必要な方たちへ並木良和さんのメッセージが留まるよう、こちらではオリジナルメッセージを幾つかに分けて 断片的に 書き出しています。
今回は二回目。
オリジナル原文は YouTube配信されています。
是非 下記リンクでご覧下さい。
こちらの記事は↑↑↑で並木良和さんのメッセージを紹介していますが、3分割にして 短めに記事としたものです。
私のフィルターを通した部分引用の文章になっています。一番下に 全文を記しています。オリジナルは上記のYouTube動画でご覧下さい。
自分の行為がこうやって 意識上に認識していない何かを生み出しているものがある、と、観察してみると 興味深い状態が 分かって来ます。陥っている罠がどんなものか…というか、知らず知らず、例えば 自分が好まない状態を、実は 自分が生み出していた……とかね。
いかに 人は 意識せず 生きているのか…ということが分かってくる。これは無意識に自分を生き辛くさせている状態を 自分自身が生んでいることが分かってくる、…というもの。
自分にとって意図して行っているものはそれに対する因果として 結果が現れて来るので意識して何かを行っている場合、修正も早期にしやすい。
並木さんの表現、スピリチュアル的な表現として、「眠っている」状態、というのはまさしく こんな風に、今の自分の状態(自分のどんな行為が、どんなものを生んでいくのか…)に気付いていない ということが、眠っている、ということに繋がっています。
こんな仕組みが 文字として目で読むことで 分かってくると、自分の現実に人は 照らし合わせるようになっていきます。
すると「気付き」が起きてくる。
仕組みが分かってくる。物ごとがどんな風に作用し どんなものが生まれて来るのかも見えてくる。
因果が観えてくる。
そういうものが観えてきて 分かってくると、
どの部分を どう変えてゆけばいいのか…も分かってくるようになっていきます。目に見えない領域に手を入れることが出来るようになってゆく。
すると 現実も変わって来る、というもの。
この並木さんの表現に ハタ と気付いた人は多いんじゃないでしょうか?
ペアなのよね。
最近、対極とか 二極の話を書いていますが、切っても切れないのは、並木さんが仰ってること、そのまんまです。
逆の視点から観るとですね。「人を癒したい」そう希望するから「癒される人」が くっついて来ます。望みが叶ってる訳ですね。望んでる訳ですから。対極であり二極なので引き合ってるのですよね。
……とすると これらをどう転換して捉えると良いのか……というところですね。
自分の在り方、が その対極を引き合せる訳です。
「自己憐憫」なんかも同じですね。プラスとマイナスが引き合いペアが出来ます。DVなんかも、同じです。
もしも 「嫌いなものを 対極に据えた場合」対極には 常にそれらが 引き合って来ます。形を変えて現れるわけですね。
嫌いな人に対する 慈悲の瞑想の文言などがあります。
何故 嫌う人に対して 愛、慈悲の言葉を発信するように言葉が組み立てられているのか…?を考えると、その対象に対する「嫌う」状態が 薄らぐように、慈悲の愛の言葉が 置かれているのでは?と わたしは捉えます。
自分とは「対極」にある、「嫌う」状態から 送り続ける「慈悲の愛」で 薄らいでゆくとですね、「嫌いだった状態」が 気にならなくなってくる。
対極ではなくなる訳です。
「嫌い」が形を変えて「単なる違い」に変わってそれがそこに存在することを認め、受け入れられるようになっていきます。そして それが「在る」ことが気にならなくなって 境界が消えて無くなってきます。同化とか調和とかに近くなっていく。
すると 対極では無くなり、二極が薄らいで ついには「中庸、中道」といわれる所へとやってくる訳ですね。
昨日挙げた記事の中で
映画「リトルブッダ」の中で 語られた言葉を幾つか引用しています。ブッダが菩提樹の下で悟りを開いた時、“苦行では悟れない。”というのは おそらくご存知の方は多いでしょう。
そうなのです。映画の中で語られていたブッダの言葉をこちらにそのまま引用すると……
そうですね、
中庸とか中道……これがKeyとなっているようだと気付くことが出来てくる訳です。
𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣
その先の 並木さんの解説を
また 次回 読んでいきましょう。
次が 最終回に出来るかな?*˙︶˙*)ノ"マタネー
《下記に 並木さんのメッセージの全文を
添付しておきます。》