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3年間の毎日更新で私が得たもの

昨日記事の更新ボタンを押すと
1096日連続更新という数字が表示された。

1000日連続という大台を迎えるまでは
薄っすらと連続更新日数を意識をしていたが、
正直1000を超えてしまうと
その数字への興味が以前よりも薄れ、
何となく数字を眺めるだけになっていた。

だが、よく考えてみると365日×3=1095日であり、
今年はうるう年だったことを考慮すると
今日の更新が私が連続投稿を初めて丸3年の
記念日であることに気が付いた。

丸3年間といえば中学生が入学から卒業までの期間。

3年前の写真を見ると我が家の子供たちも
まだかなり幼い感じがする。

3年間とはそれだけ長く、大きな期間なのだ。

では、3年前の私と今の私では
何かが変わっただろうか。

そう考えてみると特に何かが変わったという
感じはしない。

別にこの3年間で文章力が向上したわけでもなければ、
noteのフォロワーが大幅に増えたわけでもない。

連続投稿を始めたばかりの頃に比べれば
私の記事は多くの方の反応を頂けるようになったが、
それもnoteの世界で見てみれば大した数字でもない。

こうして振り返ってみると別に大した変化は
ないように見える。

私達は子供のころから塵も積もれば山となると
教わってきた。

日々何かを継続することでそれは
大きなものになるので
諦めずに継続せよという教訓である。

この教訓が正しいのであれば、
3年間毎日書き続けていれば何か大きな
変化があってもよさそうな気もするが、
こうして振り返ってみても私の中で大きな変化は
特にないような気がするのだ。

このように書くと、何かしら変化を求めて
毎日更新を頑張っている方を
ガッカリさせてしまうかもしれない。

だが、これは3年間毎日更新を続けてきた私の
紛れもない実感なのである。

実際、私も1年連続更新までは
その先に何か大きな変化があるのではないかと
期待していたし、
継続した先で見える景色はきっと
大きく変わるのだろうと思っていた。

しかし、連続更新を1年、2年と続けていくにつれ、
その考えは間違っていることに気が付いた。

自分が何を得たいのかわからないまま
継続をしてもなにも変わらないということである。

漠然と期待はしていたものの、
私はnoteを毎日更新することで
どのレベルまで文章力が上手くなりたいなどとは
考えていなかった。

仮にnoteを続けることで文章力を得たいと思うならば、
書き続けるプロセスの中で
新たなことにチャレンジしてみたり
学んだことを反映させなくてはならない。

だが、私は文章力を伸ばすことを
目的としていなかったので
毎日継続をしても別に文章力が上がらなかったのだ。

継続は力なり。
この言葉に嘘はないと私は信じているが、
単に継続するだけでは大きな力は得られないのも
事実なのである。

では、私はなぜnoteを書き続けるのか。

その答えは3年間書いてきたことで
より明確になった気がする。

それは楽しいからである。

純粋に自分の思考を
人様に苦なく読んで頂けるレベルの
文章に仕上げて発信することが
楽しいのである。

自分の思考を可視化するだけならば
もっと別の効率的なやり方があるだろう。

だが、その思考を文章にして発信するには
何かしらのストーリーが必要になる。

ストーリーとはいわば味付けである。
 (決してストーリーを盛っているわけではない)

思考をそのまま箇条書きで発信するだけでは
読み手は非常につまらないものになるが、
そこにストーリーをつけることで
読み手の方に面白く読んで頂けるようになる。

このプロセスがとても楽しいのである。

では、なぜこのプロセスが楽しいのかというと、
自分の思考にストーリーを付けることは
自分の人生にストーリーをつけることと
同じだからである。

私の記事は基本的に書くテーマを決めていない。

大まかに分けると数種類のカテゴリーに
分類されるのだろうが、
それをあえて分けるということはしていない。

それだけ色んなテーマについて日々発信をしている。

そんな色んな物事に対する一つ一つの考えに
ストーリーをつけて発信することで
私の人生には間違いなくストーリーが付いた。

誰しもが自分の記憶に
ストーリーを持っているはずなのに
思い出してみると何だかつまらないと
思えてしまうのは、
記憶が箇条書きのようになっているからである。

だが、私はこの3年間色んな思い出に
ストーリーをつけて発信したことで、
自分の思考が見えただけでなく、
その思考に色どりが付いたのである。

先ほども書いたように、私はこの3年間の毎日更新で
特に何も変わったという実感はない。

だが、間違いなくこの3年間の毎日更新により
私の思考は色どりをもって記憶に残された。

頭の中のテーブルに乱雑に置かれた食材が
日々の調理により、
色鮮やかで美味しそうな料理に変化したような
そんなイメージである。

3年間も毎日更新を続けて得られたのはそれだけかと
思われる方もいるかもしれない。

だが、人生最後の時になって
自分が毎日発信をし続けたことは
間違いなくいい思い出だったと思える自信がある。

それだけ思考にストーリーをのせて
発信することは楽しいことなのだ。

これからも楽しいと思える限り
発信は続けていくつもりだが、
私がこうして発信を続けられているのは
間違いなく日々駄文を読んで下さる方が
いるからである。

記念日だからというわけではないが、
改めて感謝の気持ちを皆さまにお伝えしたい。


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