呪われし毒子 解毒へ向けて。
数年前に 人生で初めての入院を経験した私。
絶対 安静が私の入院生活だった。
この入院をきっかけに私は自分がHSPであることを知るのだけど、
実はHSPに辿り着くのと同時に出会っていたものがあり、そちらの方がよりしっくりと入ってきた言葉があった。
入院して迎えた朝のこと。
『寝付きは良いけど、眠りが浅いからずっと隣の人のお布団の摩擦音とか咳とか気になるなぁ。お菓子の袋のあの音もやめてほしいなぁ。相部屋だし仕方ないけどさ。』
気になって 気になって、狂い出しそうな程のストレスでした。食事の時、食器を置く音の強さにストレスを感じたり。とにかく、音がダメなんです。
だけど、なにか家にいる時とは違う。
体感として、確信がありました。
『音とかすごく気になるけど、なんだか心地よい???
いつも確かに感じている【生き辛い私】が少し物足りない???』
そして、すぐにスマホで調べたのです。
出てきたのは
【アダルトチルドレン】という文字。
『わかる。皆こんな辛い気持ちいつもどうやって処理してるのかと思っていたけど、違ったんだ!』
そこから 行き着いた毒親という衝撃の言葉!私は機能不全家族で育ったのです。
成人しても私は実家にいました。
特に出て行く理由もなかったし、出たい理由もなかった。と、思っていました。
入院して、初めて母と離れる生活をすることで感じた違和感は、なんだか分からないけど 解放感のようなものでした。
相部屋での 生活音による狂いそうなストレスよりも、
母が同じ空間にいないこの入院がとても居心地が良いと感じたのです。
一人でいるのが苦痛にならないタイプなのも合っていたのかもしれません。
ずっとベッドの上で、ゲームをしたり、絵を描いたり。その時の感情をノートに書くことも始めました。
これが楽しかった。
一度 認識してしまった違和感はもう反応せずにはいられません。
ここから、私と母の関係は悪化していくことになりますが、そして 今も継続していますが私が私の人生を生きたいと思えるようになった切っ掛けです。
毒親の呪縛は 私の意識するところ、しないところ、しっかりと散りばめられていて、ふとした時に身動きがとれない程に強く締め付けてきます。
気付けて良かったけれど、とにかく苦しい。心地良くしようとすることすら苦しい。
核になるものがないんです。
いつだって 曖昧な理想しかない。
毒親育ちは しんどいです。
自己肯定感が低いから。
自分を生きたいと決意しても、その決意した自分すら信じてあげられなくなります。
だけど、自分を知ることは楽しい。
心の解毒も兼ねて、自分と向き合うために
これから少しずつ書き残していこうかなと思います。
最後まで読んで下さったかたに、心から感謝いたします。ありがとう。