「風邪を引くから早く服を着なさい」は本当なのか
子供のころ親に言われ続けてきた言葉がある。
「風邪を引くから早く服を着なさい」
あなたも一度は親に言われたことが
ある言葉ではないだろうか。
私には小5と小1の子供がいるが、
彼らにそれこそ口が酸っぱくなるほど
言っている。
だが、これはとても不思議なことである。
数年前に新型のウイルス対策が広がった際に
そのウイルスに触れる機会を少なくするため
3密を避けて、マスクを着用、
そして手洗いと手指の消毒をしてきた。
それは何らかの拍子にウイルスがのどや鼻につくと
そこからウイルスが増殖して、
そのウイルスに感染してしまという
ロジックだったはずである。
それから数年が経ち、今ではマスクをする人の割合は
かなり減ってきて、
電車の中ではマスクをしない人の割合のほうが
多数派であるし、
今や飲食店でもソーシャルディスタンスは
意識しない席の配置になった。
例のウイルスは分類が変えられたことにより
今ではインフルエンザと同じような扱いを受けているが、
流行が始まった頃から言われているように
このウイルスは風邪の一種というような見方が
広がってきた。
だが、ここで一つの疑問が浮かんでくる。
これだけ皆がマスクもしなければ手指の消毒も
ソーシャルディスタンスも取っていないのに
なぜ例のウイルスはかつてのように大流行しないのか。
当時聞いていた理論に基づくならば、
例のウイルスは大量に空気中に浮遊しているだろうし、
手指消毒をしなくなった今では人が触るあちこちに
存在しているはずである。
それならば本来皆が感染してもおかしくない。
だが、波はあるもののかつてのように感染者が
劇的に爆発するようなことはない。
このような話をすると
「それはワクチンの成果の一つだ」と
思う方もいるだろう。
ワクチンにより抗体ができたことで
ウイルスが接触しても感染しにくくなることは
理論上ありえることである。
だが、私の周りにはワクチンを一度も摂取していない人が
何人かいる。
その人たちは抗体がないはずなので、
とても感染しやすいはずであるが、
営業職だったり電車通勤をしている彼らは
不思議な事に一度も感染していない。
これはどういうことかというと、
ウイルスに接触したとしても感染しないのは
ワクチンによって得られた抗体の効果というよりも、
私達の体がもともともつ免疫力の力によるものであると
いうことである。
冒頭に書いた疑問に戻って考えてみよう。
仮に寒い服装をして体が冷えてきたとしても、
その様子を見たウイルスがその人をめがけて
集まってくるようなことはない。
そもそもウイルスに自ら行動するような力は
ないものだからである。
では、なぜ体が冷えると風邪を引くのか。
冬の寒い日は空気が乾燥しているので、
ウイルスが飛散しやすく、
のどや鼻の粘膜も乾燥しがちになるので
ウイルス自体が増殖しやすい条件がそろい
感染しやすくなるのは理論的にも
何となくわからないではない。
しかし、調べてみるとこの問の答えは
冷えによるストレスで一時的に
免疫が落ちるからというものらしい。
よく体が冷えることで体温が下がるから
免疫が低下するという人がいるが、
私たちの体温はそんなに簡単に変化しない。
簡単に変化してしまうようならば
サウナに入って水風呂に入るなど自殺行為に
他ならなくなってしまう。
私たちの体には体温維持の機能がちゃんとついており
環境に合わせて体温を調整できるように
なっているのだ。
つまり、子供のころから言われてきた
「風邪を引くから早く服を着なさい」言葉は、
ストレスを感じたら風邪をひくから
早く服を着なさいということである。
だが、果たして私達がストレスを感じるのは
冷えだけだろうか。
どう考えてもそうではない。
ストレスを感じる状況を挙げていけば
枚挙にいとまがないし、
筋トレやスポーツの様に爽快に感じることでも
体にとってストレスになっていることは
沢山ある。
本当にストレスが原因ならば
結局のところ、どうあがいても風邪を引いたり
何かのウイルスに感染するか否かは
その人が元々持っている免疫力と
あとは運次第だということなのだ。
私はここ2年ほどで自分の免疫が落ちたと
感じることが非常に多くなった。
ちょっとした傷も化膿してしまうことが多いし、
昨年には帯状疱疹を発症して、
今年の初頭には人生で初のインフルエンザに罹患した。
この原因は加齢によるものかもしれないし、
例の感染症が流行していた頃に仕方なく接種した
ワクチンの影響かもしれないが、
誰に聞いても答えはでてこないだろう。
だが、少なくとも子供たちは免疫力が
落ちることがないように
出来る限り気を付けてやりたいと思う。
いつもの様に風呂上りに肌着だけで
部屋をウロウロする子供たちに
「早く服を着んと風邪ひくで」と言いながら
ふとこんなことを思った木曜の夜であった。