ジコ紹介
自己紹介ならぬ じこ(事故)紹介というのを、Sekky さんがだいぶ前に書いていたのをみて、面白いなとおもったのを思い出した。
だから私も、記憶のある範囲でジコ紹介をしてみよう。
3歳のころ・・三輪車が左マブタにあたり、パックリさける。
公園で遊んでいるとき、一緒に遊んでいた男の子がなにかの拍子に三輪車を持ち上げて、振りかざそうとしたのかどうかわからないが、思いっきり左マブタの上にあたりがパックリ切れた。詳細がどんな感じかは覚えてないが、痛くて大声で泣いたことは覚えている。
5歳のころ・・料理していた熱湯がお腹に飛んできてやけど。
台所でお母さんが料理を作っていて、ふとした瞬間に熱湯がお腹にかかった。今でもやけどの跡がのこっているので、結構激しめだったんだと思う。どんだけ痛かったのかは記憶にないが、とにかく熱くて大泣きをして、、お母さんが私をバスタオルで巻いてだっこして、近くの病院にダッシュしたのは記憶にある。
10歳のころ・・体育館のドアの根本に、指を挟み中指の詰めが剥がれかかる。この時は、生爪が半分ほどだらんとなって、血だらけになっていたから痛かったというのと怖かったという記憶がある。が、それよりも鮮明に覚えているのは、またもお母さんが包帯で指をぐるぐる巻きにして、私を自転車の後ろに乗せて、病院までダッシュしてくれたこと。その病院は大きな坂をひとつ超えなければならないが、いつもは自転車を降りて上がっていく坂を、後ろに私をのせたまま、立ちこぎで一気に坂を駆け上っていった。こーゆー時の火事場のくそ力ってほんますごいと鮮明に記憶に残っているできごと
中学2年・・陸上部で、背面飛びに失敗して思いっきり背中が棒にあたり、背中は擦り傷。さらにその棒が跳ね上がり、おでこにぶつかり、切れて、めちゃくちゃ腫れる。 まあ、擦り傷、かすり傷は中学なんで日常茶飯事で、大したことではないんだけれども、そのおでこの傷が英語のBのように切れていたらしく、かさぶたになってきた時にあだ名が一時的に「B」になったという想い出。子供ってほんま素直。。
そして夢みる年齢・・飲んだあと、夜中に原チャリと車で衝突して、原チャの後ろに乗っていた私は吹っ飛んで、血だらけになり顔やら足やら20針縫った時。死ぬ間際にスローモーションになるとかよく言うが、吹っ飛んだ瞬間にほんまにスローモーションになっていて、えっなにこれ。死ぬんかな。と、人生で初めて「死」の恐怖を感じた瞬間。絶対スローモーションなんかにはなれへんと思っていたのに、そんなことを思う暇もなく、絶賛スローモーションに。そして、前に乗っていた人は無傷!笑。そんなもんなんかい! と、つっこみたくなるw。その原チャで帰る寸前までのりまきさんも一緒飲んでいたし、寒い冬でタイツは2枚はいてたし、救急車で運ばれたけど、親に知らん。自分で帰れといわれるし(それが結果、色々考えれて良かったんだけどw)この件に関しては書きたいことがまだまだいっぱいあるな笑。それはまた機会をみながら。
その後は、チャリで坂道を転げて擦り傷、切り傷ができたなんてことはあるけれど、大きなジコはないかな。
30代でスケートにのって、ランプに入って、靭帯をのばしたのが大きなものとしては最後かもしれない。
40代の今、そしてこれからも音がなれば踊れるように、身をゆだねられるように、身体を柔軟に鍛えておかなければ笑。きたるケガにも対応できうるからだに少しでも近づけるように今日もストレッチをしていこう。
トップの写真は2年ほど前のサップヨガの風景。気持ちよかったなぁ〜。
今日もコーヒーを飲みながら。
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