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将来記憶に残る年齢

先日家に帰ると娘が話をし始めた。

内容はその日学校で教えてもらったこと。

そして、その日は1月16日だったので、
明日が阪神淡路大震災から30年だということを
習ったらしい。

娘は震災のとき私がどうしていたのかを尋ねた。

私は京都で生まれ育ち、震災の時には京都にいたので
揺れは大きかったものの、
食器が割れたりした以外は劇的な被害を
受けることはなかった。

だが、あの震災の後に報道される映像を
毎日テレビで見続け、
しかもそれが自分たちにとって
比較的近い場所で起こっていることに
子供ながら心を痛めた記憶がある。

当時私は小学5年生。

その当時、学校で開催されているスポーツ教室で
バスケットボールを習っていたのだが、
練習が終わった午後5時頃に一人で家に帰っていた。

震災から数日経った後のことだったので、
午後5時と言えば外は暗くなっていた。

暗い道を一人歩きながら、
私はこんな寒い中で避難している人が
大勢いることを想像して胸が痛くなるとともに、
なぜか急に怖くなってきて
家まで全力で走って帰った。

その記憶がなぜかしっかりと
頭に焼き付いているのだ。

我が家の息子もいま小学5年生。

まさに当時の私と同じ歳である。

そう考えてみると、彼に今起こっていることは
間違いなく未来の彼の記憶に
しっかりと残るということでもある。

これまでも別に記憶に残るかどうかを
意識して子供たちと接してきたわけではないが、
自分自身が小学校低学年の頃の記憶は
とても曖昧なので、
子供たちを見ていても当時の自分と重ね合わせることは
あまりなかった気がする。

だが、息子が今経験している色んなことが
記憶に残るとすれば
いい意味でも悪い意味でも妙なことは
言えないということに改めて気が付いた。

記憶に残る言葉というものはその後の自分の人生に
影響を与える言葉だとも言い換えることができる。

自分が発した言葉が息子にとって
これまで以上に大きな影響を与えると考えると
何だか妙に身が引き締まる思いがした。

これまで以上に彼らに投げかける言葉には
気を付けていこうと思う。

ところで、私は周りの人に子供の頃のエピソードを話すと
「よくそんなこと覚えてるな」と驚かれることが多く、
実は自分は妙な記憶力の持ち主なのではないかと
密かに思っている。

あなたが思い返して比較的はっきりと記憶に残っている
最も若い年齢をコメント欄で教えて頂けると嬉しい。

ちなみに、阪神淡路大震災の影響で
私達の6年生の修学旅行は行き先が
長崎から伊勢志摩に変わった。

結局機会に恵まれずそれ以降
私は人生で一度も長崎には足を踏み入れまいまま
今に至っている。

その代わり伊勢志摩は私にとって特別な場所に
なったわけであるが、
震災30年を迎えた今年こそ
長崎リベンジをしてみたいとひそかに思っている。

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