
つまり日本の義務教育は、あくまで日本における普通(一般的)をもとに構築されている。
「義務」と呼ばれるから謎だったが、
国家が考える必要な人材を教育する9年間それを普通教育というのだ。
ここまでくると、すべてに納得がいかないだろうか。国民だもんね。
無償な理由は国の考える一般的普通な国民に育つ教育を受けるからだよね。
学校教育法はどうなってるのか?
第十七条
小学校は、心身の発達に応じて、初等普通教育を施すことを目的とする。
第三十五条
中学校は、小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、中等普通教育を施すことを目的とする。
しっかり、普通教育と明記されている。
小中学校も教育する具体的な内容は「学習指導要領」に基づく。
「学習指導要領」の内容とは?
第2次世界大戦後の1947年、GHQ指導のもと、日本の学校教育が構築されていく過程において、「学習指導要領 一般編(試案)」が作成されました。これが日本における最初の学習指導要領です。
そうなの?GHQ始まりなの?と驚かなかっただろうか?
では現在の学習指導要領はどうなっているのか?
「学習指導要領」とは、全国どこの学校でも一定の水準が保てるよう、文部科学省が定めている教育課程(カリキュラム)の基準です。およそ10年に1度、改訂しています。子供たちの教科書や時間割は、これを基に作られています。
次期改訂は2027年と予測されている
学生時代を思い起こしてみると、どうして先生たちがあのような指導をしていたのか疑問だった。他にも学校生活内における色々な疑問が解けることになる。例えば、なぜ時代によって教わる内容が違っていたのか。10年ごとにテーマらしきものがあるのだ。
個人のそれぞれの普通はどの時代の学習指導要領かで違う。
ジェネレーションギャップの一部がこれにあたるだろう。

文部科学省がパブリックコメント募集する
私も存じ上げなかったが、学習指導要領改訂前にパブリックコメントが文部科学省から募集される。
正しくは「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめ」に関するパブリ ックコメント(意見公募手続)となっている。

前回のパブリックコメントのデータ

前回の意見募集の結果
(1)約1ヶ月間
意見の募集期間 平成28年9月9日(金)~平成28年10月7日(金)
(1)意見総数 2,974件
内訳:個人 1,587人 団体 162団体 ※不明:720件
※閲覧期間は1ヶ月あり、希望する場合はメールアドレスにて登録が必要。

まとめ
「義務教育なんだから、学校に行きなさい。」は子供からしたら可笑しな話なのだ。義務がかかっているのは親で、それを怠ることは憲法で定められた義務を果たしていないことになる。
つまり、全部、大人の都合じゃないだろうか。
私が学校で感じていたのは、学校ルールは先生たちが子供をまとめやすいようにという大人都合で作られたもので、生徒はそれに従わされている。
しかし、その先生たちもGHQ始まりの学習指導要領に基づき、国家の定めた方向性に沿っていたとしたら納得がいったのだ。学生として不満なら、無償じゃない、国家のおもう普通が定めらていない学校を選ぶべきだったのだ。アンスクーラーの私が大人になって、今はエデュケーターになり、みなさんにシェアしたかった内容である。