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写真に写った自分を見て驚愕した話
1か月ほど前の話になるが、
親戚に不幸がありお通夜、告別式に参加していた。
参加したとは言いながらも
喪主は私の母だったので、実質我々兄弟が
このお通夜も告別式も仕切らなければならない。
私達を子供の頃から可愛がってくれた親戚だったので
悲しい別れであったが、
年齢も95歳と高齢だったこともあり
心のどこかで覚悟はしていたので
淡々と式を進めていた。
そうして迎えた告別式。
参加者全員で祭壇の前に並び
集合写真を撮ることになった。
私は喪主に近い立場なので前列の
センター付近に座っていた。
そうして、写真撮影が終わり、
諸々完了して告別式も終了した。
私の場合、そこからまだ車を運転して
母や家族を家まで送り届けなければならないので
一仕事残っているわけであるが、
ひとまず式が滞りなく終わり安堵していた。
そんなとき私の携帯に通知が来た。
見てみると、告別式の際に撮影した写真が
LINEで送られてきているようである。
私の兄はこういうことをマメにしてくれる人なので
彼らしいと思いながら写真を開いてみた。
告別式には私の妻と子供たちも参加していたので
写真を見た際にまず家族がどのように写っているかを
確認したわけであるが、
ふと自分の姿を見た時に驚愕してしまった。
何だ、このやせっぽちなヤツは。
言うまでもなく私は毎日自分の姿を鏡で見ている。
最近機会が少なくなったとはいえ、
オンライン会議に参加する際に
カメラに映った自分の顔を見る機会が
ないわけではない。
なので、写真に写った自分の姿に
違和感など持つはずないと思っていたのだが、
そこに映る私は何ともやせっぽちの
頼りない人間のように見えたのである。
言われてみれば12月に参加した元同期達との
食事会の際にも妙なほど「痩せた」と言われたし、
友人達との数年ぶりの食事会でも
「痩せた」を連呼されていた。
体重自体は劇的に減ったというわけでもないし、
毎日自分を見ている限りは大きな差はないと
思っていたのだが、
この写真を見れば痩せたと言われるのは
納得できる気がする。
私は子供の頃太っていた時期があり、
その時によく太っていることをからかわれたので
太りたくないという気持ちが無意識に
心の中に染みついている。
今では習慣になっている筋トレも
元々は太りにくいように基礎代謝を上げることが
目的で始めたものであったし、
食品の栄養値に妙に詳しいのは
食べるもののカロリー計算をするためであった。
(今ではカロリーなど気にしていないが)
だが、まさか40歳を超えて逆に痩せていることに
悩みを抱えるようになるとは
思ってもみなかった。
今から15年ほど前、私はマレーシアに赴任しており、
その頃時々出稼ぎ労働に来ていたベトナムの方と
食事をしに行く機会があった。
彼らは宗教的にお酒を飲めるので、
一緒に酒を飲みながらパーティのような感じで
食事をしていたのであるが、
その際に、いつも「お前はもっと食べて太れ」と
言われていた。
その理由は太ったほうがもっとモテるという
一見適当なものであったのだが、
今回告別式での自分の姿を見た時に
脳裏にふとかつてベトナムの方が言ったアドバイスが
頭によぎった。
とはいえ、今から積極的に食べて
わざわざ太ろうとは思っていないものの、
見た目が相手に与える印象はやはり大きい。
時には自ら写真に写り、客観的な見た目を確認して
自らをコントロールすることも大事だと
改めて感じた。
ちなみに家族で出かけた際には
基本的に私が写真を撮る担当であるし、
妻が写真を撮る際には子供たちだけが
写る場合がほとんどである。
なので、自分の携帯を見ても
家族写真を見てもこの数年ぐらい
私自身の姿は登場していない。
自分の姿を写真に収めるために
自撮り棒でも購入しようか、
そんなことを密かに思っている
アラフォーであった。