「批判」と「否定」のちがいについて。(もしくは、「批評」とは何か?)
昨日のブログでは、なにかのことを
複数人で話し合うときには、場合によっては
批判することも大切だとぼくは思っている、
というのを申しあげました。でもね、やっぱり、
そう言うぼく自身だっても、
批判されるのはつらいし、かつ、こわいから。
「批判」は大切なのだとしても、
「否定」はいけない、というのは
よく言われていることだと思うし、
ぼくもそう思っている。
つまり、たとえば、ある考えを
より良くするためには、ときには
「批判」をすることもあれども、でも、
その人の人格までをも「否定」してはならない。
そう考えるとするならば、でも、
「批判」と「否定」のちがいとは何か?
ってえのはぼく自身、よくわかっていない。
こんなときにはさ、これらの語句を辞書で調べると、、
ここで記されておりましたような、
【批判】には【否定】的な意味合いもある、
というのも感じられるからこそ、この
ふたつの語句のちがいがわかりにくいやもしらない。
【批判】とは、『広辞苑』では
「物事の真偽や善悪を批評し判断する」つまり、
「批評し判断する」を略して【批判】なのだとすれば、この
【批評】の語句も紐解いてみたい〜。
‥‥とのことですので、さらにまた
【批判】の欄でも登場し、この
【批評】でも記されております
【評価】ということばについても見てみると、、
つまり、【批評】における
「物事の善悪・美醜・是非などについて評価し論ずる」での
【評価】とは、「2」の説明の
「価値を判じ定める」という意味なのだとぞんじますが、
でも、この場合では
「特に、高く価値を定める」という場合もあるから、
またもやちょっとややこしい。
【評価】と言うと、
ぼくの感覚としてはね、たとえば、
先生から生徒へ、とか
上司から部下へ、というような、
上の立場から下の立場へと下される、的な、悪く言えば
「上から目線」のような雰囲気も感じるけれども。
でも、つまり、
【批判】も【批評】も【評価】も
「判じ定めること」であり、
【否定】は「認めないこと」である、
って、定義ができそう。
このことを考えながら思い出したのはね、
平成21年(2009年)に休刊なされました
雑誌『広告批評』の休刊間際ごろの号にて、
『広告批評』主宰の天野祐吉さんと
糸井重里さんとの対談の中では、
『広告批評』という雑誌タイトルでも使われている
【批評】ということばについて、糸井さんが
「批評は、よく読むという行為」
と言われていたのがとっても印象的で、
今も時折、このことを思い出しては考えるんですが。
(『広告批評』No.334/2009.2、72頁参照です。)
つまりはさ、
「よく読む」もしくは
「よく見る」や「よく聞く」などなどをすることによって、
その対象について
「よく考えること」が、いわゆる
【批評】なのではないかなあ。
って、ぼくはあらためて解釈したい。
ともすれば、
【批判】や【批評】という行為は、
「打ち消す」や「認めない」のような
【否定】とは、やっぱり
性質がちがうとは思うのよね。
ならば、ぼくはさ、
【否定】とはまたちがった
【批判】及び【批評】ができるようになれたい。
よく読めるようであれたい!!!
令和6年1月24日