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「批判」と「否定」のちがいについて。(もしくは、「批評」とは何か?)

昨日のブログでは、なにかのことを
複数人で話し合うときには、場合によっては
批判することも大切だとぼくは思っている、
というのを申しあげました。でもね、やっぱり、
そう言うぼく自身だっても、
批判されるのはつらいし、かつ、こわいから。

「批判」は大切なのだとしても、
「否定」はいけない、というのは
よく言われていることだと思うし、
ぼくもそう思っている。
つまり、たとえば、ある考えを
より良くするためには、ときには
「批判」をすることもあれども、でも、
その人の人格までをも「否定」してはならない。

そう考えるとするならば、でも、
「批判」と「否定」のちがいとは何か?
ってえのはぼく自身、よくわかっていない。
こんなときにはさ、これらの語句を辞書で調べると、、

ひ-はん【批判】
1. 物事の真偽や善悪を批評し判断すること。ひばん。
2. 人物・行為・判断・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性などを評価すること。否定的内容のものをいう場合が多い。哲学では、特に認識能力の吟味を意味することがある。

広辞苑第七版より

ひ-てい【否定】
1. そうでないと打ち消すこと。(価値などを)認めないこと。
(2. 以降、後略。)

広辞苑第七版より

ここで記されておりましたような、
【批判】には【否定】的な意味合いもある、
というのも感じられるからこそ、この
ふたつの語句のちがいがわかりにくいやもしらない。
【批判】とは、『広辞苑』では
「物事の真偽や善悪を批評し判断する」つまり、
「批評し判断する」を略して【批判】なのだとすれば、この
【批評】の語句も紐解いてみたい〜。

ひ-ひょう【批評】
物事の善悪・美醜・是非などについて評価し論ずること。

広辞苑第七版より

‥‥とのことですので、さらにまた
【批判】の欄でも登場し、この
【批評】でも記されております
【評価】ということばについても見てみると、、

ひょう-か【評価】
1. 品物などの価格を定めること。また評定した価格。
2. 善悪・美醜・優劣などの価値を判じ定めること。特に、高く価値を定めること。

広辞苑第七版より

つまり、【批評】における
「物事の善悪・美醜・是非などについて評価し論ずる」での
【評価】とは、「2」の説明の
「価値を判じ定める」という意味なのだとぞんじますが、
でも、この場合では
「特に、高く価値を定める」という場合もあるから、
またもやちょっとややこしい。

【評価】と言うと、
ぼくの感覚としてはね、たとえば、
先生から生徒へ、とか
上司から部下へ、というような、
上の立場から下の立場へと下される、的な、悪く言えば
「上から目線」のような雰囲気も感じるけれども。
でも、つまり、
【批判】も【批評】も【評価】も
「判じ定めること」であり、
【否定】は「認めないこと」である、
って、定義ができそう。

このことを考えながら思い出したのはね、
平成21年(2009年)に休刊なされました
雑誌『広告批評』の休刊間際ごろの号にて、
『広告批評』主宰の天野祐吉さんと
糸井重里さんとの対談の中では、
『広告批評』という雑誌タイトルでも使われている
【批評】ということばについて、糸井さんが
「批評は、よく読むという行為」
と言われていたのがとっても印象的で、
今も時折、このことを思い出しては考えるんですが。
(『広告批評』No.334/2009.2、72頁参照です。)

つまりはさ、
「よく読む」もしくは
「よく見る」や「よく聞く」などなどをすることによって、
その対象について
「よく考えること」が、いわゆる
【批評】なのではないかなあ。
って、ぼくはあらためて解釈したい。

ともすれば、
【批判】や【批評】という行為は、
「打ち消す」や「認めない」のような
【否定】とは、やっぱり
性質がちがうとは思うのよね。
ならば、ぼくはさ、
【否定】とはまたちがった
【批判】及び【批評】ができるようになれたい。

よく読めるようであれたい!!!

令和6年1月24日