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「ザ・争続」仁義なき戦い ~遺産分割調停のリアル〈プロローグ〉

実家の母からの電話
  「入院してたS兄さん亡くなった・・・火葬場に11時だって」
私 「なに、お葬式じゃないの? 直葬ってこと?」
母 「だからお香典、いらないらしいよ」
私 「伯父さん独身だったしね・・・誰が来るのよ? 近場の身内だけ?」
母 「姉さん病気で来られないからH兄さんと、あんたのいとこだけ」


生涯独身を通して病死したS伯父の直葬当日、火葬場に集まったのは私の母の実家であるN家に関わる親族のみで、私たち夫婦と母、Hという名の伯父と私のいとこが3名。

亡き伯父の相続人となる可能性のある親族のうち、近場に住んでいた者だけが一堂に会したのですが、お棺に収まった故人を見送った後、遺体の焼却が終わるまで控え室で待機。

昼時でも弁当さえ出されず、年賀状のやりとりだけで付き合いのない親族同士ではヨソヨソしいだけで大した会話もなく、孤独のうちに亡くなった伯父の弔いは簡素で侘しかった。

2年以上前の出来事なので記憶が薄れかけているのですが、火葬待機中の控え室で、亡き伯父が入院中に事務手続きを担った最年長の私のいとこが故人の財産目録らしき書類を捲りながら、「預金が思いの外あるね・・・〇千万くらい?」と嬉しそうに話していたのは覚えている。

「 (遺産分割協議のために) 親族で集まらないとね」ということも、いとこは話していたような気がするのですが、当時は故人の姪である私には関係ない話だと思っていたので他人事で、その場のことは聞き流していた。

まさか半年後に「争続」の発端となる驚くべき事実に直面することになるとは、その時の私は夢にも思っていなかった。


これから始まる長い連載は、筆者自身が今現在、煩わされている遺産分割調停を含む、仁義なき争続の一部始終を生々しく描いていきます。

プライバシーに関わる内容であることと、現在進行形の事案ゆえ、慎重に書き進めたいと考えているので、本編を始める前にいくつか前書きを。

原因となった親族が亡くなってから遺産分割調停の開始までに2年の月日を要し、その間に起きたトラブルから説明するので調停に至るまでのエピソードが長くなるかもしれませんが、私自身の記録としたいので克明に書いていきます。

次回からまず自己紹介をさせて頂きますが、更新は不定期となります。

調停の進行が2ヶ月に一度のペースになっている関係で、進展ない時期は更新の休止もあるかと予想されますが、相続問題に関心をお持ちの方に読んで頂ければ幸いです。宜しくお願いします。

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