【エッセイ】氣の呼吸法の学び
氣の呼吸法は健康に良いという。全身に酸素が行き渡るため。もちろん、食生活も大切。医食同源と言うように。健康のためにはいろいろな方法があるが、私は、氣の呼吸法を選んだ。そうかといって、氣の呼吸法だけやっていればそれでよいというわけにはいかない。規則正しい生活、バランスの取れた食事、適度な運動などを総合して初めて、健康な体になる。その一つとして、氣の呼吸法がある。私は氣の呼吸法に懸けている。この呼吸法のやり方は、ここの「参考図書」に挙げた文庫本で分かる。
私の場合、氣の呼吸法を行ってみて、苛立ちが治まったり、落ち込みから立ち直ったりした。私の体調にもよるが、この呼吸法を静かに深く行うことができたとき、氣力がみなぎり、大きな充実感を得られた。また、周囲の世界が良く見えるようになる。無理なく自然と、前向きに明日のことを考えるようになる。そのときは、天地や私の周りの人々に感謝したくなる。私は生かされているんだなと。欠点としては、この呼吸法を行っている最中にあくびが連発して、これを続ける氣を削がれることがある。だが、この欠点を覆うだけの長所を私は実感したので、今でも続けている。また、良いことがあるかもしれないという期待を込めて。
あるとき、風邪をきっかけに、せきがひどくなった。昼も夜中も1日中せきをしていた。つらかった。私と同居している人が救急車を呼ぼうか迷ったほどである。
病院の薬を服用しているが、効果が明らかに出るまでまだ時間がかかりそうだった。「そうだ、こういうときこそ、氣の呼吸法だ」と思い立った。私が長年続けてきた呼吸法だから。やってみると、相変わらずせきが止まらなかった。氣の呼吸法は役に立たないのか。一度は断念しかけたが、ここまで続けてきたのだからと、あきらめきれずに何度も行ってみるが、やはりせきが出た。
ある時、ふと氣がついた。せきが出るのは私のやり方でどこかが間違っているからかもしれないと。そう思い直して、この呼吸法のやり方を一つ一つ点検してみた。すると、せきが出るときは、私の場合、息を吐くときに長く吐き過ぎるからだと氣がついた。そこで、吐く息を短めにして行ってみると、せきが出なくなった。病氣の体なのに、無理をして、長く吐こうとしていた。それは氣づかなかった。15分以上行ってもせきは出なかった。これで手応えをつかんだ。要するに、無理をせず、「出づるに任せ、入るに任す」。
ひどいせきで体が弱っていることを認め、謙虚になり、自分の体の現状把握から始める。そこからだ。それを改めて学んだ。氣の呼吸法をあきらめなくて良かった。
せきをきっかけに、この呼吸法の基本に帰ることもできた。感謝。
今では、せきがすっかり良くなった。病院の薬と氣の呼吸法のお陰で。
私にとって、氣の呼吸法は、死ぬまで稽古を続ける覚悟でいる。
【参考図書】
藤平光一『氣の呼吸法』幻冬舎文庫、2008年
藤平信一『心を静める』幻冬舎文庫、2012年