"常識"を読んで 小林秀雄「考えるヒント」より
小林秀雄はこの文章で、発展した科学を無意識に享受している現代人に対し、自分を顧みるように促している。
エドガー・ポーが自動チェス指し機の機構の中には必ず人間が入っているはず、と確信した件を「ポーの常識」と呼んでいる。ちなみにポーはこれのトリックを暴き中に人がいることを明かしたらしい。
科学が発展した現代で、いわゆる常識人なら「今は科学も発展しているしチェスを自動で指すことなんか余裕だ」と言ってしまいがちだろう。
ただ常識人のあなたは本当にそう言い切れるのか?と問うている。
科学の中身について知らない、知っていてもその使い方と、こうだろうという予測でしかない。
確かに現代を生きる上で常識は欠かせない。
今自分もこの文章をスマホのフリック入力で書いているし、現代ではほぼ必須技能の常識だろう。
画面の発する微弱な静電気を検知して、液晶画面上であたかも実際にスライドボタンが表示されているように制御する方法ひとつとっても、一から十まで理解するのは途方もない。生物分野、電気電子分野、情報電子分野、材料工学分野など原理から全てを説明できる人間なんてほんの一握りだろう。各分野の専門家も他の分野の説明はできないことがほとんどではないだろうか。
常識の範囲で生きていく上では、これらは必要ない。ただ何かしらの問題が起こった時に、これらの科学の中身を知らず反射で社会批判し始める人間はまるで計算機のようだ、と小林秀雄は締め括っている。
正直最後の締めはあんまよくわからなかった。計算機はものを判断することができないというポーの立場に乗っかった皮肉なのかな?
今話題のディープラーニング技術とかも、まさにこの内容通りであり、専門家も中で起こっている計算を把握できていないはずなので(学習データ全てのニューロンの活性化を追うようなことはしないという意味で)、ハルシネーションの判断などは課題になっているはずである。
60年以上前の文章だが、心がけるところは何も変わっていないと感じた。
読み始めですが面白そうなので是非
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