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映画「ルックバック」感想文
映画を観ることが趣味の人間なら一度は思った、あるいは言われたことがある、「これ何の意味があるんや?」
観てる時は楽しいし没頭できるしいい気分だけど、どうもただ消費してるだけという思いが拭えない。
藤本タツキはそんな僕たちに、漫画、映画など創作物の素晴らしさ、現実世界の辛さに立ち向かえる力強さを教えてくれた。
藤野が連載する漫画が明らかにチェンソーマンであることや、藤野・京本という名前からも、本作は藤本タツキの私小説性が非常に高いといえる。
創作の苦しみや、続けることのつらさはだからこそ、生き生きと私たちにも感じられる。
次回に「つづく」のは当たり前ではなくて、創作をつづけることで初めて達成されることに気づかされた。
最近聴いた、オモコロの原宿とTaiTanのポッドキャストでも似た話が出ていた。続けるのはだるい時もあるけど、続けないと辿り着けない場所がある。
ただ創作に限らず、勉強、筋トレ、人生、なんでもそうではある。続けること自体のだるさにも耐えて続ける、なんなら生きること自体のだるさに耐えて生き続けることの意味も、本作では描かれている。
本作の主題は、創作の苦しみに加えてもう一つ、現実世界の悲劇に対するフィクションの力強さ。
ワンスアポンアタイムインハリウッドは、現実の事件に対するifを描いていたが、本作ではそのifを描いた上で、そのifの作中の現実への影響まで描いている。
本作が藤本タツキの私小説とするならば、彼が実際に事件から大きな影響を受け、それに対し本作をもってある回答をした、といえるだろう。
その回答とは、少なくとも彼にとっては、フィクションは没頭するに値するものであり、そのことこそが凄惨な現実に向き合う方法である、ということ。
あまりにショッキングな出来事を真正面から受け止めると、何もできなくなり、心を病んでしまうこともあるかもしれない。
そんな中で制作や鑑賞を通して、とにかく人生を「続ける」ことは、心の傷を癒やし、前を向く助けになる。
藤本タツキが本作でフィクションのそうした力を表現してくれたことは、自分の人生を肯定してくれたようで嬉しかったし、制作に従事している人にとってはもうたまらないだろう。
ファイアパンチからチェンソーマンのアニメに至るまで、映画愛を炸裂させてきた藤本タツキの本作が映画化されたということは、ただの話題の漫画の映像化にとどまらない意義深さを感じる。
本当に凄まじいものを観てしまったな、という感想。