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子供に夢を託す大人たち
先日こんな記事を書いた。
息子は今5年生だが、中学受験を考えている。
私自身は地元の効率で全く構わないと
思っているタイプなのだが、
本人が受けたいと思っているならば
私としてはNoという理由は特にない。
(もちろん金銭的には痛いが)
だが、我が家に限らず中学受験をする親子の様子を見ていると、
何だか親が子供たちを誘導しているような
感じを受けてモヤモヤするというのが
この記事で私が書いたことであった。
うちの息子はサッカーをしているが、
サッカーにおいても子供に厳しく指導する親を
しばしば見かけるし、
家の近くにあるバッティングセンターに
休日に行こうものなら、
子供につきっきりでバッティングを教える親を
必ず見かける。
別にこれ自体は決して悪いことだとは
私は思っていない。
だが、あくまでそれは子供自身がそれをしたいと
思っている前提においてである。
特にスポーツの場合には親が子供に対して行う指導は
厳しいものになりがちなので、
逆にそのスポーツを嫌いになるような事例も
少なくないだろう。
何かをなし得たいならば厳しさは必要だが、
親はあくまでサポーターとしているぐらいが
ちょうどいいのではないかと思っている。
だが、なぜ受験やスポーツにおいて多くの親が
子供たちに夢を見て、必死になってしまうのだろうか。
その疑問がずっと私の中にあった。
そんなとき偶然読んでいたのがこの本。
「他人を攻撃せずにはいられない人」を著した
精神科医の片田珠美氏が書かれた本で
出版されたのは2014年であるが、
その内容はとても面白いものであった。
本書には身近にいるプライドが高くて困る人の事例、
そして、その傾向や対処方法について書かれている。
「これは〇〇さんと同じだ」などと思いながら
対処の仕方を学べるとても面白い本なので
ぜひ機会があれば読んでみて欲しいのだが、
なぜ人はプライドが高くて迷惑な人になってしまうのかが
書かれている章に面白い記載を見つけた。
私達人間は子供の頃に必ず万能感のような
感覚を身に付けている。
子供が色んな事にチャレンジしたがるのは
自分が万能であり、何事も完璧にできる自信のようなものに
溢れているからでもある。
この万能感をナルシシズムと呼ぶが、
私達人間はナルシシズムを成長のプロセスにおいて
少しずつ手放していく。
そして、その手放すプロセスにおいては
失敗や挫折などが必ず付きまとうものなのだ。
子供の頃にサッカー選手になりたいと夢見たとする。
そうしてサッカーを始めて
ある程度上手くなったとする。
そこでさらに高いレベルに触れようと
強いクラブチームに所属したとすれば、
そこには自分とは一回りも二回りも
レベルが違う子供たちがゴロゴロといる。
そこで努力を重ねて何とか追いつこうとするものの、
やはり彼らのようにはなれないと
どこかでサッカー選手の夢を手放す。
このようなプロセスの中で
私達は少しずつナルシシズムを手放していくのだ。
プライドが高くて迷惑な人になってしまう理由は
本書の中でいくつか言及されていたが、
そのうちの一つがナルシシズムが手放せずに
大人になってしまったというパターンである。
エリート街道を歩んできて
大きな挫折を経験しないまま大人になったがゆえに
ナルシシズムを手放すことができず、
結果としてプライドが高くて迷惑な人になってしまう。
このような人は案外いるものである。
だが、このナルシシズムと子供に夢を重ねる人と
何の関係があるのかと思われるかもしれない。
先ほども書いたように人々はナルシシズムを
成長のプロセスの中で手放してきた。
そんな人たちに子供が生まれ、
万能感を持った子供たちと触れ合うことで
自分がかつて手放したナルシシズムを
子供に投影するようになってしまうことが
しばしば起こるのだ。
子供が生まれた時には
子供が元気に育ってくれれば何も望まないと
思っていたはずなのに、
子供が成長するにつれて○○になって欲しいと
願うようになる親はよくいるものである。
もちろん、この感覚は自然なものであり、
別に異常というわけではないが、
その程度が強くなると親は子供に
自分が挫折の末に手放したナルシシズムを重ね、
かつての自分の夢を実現させようとしてしまう。
言うまでもなく子供は自分とは別人なので
子供が同じようにそれを夢見ているかは
わからないにもかかわらず、
子供に自分の夢を重ねることは決して子供にとって
健全な事ではないだろう。
必ずしも妻や息子の友人の親がこのような理由で
子供たちを受験に向かわせようと思っているわけでは
ないと思うが、
少なくとも自分がなし得なかったことを
子供に投影している心理はどこかにあるのではないか。
以前書いた記事の中で私は息子の意向を
しっかりとヒアリングしようと結論付けたが、
仮に息子が本当に受験したいと思っていないならば
それをうまく阻止してやるのも私の大事な役目だと
思っている。
逆に彼が本当に受験したいと思っているならば、
周りの大人たちが向ける過度な期待から守ることも
私の役目なのだろう。
そして、それと同時に
子供たちが小さい頃に
「この子は天才なのではないか」と思ったことが
一度でもある親として、
私も知らぬ間に自分が手放したナルシシズムを
子供たちに押し付けていないかを
時々振り返ってみようと思う。
ちなみに自己愛が強い人のことを
「ナルシスト」と日本語では言うが、
どう考えても「ナルシシスト」の方が
正しいような気がするのは
私だけではないだろう。