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愚直な男

○パワフルベイビー誕生


1991年バブル崩壊とともに産声をあげた

体格に恵まれてよく寝てよくミルクを飲み
フルスロットルでハイハイした

歩行器に乗せようものなら
「ホギャーーー!!!」
と暴れ散らかし
「俺の自由を奪うなー!!!」
と言わんばかりの抵抗をみせて解放された

結果生後9ヶ月ほどで大地を踏みしめるように
二足で独立した

独立後オモチャのボールを手に取り
「ブウォン!!!」
と円盤投げのようにボールを投げた

凄まじいスピードで投げた様子を母親がみて
「野球やらせよう」
と決心させるほどであった

○小学校時代

すくすく成長し体格も大きかったことから
特例で年長さんながら地域の
少年野球チームに入団した

凄まじい円盤投げをみせた
投げっぷりに磨きがかかり
周りの子達よりも球速や遠投の
成績は頭一つ抜き出てた

しかしそれに驕らず自分に
・グランド10周タイム走
・素振り100本
・シャドウ100本(タオルを持って投げる真似をする練習)
を課して平日は毎日取り組んだ

○中学時代

中学でも友達との遊びやゲームは少なめに全てを
「野球の上達」
に念頭に置いた生活を送っていたこともあり
ある程度の実力を示せたことで
大阪の強豪校に進学できた

進学の際親から勧められた高校と
自分の志望校が違っており
親が勧める高校は自宅から通うことができた

でも自分としては寮もあり寮の敷地に
練習場所が併設されてる高校の方が
「より野球に没頭できる」
「より上手くなれる」
と思ったので親の打診は
右から左に流れていった

○高校時代

親元を離れ寮生活をしながら
ひたすら野球に打ち込んだ高校時代

身体がボロボロになるほどの練習と
決して快適とは言えない寮生活により
「不屈の闘争心」
が育まれた

・山のてっぺんに寮がある
・携帯電話の所持禁止
・親に電話する時は寮長に許可を得て公衆電話から
・テレビは食堂に一つ
・帰省は半年に一度
・週に一度だけコンビニで買い物許可

などなど挙げ出すとキリがないが
ひとまず外界とのアクセスは遮断されてる
唯一学校で他の生徒と絡む時に
外界の情報を知れる

○大学時代

有難いことに監督からの打診で
指定校推薦で大学へ進学できた

大学でももちろん野球を続け
逆に野球し過ぎて年間で
「30単位」ほど落としてしまった
(年間で50単位取れる学部で)

常に野球を最優先にしその他には
時間を費やさなかったが大学で
理学療法士兼トレーナーの方に
指導をしていただいた時
身体が変化しパフォーマンスが
上がっていることに驚いた

ここがトレーナー活動を目指す
きっかけとなった

○卒業後どうする?

大学卒業からいわゆる
「スポーツトレーナー」
を目指すわけだが私個人の最終目標は
「野球しながら死ぬ」
わけわからんと思うので噛み砕くと
「子ども達に野球を教えるおじいちゃんになって野球に囲まれた生活の中で朽ち果てる」こと

そしてふと思ったのが
そもそも野球を教えるということは
野球以外の知識も必要だということ!

例えば練習メニューを組むにしても
野球の「技術練習」と
身体の「基礎練習」にわけることができる

経験上野球の技術はそれなりに蓄積されてるが
「身体のことは何もしらねぇ!!」
となったわけだ

そんな身体に詳しくないヤツに
この練習しろと言われても果たしてやるのか?
私はやらない!!

なのでまずは
「身体に詳しいスペシャリストになろう!」
と思い立ちこの業界に突っ込んだのだった

○就職

ひとまずフィットネスクラブ系の会社に行こうと
軽いノリで就職した先が
「色んな意味で激動」
となる事は1ミリも思ってなかったが結果
「運に恵まれ転換期」
となることとなった

スタッフは私以外全員が
「スポーツ運動系の専門学校卒業」
していたため出だしから8馬身差で遅れていた
(自分はただの文学部)

しかしそこから独学ながら勉強しまくり2年後に
NSCAジャパンが発効してる
「NSCA-CSCS」
というアメリカ発祥の会員数1万人を誇る
日本でも認知度が高い資格を取得!

それに驕らず当時資格認定者のみ
購入が許されていた
「ViPRライセンス認定者」
も取得!
(どんなアイテムや理論なのかは今後アップする予定)

また幸運なことに先輩後輩問わず
「優秀なスタッフが多かった」
こともあり常に勉強しないと
追いつけ追い越せ引っこ抜けない環境だった

それと身体のことを学ぶにつれてシンプルに
「人体って面白れぇーー!!!」
っとなっていたのがかなり大きい
ちなみにこの感覚はいまでも継続なう

○幸運な出会い

人との出会いは多くあれどここまで
「学びの多かった人はいない」

私の上司となるこの人の現場指導の凄まじさときたら
「諦めないで有名な私」を一瞬で
「こりゃ真似できん」と言わしめたほど

知識・経験・技術・頭脳・情緒
どれをとっても8馬身差どころの騒ぎではなく
ウサギとカメくらいの差があった
(一目瞭然比べるまでもない)

しかもあろう事にその上司の現場を
私が引き継ぐという地獄モードに突入した

その現場は完全に上司の色一色!!
要はしっかりファン化されている
しかもお客さんまで目が肥えてレベルが高い

カメさんの持ってる
浅い知識や技術なんて焼け石に水
でもやらなくてはならない!どうする?!

一点だけあった!
「元気よく一生懸命やる!!」
ぅんんんシンプル!!!

でも当然のことを当然の様に
やるのは案外難しい
しかもそれを毎レッスン毎日やるのは
実は相当なメンタリティとタフさがいるはず
(知らんけど)

手を抜けばすぐお客さんにバレる
それを繰り返せばお客さんとの信頼関係は崩れ
業績などに悪影響が出る

かといって元気よく一生懸命やっても
業績に結びつかないことも多々ある

でも諦めの悪い負けず嫌いのカメさんは
一喜一憂せずにやるべきことを愚直に取り組む

後で上司に聞いた話で
私を部下にした理由を聞くと
「熱心さと愚直さだけ」
とのことだった
いやそれだけかいっ!んーいやそれだけか!

でも後々この性質が
身を結ぶことになる

○不幸中の幸い

2020年にコロナウィルスが全世界を襲った

コロナ禍により人生が変わった人も多いと思うが
御多分に洩れず自分もその一人

コロナ禍で最初に発令された
「緊急事態宣言」(もはや懐かしい)
によってフィットネスクラブの
利用者数が激減し経営の
目処がたたなくなり会社は早々に
「従業員全員解雇」
の判断を下し流れる様に職を失った

がしかし私はこれを
「今がチャンス!!!」
と思い独立&開業を決心した!

以前から独立の考えは頭にあり
金融リテラシーを勉強したり
運営スタイルを模索したりなど
機をうかがっていた

そして開業するにあたり元々通っていただいていた
会員様に連絡をとりもしくは連絡がきたりなどして
数十名の方が開業即入会をしてくれた!
こんなありがたい話はない!

通常開業には
「お客様が来てくれるのか」
という最大の不安がつきまとうもの

しかしコロナ禍にも関わらず
多くの方々に入会していただけたのは
・これまでの信頼蓄積
・コロナによる事業撤退
・縁とタイミング
が上手く絡み合ってくれたおかげだと思う

その後も元会員様がネットや人づてに
私を探し見つけ出してくれたりなどして
ありがたいことばかり

でも一番ありがたいと感じたのは
「愚直なカメさん」
このカメさんが真摯に会員様と向き合い
虎視眈々と開業の準備をしていたのが
コロナ禍によって身を結んだ

「幸運の女神は前髪しかない」

チャンスがこちらを向いてるうちに掴まないと
後ろ髪はないので逃げてしまう

仕事がうまくいかなくても
業績がふるわなくても
無遅刻無欠勤で7年勤めた
会社から解雇を受けようとも
眼前のやるべきことに
一生懸命!愚直に!真摯に!
取り組んだ結果前髪をキャッチできた

その姿勢は今も変わらない!
むしろ個人事業主は尚更と思い常に
足下を見つめながら自分を高めている

私はそんな人間です


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