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【 「覚醒」したら○○になる。☆☆できる!! ??? 】

数年前から「覚醒」という言葉、
いろんなところで見聞きすることが多くなった。

その内容は、
ウィキペディアにある、
「睡眠等から覚めること。または
覚醒し意識のある状態(覚醒状態)」
と言う、本来の言葉の意味を少し超えた
スピリチュアルな世界の「覚醒」
を意味していることは容易に解るだろう。

この言葉が散見される様になったと言うことは、
この意味での「覚醒」と言うことが、
ある程度人々に認識され、
市民権を持ったと言うことであり、
これ系の話を口にするだけで、
即、変人扱いされていた頃からすると、
『随分、世間は変わったな~』と思う。

「覚醒をした」と言う人々も多く見られ、
それを情報発信されている方々も増えてきた。

それに対し
「覚醒したい」と思う人も多くなり、
その情報を受信されている人も増えているようだ。

だが、そこで、私はとても疑問に思うことがある。

そもそも
『何故覚醒したいのか?
覚醒とはどんな物と捉えているのか??』
と言うこと・・・。

「覚醒したら○○になる!☆☆できる!!」
そんな風に捉えている人も多いのではないか?と思うが、
それは少し違うように思うのだ。

すべての事においてもそうだが、
「~したら」とか「~であれば」の
いわゆる『たられば』の世界は、

「お金持ちになれば幸せになる」
とか
「もっとダイエットしたらモテる」
とか
幸せでないことや、
モテないことは、
お金や体型という、
今、無い物や、持ち得てない物のせいにして、
現実逃避しているにすぎず、
そもそも元々存在しない世界・現実である。

それと同じ様に、
覚醒したら何かが訪れたり、変化する
と考えるのは、
まさしく『たられば』の世界のことで、
現実的では無い。

では「覚醒」とはどんな風にして体感できるのか?
起こるのか?
それは
自分を内観し、深く知ることを続け、
自分にはどんな個性や才能があるのか?
何がしたくて、何をする事に喜びを感じ、嬉しいのか?
そして
どう生きたいのか?
どう在りたいのか?
どうすることが「自分の命を生ききる」ことになるのか?

これらを
「問い続ける!」を
「重ね続けていく」過程で、
ある時ふと気づいたらそばにあるのが「覚醒」

自分を深く探求し続け、
それを元に「自分を生きる」過程で、
その段階・段階での「覚醒」がやってくると言う感覚。
だから「覚醒」には終わりは無いとも言える。

山を登る時、一歩進む毎に振り返る人はまずいないと思う。
ある程度進んで振り返り、
『あれ!!こんなにも上まで登っていたんだ~。
高ぁ~い!
見える景色も全く違う!!
すごぉ~~い!
視野が広い!』
と言う経験、したこと無いだろうか?
これが「覚醒」の感覚。

つまりは、静かにやって来て、
気づいたらそばにあって
『なるほどそうか!』を運んで来てくれるようなものだと思う。

覚醒は目的では無い、
と言うことは、
覚醒するために取る行動は、
あまり意味をなさない。

それよりも、
そこに行き着くまでの深い探求や過程が重要!

まずは自分を知ろう!とすること。
これが第一歩!!

逆を言うと、
これをはじめた人から漏れなく、
その段階での「覚醒」はすでに始っている。

つまりは、
沢山の人がすでに「覚醒者」であると言える💕

* 尚、いろんな考え方や捉え方があって然り、
正解は無い。なので、
他を否定したり、非難するものではありません!
あくまでもこれらは私見であることを申し添えておきます。

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