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海外からの来客が運んできた思い出
昨日会社にインドからの来客があった。
現状まだ取引には至っていないが、
彼らが作る原材料を使って商品が作れないかと
検討を進めているところだったので
商品開発担当の私が案内することになった。
最初に我々の会社で作っている商品や
その加工技術について簡単に説明を行い、
その上で工場の中を見て頂く流れで進め
約2時間の滞在となったが、
とても興味深く我々の工程を見られ、
色んな質問を受けたり、サンプルを渡したりして
対応している私も非常に楽しかった。
そんな打ち合わせが終わり、最寄り駅まで
車で送っている時に
ふと昨日がDiwaliと言ってインドの方にとって
お正月に当たるような日であることを聞いた。
まさにお正月と同じようにこのDiwaliの期間は
家族で過ごすことが主なようであるが、
今回来社された彼も実は家族8人で来日されており、
昨日は彼だけが我々の会社に来てくれたらしい。
Diwaliの際に家族や知り合いに配る
インドの伝統的なお菓子をお土産にもらい、
彼は家族の元へと帰って行った。
何だかこの話を聞いて私はふとある人のことを
思い出した。
その人とは前職のマレーシア工場で
工場長をしていたRさんである。
昔社会で習ったようにマレーシアという国は
多民族国家で、
マレー系、中華系、インド系が主な3人種として
上手く共存している。
もしかすると今は状況が変わっているかもしれないが、
少なくとも私が滞在していた頃は
経済界は中華系の方が多く、
それ以外の場所においてはブミプトラ政策という
マレー系優遇政策の影響もあり
マレー系の方が占めることが多い印象であった。
なので、どちらかというとインド系の方は
マレーシアにおいては影が薄い印象であったが、
そんな中で私が働いていた現地工場では
インド系のRさんが工場長として色んな人種の
従業員を束ねていた。
Rさんは会社の中でも英語が達者で、
日本に行ったこともないのに日本語を
多少話すこともあり、
当時工場で新商品の立ち上げなどで
出張に来る日本人スタッフからも
非常に頼りにされていた。
そんなRさんはお酒を飲むのが好きで
私を含めた現地駐在スタッフはRさんと
しばしば一緒にビールを飲みに行った。
Rさんは聞けば愛想よく答えてはくれるものの
どちらかというと無口なタイプ。
だが、Rさんと一緒にビールを飲みながら
あーでもないこーでもないと
話をするのが何とも言えず楽しかった。
私が20代後半の頃にRさんは40代後半だったのだが
Rさんにはお子さんがおらず
奥さんとお二人で住まれているという。
奥さんのことを聞いてもRさんはあまり多くのことを
語らないので、
何となくRさんに家族の話題をすることは
あまり望ましくないのかと思っていた。
ところがある日、会社でRさんが何やら
招待状のようなものを私達に渡してきた。
それはインド系の方にとって大切な日である
ディパバリの日にホームパーティを開くので
ぜひ遊びに来てほしいというものであった。
当時私にはRさん以外に話をするインド系の方は
いなかったので、
このディパバリというものが一体何なのかは
よくわからなかったのだが、
マレーシアではマレー系の一大祝日であるハリラヤ、
中華系の一大祝日である旧正月など
色んな祝日があったので、その一つとして
ディパバリもその一つのようなものだろうと解釈し
私たちは喜んでその誘いに乗ることにした。
そうして迎えた当日、私は他の日本人スタッフと共に
Rさんの家に向かった。
到着してみると、いつもとは違って
民族衣装のような服を着たRさんが出迎えてくれ、
家の庭に設置されたテーブルに案内された。
(どういうわけかマレーシアのホームパーティは
屋外ですることが多い)
席にはオレンジの菊のような花が沢山並べられており、
そのスキマを埋めるように多くの民族菓子が
置かれていた。
その見た目はマレー系のお菓子に似ているが
いざ食べてみるとマレー系のモノとは
少し異なる味がする不思議なお菓子である。
ほどなくするとRさんの奥さんが登場され
私たちは挨拶をした。
Rさんと違って奥さんは英語を話されない方なので
共通の言語であるマレーシア語で
簡単な会話をしながら、
奥さんが勧めるままにインド系の料理を私は食べた。
いつも無口なRさんではあるが、
この日はいつもにも増して静かな様子。
約1時間ほど滞在して、私達は帰ることにした。
するとRさんが帰り際にこんなことを
私たちに言った。
「今日は本当に来てくれてありがとう。
妻もとても喜んでくれたし、こうして私の家族を
紹介することが出来てとても嬉しかった」
日ごろあまりこのような言葉を発しないRさんの口から
出てきたので私は驚いたが、
私もとても楽しかったとその時答えた。
そんなことがあってからしばらくして、
Rさんは病気の療養のため、会社を休むことが増えた。
最初は時折検査のため休むだけだったので
私たちもあまり心配はしていなかったのだが、
ある時からRさんはぱったりと会社に来なくなり、
風のうわさで体調が良くないらしいと聞いた。
Rさんのことだからきっとしばらくしたら
いつもの店で一人でビールを飲みに行くに違いない。
そんな風に思っていたのだが、
結局私が帰任する頃になっても
Rさんは復職しなかった。
そうして日本に帰任して数か月経った頃、
私はRさんの訃報を聞いた。
もうRさんとあの場所でビールを飲みながら
話すことができないのかと思うと
とても寂しい気持ちになるとともに、
かつて訪問したあの家に奥さんが一人で
Rさんの死を悲しんでいるのかと思うと
何だか胸が苦しいような気持ちになった。
そんな思い出から10年少し経ってから
偶然インドの方を案内し、
その日がDiwaliだと聞いた。
もしやと思い調べてみると
本土でDiwaliというこの日こそ、
マレーシアでRさんに家に招かれた
ディパバリと同じだったのである。
Rさんの奥さんは今日もあの家で
オレンジの花を並べながら
伝統的なお菓子を作り、
それをRさんのお墓にお供えするのかもしれない。
何だかとても懐かしい気持ちと共に
かつて色んな思い出を紡いだマレーシアの人たちに
急に会いたくなった。
人はどこでつながっているかわからないものである。
ちなみに昨日インドの方が持ってきてくれた
お菓子をオフィスで配ろうとすると、
見事なまでに皆に「要らない」と言われてしまった。
食べてみると、それほど甘くもなく
その割に何の香りかはわからない謎の香りが
口いっぱいに広がって、
なんとも味の形容ができない代物であった。
箱を見る限りかなり高級な店のものであると
推測されるが、
どうやら日本人と味覚はかなり異なるらしい。
とは言え、せっかく頂いたものを
捨てるわけにもいかないので、
しばらくはオフィスで一人食べていこうと思う。