
はじめまして・四年後の破局
自己紹介
はじめまして、Kです。年齢:20代後半、性別:男
こちらのnoteでは、自分の体験を元に「愛」について書き出していきます。恋愛から家族愛など、皆さんも共感できる事が多くあると思います。
まだ体験していない事や、現在悩んでいる事など、皆さんの力になれたら幸いです。
「愛情」とは
皆さんは愛とは何か考えた事がありますか?
学生の頃、クラスメイトとの恋路に悩んだり、子どもができた時にどのように育てるか考えたりと、恐らく人それぞれに一度は考えた事がある内容かと思います。
結論からお伝えすると「愛情」=「繋げていく感情」です。
人間だけでなく、他の生物にも求愛行動が存在しますが、それはつがい関係を維持する為の本能的行動として捉えられています。
今日では、人間はそれに付随して、時には本能を超えて愛情を抱いています。
愛は一瞬で燃え上がるものもあれば、木の実のように熟して成るものもある。必ずしも自己や相手の利益が伴わない。しかし愛情に共通しているのは対象に対して、情を介して自分や他人に何かを後に繋げていく事です。そしてその為に愛という執着が必要になるのです。
体験談①「車輪」‐四年後の破局‐
馴れ初めと終わり
私には四年間交際していた女性がいました。
出会いはSNSのダイレクトメッセージからで、お互いの投稿の会話で意気投合、しばらくして交際に発展しました。
二人の住まいは離れており、所謂、遠距離恋愛でした。交際開始から季節ごとに、年に四回ほど会うような関係で、夜には毎日のように通話をしていました。
二人の愛は日々深まっていき、二年後に彼女は上京。半同棲生活が始まりました。
一年程経った後、私の父親が重い病気にかかり、次にはコロナウイルスの影響で仕事が低迷、そして交際相手との関係が徐々に悪化。負の連鎖が続くや否や、別れの日は訪れました。
歪んだ関係
遠距離から半同棲へと至った訳だが、実は二人は歪んだ関係で交際していました。
交際相手の彼女はメンタルヘルスが良好でなく、属にいう「メンヘラ」でした。半同棲前から、自傷行為などを繰り返す彼女に、会うたびにやめるよう伝えていましたが、彼女がそれを止めることはありませんでした。私はその行為を肯定できずとも交際を続けていました。
半同棲直後、一時的に自傷行為はなくなるもすぐに再開され、彼女は彼女自身の命を人質に、脅迫のようなメッセージを送るまでに至りました。
そして、仕事すらもできずにいた彼女は同時に「鬱病」でもあったのです。
結局、私は最後まで彼女の事を理解できませんでした。
それでも人には良し悪しがあり、彼女の良いところ、好意を寄せている箇所に目を向け接していました。
他にも問題は少なくありませんでした。
例えば、彼女と喧嘩をすると話の最中に彼女はスマートフォンを触り始める。少し嫌な事があると、歩幅を合わせずに歩く。私に甘えている訳でもなく、親御さんに対しても同じ態度を取っていた事など。
理解しようともできない中、「●●はやめなさい」「●●しなさい」と、注意すべき事柄はしっかりとすると決めていた。そんな生活でした。
ある日の夜、私の交友関係が気に入らなかった彼女は、彼女自身の首元に包丁を突き付けたのです。
私はこの時初めて、他人に手を挙げました。憎しみや怒りなどではなく、しっかりと意識の上で、手のひらで彼女の顔を叩きました。
決して良い事ではない事は承知、しかし目の前で命を軽んじる彼女に叫ばざるを得ませんでした。
平手打ちと同時に出た言葉は「いい加減にしなさい」
この時、私は気付いてしまったのです。
まるで反抗期の娘と親のようだと。
私は彼女に対して、恋人としてでなく人として接していく事に精一杯でした。
板挟み
彼女と半同棲をしていた。同棲でなく月の半数以上彼女の家で過ごすというもの。彼女をヒステリックに陥らせている原因は、ここにもあったかもしれません。半同棲に至るには理由がありました。
実を言うと、私は同棲どころか半同棲すらも予定にありませんでした。勿論、全くの予定がない訳ではなく、少し先の未来、ある程度費用を蓄え、共に生活しようと彼女と話していました。
そしてその会話をし一週間も経たず、彼女は突然、上京してきました。
あまりの突発的な行動に驚きました。彼女は貯金もほぼなく職もない。
住まいも未定で、何もかも未定。そんな中で彼女はやってきました。
東京にいる友人宅に数日泊まって宿を探す。それが彼女の唯一の計画でした。荷物は既に段ボールで彼女の友人の元へ届いていました。
当然ながら、彼女の親御さんとやり取りが必要になり、電話でのファーストコンタクトとなりました。社会人一年目の私はまだ実家暮らしで、自分の両親にすら会話を持ち出せていません。
既に地方から都会に繰り出した彼女の親御さんには止める術はなく。経緯を話すと、力になってほしいと交際や同棲を認めて頂きました。
しかし、私の両親の反応は真逆でした。
突然現れた彼女に対して、否定的な目線を送りました。
彼女の親御さんに話した内容をそのまま正直に、自分の両親に話しました。
同棲には猛反対。そもそも何故準備なく勝手に行動したのか。相手にも生活がある。そんな事すら考えられない相手と同棲は認められないとの意見でした。
私は私の両親が正しいと、明らかに間違えているのはこちら側の主張だとわかっていました。それでも、既に上京済みの彼女の為にも、無理を押し通すしかありませんでした。
落としどころとして半同棲生活の許可を得ることができました。
彼女視点、自分と生活していく覚悟がないように映った事でしょう。
しかし、それまでにひっかかる問題がいくつもあり、またこの時の両親の懸念もまた、同意せざるを得ませんでした。
盲目に「想う」
彼女と生活していく中で、多くの問題を抱えていました。
単衣に彼女の身勝手な行動に私は常に悩んでいました。
突然の上京から始まり、ヒステリックや話し合いでの態度などに我慢できず、私は彼女に言いました。
「もう少し相手のことを考えてほしい」と。思いやりを持ってほしいと。
それに対して彼女は答えました。
「想っているよ」と。
誰よりも何よりもあなたの事を考えているし、思っていると
言っていたのです。常にあなたの事を想っているのに、どうしてわかってくれないの。
彼女の想う気持ちは、彼女の中でしかなく私には全く伝わっていませんでした。執着は勿論感じていました。愛は間違いなくある事は理解していました。しかし、彼女が私に対してぶつける感情は「愛情」とは言い難いものだと考えました。何百件もの不在着信や、脅迫染みたメッセージは迷惑でしかなく、やはりすれ違いが起きていると彼女に伝えました。
私は彼女を愛していました。お互いの愛に違いがあったとしても、「愛」さえあれば、上手くやっていけると妄信していたのです。現状にトラブルを抱えていても、明るい未来を想像しながら共に生きていくと決めていたのです。
別れ
私は彼女からの大きな愛を感じていました。
しかし、愛情は感じていませんでした。
彼女もまた、私からの愛情を感じていませんでした。
私と彼女との間に愛情で結ばれた絆はなかったのです。
「私はこんなに愛しているのに、どうして愛してくれないの」
彼女は言っていました。
私はそう言われる度にこのように返していました。
「月の半分以上一緒にいるし、自殺を匂わせたメッセージが送られてはすぐに会いに行っている。」何があっても一緒にいる事が愛の証明だと。
お互いが理解し合う事はありませんでした。
ある日、彼女から「家の鍵が壊れたから持ってきてほしい」とメッセージが届きました。
いつものように彼女と待ち合わせをして家に向かおうとした道中、私に手のひらを向け「鍵」とだけ。
これから共に向かうのにどうして先に渡す必要があるのか不思議でした。
違和感を覚えながらも断る理由がないので彼女に鍵を渡しました。
家に着き、手を洗おうとすると暫く見ていなかった彼女の上品な下着が干されていました。そして彼女は自身が嫌っていた煙草を吸い始めました。勿論、私も反対派でした。いつもの席に着くと、
彼女は別れの言葉を口にしました。
今まで何度も同じような会話はあり、またいつものようにヒステリックを起こしているだけだろうと思いました。
荷物はまとめてあるから持って帰ってと、床に広げられた私のキャリーケースに、衣類や私物、ほぼ全てが詰められていました。
当然、私は何の冗談だと彼女に問いかけました。彼女は「もう別れるから」と言いました。
説明を求めても納得のいく理由がなく、今まで何度も話し合ってきた事柄を使い回すように言葉を並べました。
これまでの二人に終止符を打つほど明確で厳格な理由が微塵もなく、むしろいつよりも軽薄で投げやりな説明をされるだけでした。
何も納得がいかず問い詰めた所、言い返せない彼女は言ったのです。
「この際だから言うけど、他に好きな人いるから」
彼女には新しい男ができていました。
最も認められない理由が彼女の口から出てきた事実に、どういう事なのか尋ねる他ありません。しかし、声を荒げたのは彼女の方でした。
もういいから早く出て行ってほしいと怒鳴りつけ、こう言いました。
「出ていかないなら警察呼ぶから」
いつの間にか私は彼女の中で準犯罪者になっていました。
そして携帯端末を握り廊下に走り出した彼女は電話をかけ始めました。
泣きながら片隅で座り込み、連絡した先は警察でなく、新しくできた彼女の相手でした。
「●●君。出て行ってくれない。どうしよう」
聞こえた音声では彼女を慰めるような言葉と、心配のような言葉。
「うん。うん。そうする」
対策のようなやり取りが始まり、とうとう私は限界を迎えました。
荷物を持って、その家から出ていきました。
彼女が上京してきた時、彼女の友人宅から荷運びに使った大き目のキャリーケース。その際、タイヤが破損した為か、しっかり進んでくれない。
怒りや焦り、悲しみ色んなものが出てくる余地はなく、ただ力任せに荷物を引きずりました。
彼女が上京して来たあの頃から、このタイヤが壊れた時から、私たちは前に進めてなんかいなかったのかもしれない。
地面と摺り合って、回り切る事ができないこの車輪は、まるで私たちのようでした。
電車での帰路、私は彼女にメッセージを送りました。
もう一度一日しっかり考えてほしい。もしやり直す気があるなら、明日、彼女の最寄駅に来てほしい。
今までの二人の努力や時間、費やしてきた全てに見合う決断かどうか、考えるよう伝えました。
その日の夜、思いの他すんなりと眠りに付きました。
理由は一つ。私は彼女との絆を信じていたのです。
歪な関係ではあったでしょう。悲しみや苦しみもあったでしょう。しかし渦中であっても何があろうと、幸せを分かち合ってきた二人の四年間を私は信じて疑いませんでした。
そして翌日、指定の時間、場所で彼女を待ちました。
昨日メッセージで指定した時間に彼女はいませんでした。
私はそれでも待ちました。彼女は必ずここに来ると。
十分程過ぎた頃、そこに彼女は現れました。
私の、私たちのやってきた事は間違いではなかったのだと、安堵と嬉しさで満たされました。
彼女の家に着くと、お互い向かい合うように座り目を合わせ、この件について事の経緯を詳しく聞きました。
相手の男は最近ようやくと決まったばかりの就職先の人物で、相手からアプローチがあったそうだ。私の存在も認知していたようで、何とも失礼な人間だと思いました。続けて彼女は言いました。それで好きになった。これから彼とやっていく。
彼女は考え改め会いに来た訳ではありませんでした。
当然理解できずに尋ねました。
やり直す気があるのならと確かに伝えたはず。それでは何故、彼女は待ち合わせの場所にやって来たのか。答えはこうでした。
「かわいそうだから」
全く持って理解できませんでした。
四年も交際したのにも関わらず、あのような最後は可哀想だと思った。
彼女の言葉に腸が煮えくり返りました。
いい加減にしてくれと言いました。ここに来て喧嘩かと。それでも私は諦めませんでした。
しっかり考え直してほしいと言うと、彼女は考えを変える気はないと断言しました。
最後にもう一度だけ確認しました。
「それで本当にいいの?」
今までの事、これからの事。二人がいた記憶、今月に控えていたデートの予定まで細かく考えた上での決断なのかと尋ねました。
「まぁ、四年だからね。そんな簡単に決めてないよ」と彼女は言いました。
私は情けなくも、涙を流しました。今までの全てが目から溢れてきた。
出会いから全て。
予定になかった嵐の中、急遽高層ホテルで泊まった。体調不良の中、近所のお祭りに少しだけ無理をして出向いた。寒い中、流星群を探しに町を徘徊し、手を繋いでポケットに手を入れた。映画やイルミネーション、遊園地、大き目の銭湯、夏祭りで見た花火、クリスマス、美味しいと言い合ったご飯、ペアリングやお揃いの服、深夜の買い物、二人で準備し、鍵をかけ手を繋いで出かけた。そして手を繋いで帰った道。二人で見たこの天井。彼女の笑顔。
テーブルは涙で水浸しになって、彼女に聞きました。
「なにがだめだったの」
愛の違いに彼女は気付いていました。
彼女が恋人のようにずっとドキドキした感情を持っている中、私は彼女に家族愛のような感情を向けていた事が嫌だったそうだ。それが愛情であったとしても、同じ歩幅で歩いて欲しかったと彼女は言いました。
この時私は強く後悔した。
彼女の情緒に向き合う為に、躾や教えを説いた事。
悩み抜いた中で、正しいとわからず選択した接し方は間違いだった。
自分にはどうする事もできなかったのだ。取り巻く全てに頭を抱えていた当時、他に選択肢はなかった。それでも、彼女に向き合う前に寄り添う事が必要だったのだ。
こんなにも単純な事すらわからなかった自分が悔しくて、全てが申し訳なく思え、私は謝罪の言葉を口にした。至らなかった事柄全てを謝った。全部直すからとやり直す機会をねだった。
彼女の家から駅までの道のり。夕日が思い出を閉めていく。
もうここに来る事はないだろう。
何度も通ったこの駅も、きっともう来ないだろう。
実は彼女の家を去る時、一通の手紙を家のポストに入れた。
彼女の情緒についてや自傷を重ねていた理由など、思っていたけれど伝えていなかった事柄を、素直な本心全てを書き留めたものだ。
彼女の幸せを願い、私たちは終わりを迎えた。
後日談
彼女と別れ、半年が経った頃。一件のメッセージが届いた。
荷物が全て送られていない為、連絡先は残したままだった。
内容は驚くことに、費用請求だった。
私は当時就職に悩んでいた彼女に、資格を取る提案をした。その際発生した受講料を私に請求する為、連絡してきたのだ。
私は絶望した。
これまでの全てが何一つとして伝わっていなかった事実が発覚したのだ。
彼女にとって、私の四年間の苦悩や愛情それら全ては無駄でしかなかったのだと悟った。
「愛情」とは②
「愛情」=「繋げていく感情」である。
しかしこれらの体験経て、私は愛情の有無は他人にとって無関係なのだと考える。どれだけ自分が相手を思いやり行動していようと、その愛情が相手に伝わっていないのならば、価値はないのである。
勿論、相手の物事への理解度にもよるが、理解に達するまで言葉や行動含む全てで伝える努力をしなければならない。そして一度で相手に自分の全てを伝えきる事は不可能だ。
何十何百何千と、幾重にそれを伝え続ける必要がある。
特に感情というものは、流動的で常に僅かにも変化している為、その変化に流されないよう、愛は情を介して伝え続ける事で「愛情」はお互いの中で成立するのだ。
そして、その愛情は様々な方面に繋がっていき、人を幸福にするのだと私は思う。
あとがき
今回は特に恋人と愛情のすれ違いについて書きました。皆さんの体験とは少し逸脱しているかもしれませんが、少しでも「愛」について伝えられたらと思います。
読みにくい文章かもしれませんが、評判良ければ今後も書いていこうと思います。読んで頂き、ありがとうございました。
いいなと思ったら応援しよう!
