コミュニティに属するのが辛いなら
はじめに
あなたは人の輪に入れなくて悩んだことはあるだろうか。
子供の頃に友達が輪になって遊んでいるのを羨ましいと思いながらも、自分から声はかけられないし、かといってその中の友達から声もかけてもらえない。そんな思いを一度ならず何度も経験したという人は少なくないだろう。
それも子供の頃だけならいい。しかし、大人になって家族ができてからもそのような悩みを抱える人は決して少なくない。
子供を公園に連れて行くと、公園には既にママさんのコミュニティができていてそれに入ることができずに悩んだり、自治会に参加すれば昔から住む人たちのコミュニティができていて、新参者の自分が入るタイミングがなかったり、むしろ大人こそこのような悩みを抱える人が多いような印象すらある。
中にはそんなシチュエーションでも何の苦も無くコミュニティに入っていける人もいるが、自分もその人と同じようにコミュニティに入ろうとすると何だか空回りしてしまってうまくいかず悩んでしまう。そんな人の助けになりたくて私はこの記事を執筆することを決めた。
とはいえ、私は対人関係において特別なスキルを持っているわけではないし、二人の子供を持つ単なる会社員である。そんな私が何をお伝えできるかと言うと、私自身が同じ悩みを持って生きてききて、そしてそれを克服してきたからこそ書けるノウハウである。
実は私も妻も長年、コミュニティに入れないことに悩んできた。だが、子供が大きくなるにつれてそのコミュニティに入る必要が生じた時、私達はあることを意識することで少しずつだがこの問題を解決することができた。本書ではその経験から学んだ問題解決の手法をお伝えするとともに、そのために必要なマインドの持ち方についてもお話している。コミュニティに参加する度に嫌な気持ちを持ってしまうあなたがこの記事を読み終わるころには少し楽な気持ちで参加できるようになれれば嬉しい。
ちなみに、このお話を進めていくにあたり、コミュニティについてピンとこない人もいると思うので、少し例を挙げようと思う。
多くの人がピンとくる身近な例だと職場があるだろう。会社・職場というのも一つのコミュニティの一つであるが、仕事をしている間ならば自分のミッションをこなすことに注力すればいいのでそれほど苦痛を感じる事はないだろう。だが、いざ昼休みになると多くの人が連れ立って食事に行って、楽しそうに談笑している中で自分だけが独りぼっちになって食事をしてしまう。そんな経験がある人もいるのではないだろうか。
幼稚園や保育園の保護者同士のつながりも一種のコミュニティと言えるだろう。特に幼稚園の親同士となると、“〇〇ちゃんママ”などという呼び方から始まり、そのうち下の名前で呼び合うような仲になる人たちも少なくない。そうなるとお迎えのたびにコミュニティが形成されていき、その中に入れない自分が孤立しているように感じられてしまうこともあるだろう。
また、習い事なども一つのコミュニティである。このような課外活動は日ごろ生活する空間とは違う場所の人と出会えるいい機会であるが、それは全く見ず知らずの人が既に形成しているコミュニティに入るということでもある。スポーツなどのように一つの目的に向かって共に頑張るようなコミュニティならば比較的入りやすいかもしれないが、それでもそのようなコミュニティが苦手で運動不足を感じながらもジムに加入するのを躊躇っている人は少なくない。
これらはコミュニティを表すごくわずかな事例ではあるが、これらを見ただけでも私達がいかに多くのコミュニティに巻き込まれているかを実感いただけるであろう。当たり前のことだが、私達は一人では生きていけない生き物である。人間としてこの社会で生きる以上は必ず誰かの助けを借り、そして自分も誰かを助けながら生きていかねばならない。そういう意味で、人生とはまさに常に何かしらのコミュニティの中に居続けなくてはならないゲームともいえる。つまり、私たちにとってコミュニティの中にいることに不安がない状態とは人生に対して不安がない状態とも言い換えることができるのだ。
この記事のタイトルを見て「わたしには関係ない話かも」と思った人も多いかもしれないが、ある意味で私達は生き続ける限りコミュニティに属し、その中で生きていかねばならない。そう考えると、この記事でお伝えすることは全ての人に当てはまる内容なのである。
コミュニティに属することが辛い
私達は生きている限りコミュニティに属していなくてはならないことは前章でご理解いただけたと思うが、これだけコミュニティが私たちにとって大切で身近なものにも関わらず、なぜ何とも感じない人もいれば所属することに苦痛を感じる人がいるのであろうか。これには人の心理的な要因が様々に関わっており、主な原因は4つあると言われている。
まず一つ目は内向的な性格であるということである。これは最もシンプルに理解できるであろう。元々内向的でコミュニケーションが苦手なので、多くの人が群がるコミュニティに苦手意識を感じてしまう人は子供の頃からごく身近に目にしてきた。ただ、このようなタイプの人はなんとなく周りも「あの人は内向的な人だから」と一目置くことが多く、いざコミュニティの中に入ってしまえば比較的ポジションを確立しやすい人でもある。
二つ目のタイプは自立心が高いタイプである。何事も自分で考えて自分で行動できる自立心がある人は、コミュニティに属することを苦手とする人が多い。コミュニティは中に属することで安心感を得られる反面、何か意思決定をするときには全員の足並みをそろえる必要があるため、非常に時間がかかってしまいがちである。このタイプの人はそのような意思決定の遅さに非常に苛立ちを感じるとともに、自分だけで行動したいという感情が芽生えるためコミュニティに属することを苦手と感じる場合が多い。
例えば、ご高齢の方がメインで運営されている自治会やPTAの活動にバリバリ仕事をこなす現役のビジネスマンが所属する場合にはこのようなストレスを感じる人が非常に多い。意思決定に過去の慣習の影響を強く受け、新しいことにチャレンジしようとしない保守的な空気は自ら行動してビジネスを変えようとするビジネスマンにとって非常にもどかしくストレスフルなものである。
三つ目のタイプは人目を気にしないタイプである。前述したように私達を取り巻くコミュニティは非常に多岐にわたっているが、多くの場合コミュニティは強制的に参加させられるものではない。例えば、先ほど例に出した子供と一緒に行く公園のママコミュニティなどは全く強制のものではないはずである。本来子供を公園という公衆の場に遊びに連れてきているだけである。だが、多くの人はそこに自然発生的に生まれたコミュニティに所属し、その一員としてふるまうことを選ぶ。それはまさに周りの目が気になるからである。目の前にあるコミュニティを無視することができれば所属する必要などないのだが、多くの人はそのコミュニティに所属しないと不利益を被るのではないかと周りの目を気にしてしまい、結局所属してしまう。逆に周りの目を気にせず我が道を進むことができる人にとっては、このようなコミュニティが不思議に思えてしまうものなのだ。なぜなら、そこには何の強制力もないからである。このようなタイプの人はこのような自然発生的な強制力のないコミュニティには自ら進んでは参加しないし、そのようなコミュニティに対して比較的批判的な見方をする人が多い。
ここまでコミュニティに所属しない、もしくは所属することに違和感を持つタイプを3つ紹介してきたが、あなたは正直どのタイプも自分にはイマイチ当てはまらないと感じているのではないだろうか。自分は決して内向的なタイプでもなければ、取り立てて自立心が高いわけでもない。そして決して周りの目が気にならないタイプでもない。にもかかわらずなぜ自分はコミュニティに所属することに違和感を持ち、ストレスを感じてしまうのだろうか。
実は本書は次の4つ目のタイプに当てはまる人を想定して書いたものと言っても過言ではない。それは、人の顔色を気にしてしまうタイプである。こう書くと3つ目の周りの目を気にしないタイプと真逆な気がするが、まさにその通りである。このタイプの人はコミュニティに所属することで安心感を得ると同時に、周りの人が取る態度や発言に対してとてもセンシティブに反応してしまい、自分が嫌われているのではないか、嫌な態度を取ってしまっているのではないかと気になってしまうのだ。特に何か目的を持ったコミュニティの場合、色んな人が意見を出し合って意思決定をするというプロセスが必要になるが、そのような議論が繰り広げられると、自分が発言することがとても怖くなってしまう。それは、自分がした発言により誰かが嫌な思いをしたり、最悪の場合自分がそのコミュニティの中で村八分にされてしまうのではないかと恐れてしまうからである。傍から見てみれば「そんなことぐらいで誰も村八分などしないだろう」と思うかもしれないが、当の本人は色んな人の小さな変化を非常に敏感に察知してしまえるだけにストレスを感じてしまう。そうすると、最初は安心感を得たくて入ったはずのコミュニティがストレスだらけのモノになってしまい、苦しいばかりになってしまうのだ。このような人は一般にHSP気質が強い人と言われる。
HSPとはHighly Sensitive Person(特異的に敏感な人)という英語の頭文字を取ったものであり、ここ10年ほどで一気にその存在が公に認められるようになった。だが、HSPと精神科医で診断を受けなかったとしても、このような気質は誰しもが多少なりとも持っていると言われており、その気質が強い人はコミュニティに属することに非常に疲れてしまう場合が多いのである。本書を手に取ったあなたは恐らくコミュニティに対して苦手意識があり、そこに入らなければならないと思う反面、中に入るとどう振舞っていいのかわからなくて戸惑ってしてしまい、結果として余計に居場所がない気がしてしまったはずである。そんなあなたは一度自分のHSP気質が強いのではないかと考えてみてほしい。そうするとこれまでコミュニティに対して自分が持っていた感情や認識も何となく納得できる気はしないだろうか。あなたを悩ませていたのは、誰でもなくあなた自身の気質なのである。
とは言え、自分のHSP気質が強いと知ったところで一体何ができるのであろうか。「私はHSP気質が強いです」と周りに公言するというのも一つの手かもしれないが、それは現実的ではない。そんな荒療治のようなやり方よりもHSP気質が高いなら、それに応じた対処法というものがちゃんと存在している。次章ではそんなあなたがコミュニティの中で辛い思いをせずに過ごすための具体的なテクニックをご紹介しようと思う。
まずは必要のないコミュニティを排除することから
ではさっそくHSP気質の強い人がコミュニティの中でストレスを少なく過ごす方法を解説していこうと思うが、その前に一つだけ大切な大前提をお話しておきたいと思う。それは“必要のないコミュニティには参加しない”ということである。コミュニティの中でストレスを感じない方法を説明するのに何だか矛盾して見えるかもしれないが、これは非常に大切なことである。なぜなら、HSP気質の強い人はそもそも周りの目にも敏感な人であることが多いので、ついついコミュニティにも入らなくてはならないと思い込んでしまい、多くのコミュニティに所属してしまいがちだからである。意識してコントロールをしておかないと、ストレスの要因となるコミュニティばかりが増えていきどんどん辛くなってしまうのだ。だが、意識をしていても知らぬ間にコミュニティに巻き込まれてしまうことはしばしばある。特にHPS気質の強い人は周りからは優しく気の利く人と思われることも多いので、無意識のうちに入れられてしまうことが多い。あなたがもしこのようなタイプならば、ぜひ自分が今属しているコミュニティが一体どれだけあるのかを定期的に書きだしてみるといいだろう。書きだしてみると自分がいかに多くのコミュニティに属しているか驚くはずである。これはぜひHSP気質のない人でも試してみてほしい。一つ一つのコミュニティで感じるストレスは小さかったとしても、その数が多くなれば当然のようにストレスは積み重なってしまう。まさに“塵も積もれば山となる”である。
書きだして自分が所属しているコミュニティを可視化したら、後はその中から必要なものをピックアップして、それ以外のものは潔く抜けるか、抜けるのが難しければ距離を置くようにすればいい。このときくれぐれも必要かどうかを判断する基準に周りの目を入れないようにしてほしい。「このコミュニティを抜けるとあの人がどういうかわからないから」「私が頼りにされているから」のような理由は完全に判断基準が他人軸なので、そこは自分を苦しくしないための必要な事と割り切ってしっかり判断すべきなのだ。このステップではあなたが感じる感覚にあえて目をつむって進めてみてほしい。
HSP気質の強い人同士のコミュニティに参加する
前章で紹介した方法で自分にとって必要のないコミュニティを排除したならば、次は自分が所属するコミュニティでうまくやっていく方法となるが、実際HSP気質が強い人はコミュニティの中でなんとなくうまく振舞えないという違和感をいつも持っているものである。
“これを言うと変なヤツと思われるのではないか”、“自分は浮いてしまうのではないか”、“どんな態度を取るのがベストなのか”さながら初めて顧客の接待に参加した新入社員のような気持ちをいつも抱えることになってしまうのだ。周りが優しい言葉をかけてくれたとしても、他の人たちが楽しそうに談笑している姿を見れば自分が浮いているような気になり、逆に静かだと自分のせいで話が弾んでいないかのような気がしてしまう。本書を書いている私もHSP気質が強いタイプなので、子供の頃からこのような居心地の悪さをずっと感じていたし、大人になり色々なコミュニティに参加する度に早く帰って一人になりたいと思ってきた。「周りの目など気にしなければいい」そんな風に思う人もいるかもしれないが、それが簡単にできるぐらいならば誰も悩まないだろう。気にしないということが難しいからこそHSP気質が高い人は居心地の悪さを常に感じているのである。では、このようなタイプの人はどのようにコミュニティに参加すればいいのであろうか。
そのカギはHSP気質の強い人同士のコミュニティに参加することである。「コミュニティで苦しい思いをしている人の悩みを解決するのがなぜコミュニティなのだ」と思われるかもしれないが、ここでいうコミュニティはリアルに対面するような場ではない。試しにインターネットで「HSP コミュニティ」などと検索すれば、多くのサイトがヒットするはずである。このようなコミュニティの多くは匿名で、HSP気質の高い人(巷では「繊細さん」などと呼ばれる)が自分の直面したケースとその対応などを書いている掲示板サイトのようなものである。一見するとただエピソードを見ることができるだけのサイトの様に見えるが、このようなサイトで自分と同じような気質を持つ人が取ってきた対応を見る事で、実際自分に同じようなシチュエーションが訪れた時にかなり楽に対応できるようになるものなのだ。人と人との対面で生じる心の動きはどんな人も読み取ることはできないので、誰しもが相手にちゃんと自分の意図が伝わったのか、そしてそれを受け取った結果相手がどのように感じたのかを少なからず不安に感じているものである。そして、HSP気質が強い人はその感覚が極端に強いため、とても辛くなってしまうのだ。だが、事前に他の人が経験した事例を見ておけば何となく相手がどう感じるかをシミュレーションすることができるので、不安に陥る可能性をかなり低減することができるのだ。もちろんシミュレーションしていったとしてもその通りにならないことはあるし、その時には焦ってしまうこともあるが、何も心に準備がない状態と比べるとそのリスクは明らかに下がっているといえるだろう。そうしてあなたが何かを乗り越えられた経験、もしくはうまくできなかった経験を得たなら、それを次はあなたが発信者となってコミュニティに投稿するのもいいだろう。HSP気質の強い人に限らず人は相手の感情よりも自分の感情に対しては比較的無頓着な傾向にあるので、発信して自分の感情を言語化してみると次に同じようなシチュエーションに陥ったときに自分の感情と向き合いやすくなるものである。実際、私は毎日noteと言うプラットフォームで日々何気ない日常の中で感じたことを1500~2000文字で発信して2年弱になるが、この発信をし始めてから明らかに自分の感情と向き合えるようになった。ある意味発信するということは自分の感情を客観的に覗くようなものである。それをリアルタイムですることができれば、コミュニティの中で不安な気持ちに陥った時にも冷静に対処することができるだろう。
このようにHSP気質の強い人たちが集まるコミュニティに参加することでかなり楽に過ごすことができるようになる。先ほども述べたがこのようなコミュニティはネットで調べれば無数に出てくるので、ぜひあなたに合うものを見つけてみてほしい。
小説を読んでみる
先ほど挙げたHSP気質の強い人同士のコミュニティに参加するという方法に近いものがあるが、HSP気質の強い人にはぜひ小説を読むことをオススメしたい。なぜなら、小説ほど人の気持ちを理解することに長けたコンテンツはないからである。今の時代、YouTubeやAmazonプライムなどで動画コンテンツを見る事はできるが、基本的にこれらのメディアでは相手の気持ちや主人公の気持ちを想像することが容易すぎる傾向にある。特に最近の作品は感情をあえてセリフにする傾向があるので、視聴者は特に想像力を使うことなくコンテンツを見ることができてしまうのだ。2020年に大流行したアニメの鬼滅の刃という作品があるが、あの作品では主人公の炭次郎が心の中で発している声が極端なほどに作品で描かれている。鬼滅の刃の部隊となった時代の背景や、主人公の置かれた境遇の特殊性を鑑みたとしても、私にはあのセリフは過剰と思えるほどである。もちろんそのような部分はあれど作品自体が面白いことには全く疑いの余地はないのだが、せっかくコンテンツを見るのならば感情を自分で想像し、それを味わうほうがHSP気質の強い人にとってはメリットが大きい。小説では色んな登場人物が出てきて、その中でその人たちの人生が進んでいく。まさに頭の中で登場人物の人生を疑似体験しているようなものなのである。実際の人生でコミュニティに属するのはストレスを感じるけれど、このように小説の中で他人の人生を疑似体験し、そこでコミュニティに属することはストレスを感じることがない。ある意味ストレスフリーでコミュニティに属する人達がどのようなことを考え、どのように心を動かしているのか見る事ができるのである。しかも、小説ならば本を変えるだけで多種多様なシチュエーション、コミュニティを体感することがいつでもできる。まさにダメージを受けることなく自分の防御力を高めることができるチート技のようなものだ。読書をすることを勧める意見が世の中には沢山あるが、特にHSP気質の強い人にこそ私は小説を読むことを強くお勧めしたい。
理解してくれない人を遠ざける
HSP気質の強い人にとってはコミュニティに参加し、その中でうまくやろうとすることはとてもストレスを感じることであると何度も述べた。だが、そのような人の気持ちをどうしても理解できない人は一定数いるのも事実である。よくある事例としてはHSP気質が高い子供を持つ親の事例である。このような子供は最も身近なコミュニティである学校に行こうとすると、とてもストレスを感じてしまう場合があるのだが、親はそれに気づくことができず、子供が単に甘えているだけだと考えて叱ってしまう。そうすると、子供は家族というコミュニティに対しても安心感を持てなくなり、さらに引きこもってしまう。親が何かしら情報を収集する中で自分の子供の気質に気が付いて適正な対処を取れればいいのだが、HSP気質が極めて弱いタイプの親であれば、自分の子供の気持ちに全く気付くことができない場合がしばしばある。残念なことにこの場合、子供は親を遠ざけることは難しいのだが、大人になってHSP気質の強い人のことを理解できない人と出会ったならば、自らの意思で遠ざけることができる。「いつか理解してくれるかもしれない」と希望を持ち、付き合い続けるという選択もあるが、いつまでも理解してもらえないならどこかで線を引いてその人と距離を置くことは、HSP気質の強い人が楽に生きるためには非常に大切なのだ。
なぜなら、身近な人に理解をしてもらえないことで、自分の気質を受け入れることが難しくなるからである。HSP気質の強い人はコミュニティの中でうまく振舞えないことに対して一種の自己嫌悪を持っている場合が多い。他の人は上手く振舞っているのに自分にはできないという劣等感がトリガーとなって、自己嫌悪に陥ってしまうのである。そんな傷を負った状態で家に帰ってきて、家族にその話をすると「それはお前の甘えだ。お前からちゃんと歩み寄らない限り周りに受け入れられるわけがない」などと言われればどうなるだろうか。完全に逃げ場がない状態になってしまい、最終的には社会に出られなくなってしまうであろう。そうならないためにも、特に身近な家族に自分の気質を理解してくれない人がいるならば、その人から距離を置くべきなのである。もしその人を遠ざけることが難しいならば一人で暮らすほうがずっとマシである。HSP気質が高い人はもともと特定の物事に感受性が強いタイプなので、本来一人でいる時間をもっと大切にすべきなのだ。仮に自分の気質に理解のある家族と一緒に住んでいたとしても、一人で過ごす時間をできるだけ大切にすることで、HSP気質の強い人はかなり楽に生きられるようになる。一人の時間で心のダメージを回復することで、外のコミュニティに参加する意欲も湧くし、少しずつコミュニティの中にも仲間ができて参加することに対する心理的なハードルも下がっていくであろう。
HSP気質が強いことはマイナスではない
ここまでHSP気質の強い人がコミュニティに参加するために日常で気を付けるべきポイントを解説してきたが、こうしてまとめると何だかHSP気質が強いというのはとても生きにくいことのように見えてしまうかもしれない。先ほども書いたように、他の人がするように気軽なコミュニケーションを誰とでも取れたなら楽になれるのにと羨む気持ちはHSP気質の強い人も感じているものである。だが、HSP気質が強いということはそんなにネガティブなことなのであろう。この章ではその点を少し掘り下げてみようと思う。
私達は子供の頃から友達は多いほうがいいと教えられてきた。小学校に入るときには「友達100人できるかな」などと歌い、できるだけ多くの友達を作ることが素晴らしいと暗に植え付けられていた。そのような傾向は大人になるまで続き、色々な活動に参加したり、生徒会長のような役割を担ったりする人を素晴らしいと大人は賞賛する。だが、多くの人と接したり、様々なコミュニティに参加したりすることは果たして本当に素晴らしいことなのであろうか。確かに多くの人に会うことで色んな価値観に触れることはできるであろう。だが、先ほども書いたようにそのような価値観は読書によってもある程度は触れることができるし、ストレスを感じる代償として得るべきものだとも言い切れない。さらにコミュニティに参加することは必然的に自分でコントロールできない時間を増やすことにもつながる。コミュニティに参加しながら他に自分の好きなことは原則としてできないし、多くの場合リアルな会場で開催されるのでその場所に行くまでの時間も取られてしまう。かなり制約の多いものがまさにミュニティというものなのだ。私達はそれぞれ人生の時間を与えられて日々生きているが、その時間を使う先は全てあなたが決めていいものなのである。周りの人がどう見るか、どう感じるかというのは全くあなたには関係のないことであるし、それを決めるのはあくまでも他人のタスクなのである。そう考えたとき、無理にコミュニティに所属しようとすることがいかにバカげたことであるか実感できるのではないだろうか。ある意味、コミュニティに所属することに疲れるというのは、人の感性にも非常に細かく気が付ける繊細さを持っているということである。これを例えるならば、とても小さな音もよく拾う高性能のマイクを持って、大音量のライブ会場に行くようなものである。そんなことをすればマイクがおかしくなるのは当たり前だし、音楽が綺麗に録音できないのは言うまでもないが、HSP気質の強い人がコミュニティに無理に参加しようとすることは、これと同じなのである。せっかく小さな音も拾える高性能なマイクを持っているならば、ライブ会場ではなく、鳥の鳴き声が聞こえるような山の中や川のせせらぎが聞こえるような渓流の音を拾うほうがずっと向いているのだ。HSP気質が強いあなたはそのような場所で自分が持つ気質をしっかりと活かすべきなのである。HSP気質が強いからこそ拾える音は必ずあるはずだし、それは間違いなくあなたにとって強みなのである。ナイフという武器は一見すると銃のような長距離戦を戦えない弱い武器のように見えるが、見方を変えれば銃弾の有無に囚われることなくいつでも戦うことができて、短距離で確実に相手の弱点を狙える優れた武器ともいえる。これと同じようにあなたは自分がせっかく持っている武器のマイナス面にあまりに目を向けすぎなのだ。HPS気質が強い人は他人の心を敏感に察知できるからこそ、人が求めるものを察知しやすいのでマーケティングのような仕事に活かすのもいいだろうし、本やブログなど文章を書く仕事で読者の人が読みたいと思えるコンテンツを作るのもいいだろう。ネガティブな面に目を向けるのではなく、せっかくならあなたの持つ気質の良い面をもっと探してみてはどうだろうか。
HSP気質の強い人こそ“課題の分離”を意識せよ
本書の中でもチラホラ登場するのでお気づきの方もいるかもしれないが、私はアドラー心理学の考えを取り入れて物事を考えるようにしている。実際、私自身がHSP気質の強い人の一人で過去から悩んできたのだが、アドラー心理学と出会い、その考え方を取り入れることでかなり楽に生きられるようになったと実感している。そこで、この章ではHSP気質の強い人が取り入れるべきアドラー心理学について簡単にご紹介するとともに、その中で最も重要なポイントである“課題の分離”についてご説明しようと思う。
まず、最初にアドラー心理学とは一体何かというとオーストリアの心理学者であるアルフレッド・アドラーが提唱した心理学である。アドラーの名前はあまり聞いたことがない人も多いが、ユングやフロイトなら一度は耳にしたことがある人も多いだろう。実はユングもフロイトも同じ時代を生きた心理学者である。アドラーが提唱したアドラー心理学は名前こそ心理学と言っているが、その内容は心理学というよりも哲学に近いものである。
こうして見るととてもとっつきにくそうに思われるかもしれないが、そんなとっつきにくいアドラー心理学を一躍有名にしたのが岸見一郎氏が著した「嫌われる勇気」という本である。この本はアドラー心理学がテーマの本であるが、アドラー心理学の考え方を青年と哲学者の対話を通して学べる形式であり、読書が苦手な方でも読みやすい一冊であった。実際、私もこの本をキッカケにアドラー心理学を知ったのだが、その考え方は本で読むと非常にスッキリと納得できるのに、いざ実践しようとするとなかなか一筋縄でいかなかった。その都度私はこの本を読み、自分の解釈が間違っているのかを確認したので、結果としてこの本を5回ほど読むことになったのだが、ある時それがなぜだか気が付いた。それは自分があまりに周りを意識して生きていたからである。この記事の中でも何度も書いているように、私はHSP気質が強いタイプである。そのことで子供の頃からなんとなくコミュニティに属することに違和感があったし、今でも新たなコミュニティに属する時には強いストレスを感じてしまう。そして、その気質故に私はあまりに周りの人の顔色を見て色々な物事を決めるようになっていたのだ。
ではなぜ人の顔色を見ることとアドラー心理学は相反してしまうのかと言うと、それはアドラー心理学の根底には「課題の分離」という概念があるからである。課題の分離とは私達が課題直面したときにその課題が誰にとって直接影響を与える事象かを考え、それによって影響を受ける本人だけがその課題に対処をするというものである。こうして文字だけで見てみるとなんだかとてもシンプルな事の様に思えるが、実生活を思い浮かべると私達はこの課題の分離が驚くほどできていないものである。
例えばあなたに子供がいるとして、子供が宿題をしていないとする。この時多くの親は無理やりにでも子供に宿題をさせようとするであろう。だが、これは課題の分離の原則からすると、誤った行動となるのだ。なぜなら、宿題をしないことで学力をつけられないのも、先生に叱られるのも全ては子供自身が影響を受けるからである。
つまり、これは子供のタスクであり親のタスクではないのだ。にもかかわらず、多くの親は子供のタスクをあたかも自分のタスクの様に考えて行動しようとしてしまう。それは決していいことではないとアドラー心理学では考えているのである。
では、他人のタスクを自分のタスクのように扱い対処してしまうことは一体なぜダメなのだろうか。先ほど挙げた例で考えてみよう。本来子供のタスクなのに親が何でも対処してしまうと、子供は自分のタスクに対する責任を持つことができなくなるばかりでなく、そもそも自分のタスクとは一体何なのかが見えなくなってしまう。そのまま成長してしまうと、その子供は自分のタスクに気づくことができない人になってしまう。自分のタスクが見えないと他人のことばかり見てしまうであろうし、本当の意味で自分の人生を歩くことはできない。
実際、現代の親子関係はこの課題の分離ができていないことが多く、自分のタスクが一体何なのかわからない子供が非常に多いのだ。もちろん、そのような家庭で育ったからと言って皆がそうなるわけではなく、家庭以外の置かれた環境で少しずつ自分のタスクに集中することができるようになる場合もあるが、仮にうまく修正することができても人間関係においては自分のタスクと他人のタスクの区別がつかず苦労する人が多い。
私はこの記事の中で“HSP気質が強い人“という言葉を多用してきたが、このような気質の人の中にはここで言う課題の分離ができないがゆえに苦しんでいる人が一定数いると考えている。
では課題の分離ができないと、なぜ人は人間関係に苦しくなってしまうのだろうか。それは自分が周りにどう思われるかということは、完全に相手のタスクだからである。HSP気質の強い人は周りの目を気にしたり、目の前の人の言葉や反応に異常なほど敏感になったりしてしまう。だが、本来自分が発した言葉や取った態度に対して相手がどう感じるかというのは相手のタスクである。その感情を私達はどうやってもコントロールすることができないし、その感情によって影響を受けるのはあくまで感情を持った本人だからである。
このように言うと「自分の行動や言葉遣いによって相手に与える影響は変わるではないか」と思う方もいるかもしれないが、確かにそれは一理ある。だが、いくら相手が自分に対して良い感情を持つように仕向けたところで、相手がそれをいいと思うかは100%コントロールすることはできない。逆に良かれと思って取った行動が仇になることなど世の中いくらでもあるものなのだ。
先ほどアドラー心理学を有名にした一冊として「嫌われる勇気」という本を紹介したが、このタイトルこそまさに相手が自分を嫌うことは相手のタスクだということを表しているのである。HSP気質の強い人はどうしても周りの人の反応を敏感に感じてしまうが、それを感じたところで本来恐れる必要はないのである。音に敏感な人が日常の中で余計な音が聞こえるからといっても、それを気にしなければ全く問題なく生活できるように、HSP気質の強い人も相手の表情や反応が気になったとしても、別に気にする必要はない。なぜなら、相手が自分の発言や態度にどう反応しようとも、そして仮に自分を嫌おうとも、それは相手のタスクに過ぎないからである。つまり、自分にはどうしようもないことなのである。自分にはどうしようもないことに悩むことはとてもナンセンスである。私がアドラー心理学を自分の生活に取り入れようとしたとき、私はこの課題の分離が十分に理解できていなかったので何度も躓き、なかなか取り入れることができなかったが、恐らくあなたが課題の分離を取り入れようとしたときにも取り入れるまでに時間がかかるであろう。それぐらいこの課題の分離に反することを私達は日常生活の中で当たり前にしているものなのである。しかし、課題の分離を取り入れることでHSP気質の強いあなたが多くのコミュニティに溢れたこの人間社会を今よりもっと楽に生きられることは間違いない。ぜひ、この考え方をあなたの中に取り入れてみてほしい。
とは言え、どのようにして課題の分離を取り入れていけばいいのかわからない人も多いだろう。次章では課題の分離を日常生活に取り入れるポイントを解説しようと思う。
“課題の分離”の取り入れ方
前章では課題の分離がどのような考えなのかを簡単に説明したが、その考え方を取り入れるためにはいくつかポイントがある。本章ではそのポイントを2つに分けてご説明していく。
① テレビやニュースを見ない
課題の分離を意識するために最初にすべきポイントは実はテレビやニュースを見ないということである。
テレビやニュースと課題の分離に一体何の関係があるのかと思われるかもしれないが、実はテレビやニュースこそが私達から課題の分離を遠ざける大きな原因なのだ。そしてそれは、テレビやニュースで報道していることは他人のタスクばかりだからである。テレビのニュースを見れば、非常に多岐にわたる話題が報道されている。政治・経済の話からスポーツの話、そして芸能界のゴシップネタまで取り上げられるが、これらの情報のうちあなたが直接的に影響を受けるものは一体いくつあるだろうか。もちろん中には自分の生活に直結するような話題もないわけではないが、90%以上の情報は自分には関係もなければ自分にはどうしようもないニュースなのである。
芸能界のゴシップネタなどはその観点で見てみると、なぜ報道するのか不思議なほどである。だが、多くの人はそれを見てしまう。それは、テレビやニュースはそれをあたかも自分事のように報道して視聴者に見させるように仕向けているからである。
例えば芸能人Aさんが不倫をしたという報道があったとしよう。それを見ているあなたはAさんにもともと興味があったわけでもない。ところが、その報道の中ではAさんがどれほど酷い行いをしていたか、これがいかに奥さんの献身的な支えを裏切る行為であるか、そして不倫の場所に安いホテルを使っていたなどというAさんの品位を落とし、不倫により多くの人が被害を受けたというような報道がなされればあなたはどう感じるだろうか。「Aさんはなんて酷い人だ」と憤るかもしれないし、「Aさんの悪事についてさらに公開すべきだ」などと思うだろう。
だが、冷静に考えて見ればAさんが不倫したとしても、その結果Aさんの奥さんが精神的な苦痛を味わったとしてもあなたには何一つ影響はないし、あなたにできる事はない。つまり、これは完全に自分のタスクではないのだ。テレビやニュースはこれを錯覚させるのがとても上手いので、ついつい自分のタスクかのように勘違いさせて、視聴者を惹きつけようとする。そして、このような報道を習慣的に見るようになると、私達は少しずつ自分のタスクなのか他人のタスクなのかが区別がつかなくなってくるのである。
よくSNSの世界では炎上という言葉が聞かれるが、炎上している発信に寄せられた反応を見てみると、あたかもその発信により被害を受けた当事者かのように多くの人が批判を書いたり、リツイートしたりする。
だが、このように批判している人も結局は当事者ではない。発信に対して反応するかどうかは自分が決める事ではあるが、同じようにその発信主が自分の考えを発信するということは相手のタスクなのである。相手のタスクにもかかわらず、多くの人がそれに反応することを選び、結果として炎上という形となる。
年間に発生する炎上件数の推移を示すデータは残念ながら見つけることはできなかったが、これだけ身近に炎上という言葉を耳にするということは炎上させてしまう件数は増加しているのであろう。
つまり、それだけ多くの人が自分のタスクと他人のタスクの区別がついていないということなのである。
少し話が横道にそれたが、人々が課題の分離ができなくなった大きな原因こそテレビやニュースであり、それにより他人のタスクに踏み込んで生きにくいと感じている人は多いのである。
私はかれこれ10年ほどテレビやニュースを可能な限り見ない生活をしているが、続けてくにしたがって少しずつ自分のタスクに集中できるようになったと実感している。課題の分離を日常生活に取り込み、自分のタスクに集中したいのであればぜひテレビやニュースを生活の中から遠ざけてみてほしい。
② 誰が得するかを考える
テレビを見ないこととも共通する内容であるが、何か情報に触れた際にその変化によって誰が得をするかを考えることを意識することは課題の分離を生活に取り入れるためには重要なことである。なぜなら、何かしらの変化が生じるとき、その変化の裏には必ず誰かの思惑が潜んでおり、その思惑により得をする人が必ずいるものだからである。
SNSを見ていると、日々多くの発信が飛び交っているが、その中でもインフルエンサーと呼ばれる人の発信には多くの人がいいねを押し、その発信の影響を受ける人も少なくないだろう。そして、多くの人がその発信に影響を受け、その発信内容と異なる自分に対して苦しい思いをしているものである。また、インフルエンサーでなくても知り合いがSNSに発信している情報を見て自分が劣っているような気がしてしまい、なんとなく居心地が悪くなることもあるだろう。そうした感情は間違いなく実生活にも影響を与え、リアルなコミュニティに参加することのハードルを上げてしまうものである。
だが、これらの情報は本来自分には直接的な影響はないものであるはずである。テレビの様にそれらの情報を自分事と思わせる必要もないはずのSNSでなぜこのような錯覚を私達は抱いてしまうのか。それは、SNSで見ている世界が自分の今いる世界と錯覚してしまうからである。あたかもSNSの中で繰り広げられている世界がすべての様に錯覚してしまうからこそ、私達はその中で誰かが発信したことと異なる自分が異質なもののように思ってしまうのである。ここでSNSをキッパリと止められれば非常に楽になれるのだが、今の時代特に若者世代にとってはSNSなしで生きていくのは並大抵のことではないだろう。
では、このような錯覚に陥らないどうすればいいのだろうか。そのカギこそ“誰が得するかを考える”ことだと私は考えている。SNSの発信を目にしたときに、その発信をすることで誰が得をするのかを考えてみるのである。例えばインフルエンサーが何か自己啓発的な発信をしているとしよう。一見すると、それは多くの人の為を想って発信してくれているように見えるが、一体この発信をすることで誰が得をするのだろうか。その答えは、間違いなくインフルエンサー本人である。目的は自分の権威性を高めるためかもしれないし、自分が販売している商品やオンラインサロンに入ってもらうことが目的かもしれない。いずれにしても、彼らは何かしら目的があってその発信をし、その結果、得をしている(少なくとも得をしようとしている)のである。
こんなことを言うと彼らがとても悪いことをしているように思うかもしれないが、これは慈善事業ではなくビジネスなのである。そのことをいつも念頭に置くことでSNSを見るときにも課題の分離を意識することができる。
これらの2点を意識してみることで、少しずつ自分の課題とは一体何か、逆に何が自分の課題ではないかがわかるようになってくるものである。HSP気質が強くコミュニティで苦しい思いをするあなたはこの2点をぜひ意識してみてほしい。
おわりに
本文の中でも書いたように、私自身HSP気質が高く苦しい思いをしてきた経験がある。かつての私が悩みながらも自分なりにベストなコミュニティとの付き合い方、そして付き合う上でのマインドを手に入れてきた。この記事が今まさにコミュニティに所属することに悩むあなたに届けばうれしい。
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