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体幹と言う表現とそれをきっかけとした現在の私なりの展開
体幹と言う表現は身体を木に見立ててのものだと私は理解している。
その上で、そうである且つ一個人つまり、一本の木のみと言う前提をここでは敷きます。
そうすると、木の範囲だけで言うと最底辺を担う根となる体根の強度含めて機能が必須となる。
その上に位置するのが幹となる体幹になるわけだが、幹は一定の長さがあるのでそれを一括りにして機能分類しないと言うのは極めて精度が低いと言わざるを得ない。
幹と言
無型運動構造と心技体及び運動&栄養&回復の3大要素の密接な連動についての展開
己の心技体を十分に整えられていて且つ鍛錬されていれば、各目的に対して適切な且つ適度な状況設定さえしておけば、外からの余計な口出しや固有の思考や意識を張り巡らせる必要はない。
そして、この状況と言うのは、身体内状況と身体外状況の2つに大別できる。
ここで混同してはならないのは、身体内状態と身体内状況は別物であり、所謂似て非なる双方であると言える。
この①無型運動構造と言うのは余計な思考や意識に
【全体を厳密且つ総合して捉えていると言う前提ありきのパーソナライズの重要性】
何かしらの理由で生まれた大きなマイナスを何とかして補える大きなプラスがあったとしても、総合点で観るとそれだけでは0点だと言える。
要は片方だけを完璧に仕上げても最高は50点。
だからこそ、有効なプラスを徹底して積み重ねる事と不要なマイナスを極限まで省く事を両立させる事は必須である。
上記の所以も含めて、やはりやる事とやってはならない事又はやらない事は同程度重要視するべきであるのは如実。
だ
相対的且つ部分的トレードオフ
刃牙という漫画の世界観では、我々人間は四足歩行動物と比較して二足歩行に甘んじているという表現がされている。
この事は観方によってはその様に解釈できる事なので、一主張としては私も受け入れられる。
しかし、より全体を観て中立な立場から言うと、それによって得られる利と失う損が混在しているのが事実。
要は相対的且つ部分的トレードオフの理解が重要。
だから、双方のAと言う範囲の構造及び能力及び需要が
多様性の容認と何でもありを許容する事は別物
色んな人がいるとか、考え方の違いがあるだけと言う表現を都合よく多様性を許容するべきと言うニュアンスを含ませる事が時として的外れになる事もある。
そもそも、多様性を重視する事と何でもありはイコールではない。
高い成果を求められる環境であるのなら尚更の事。
それが確実に担保される中での違いは容認すべきですが、明らかに粗悪且つ幼稚な考え方等の何かしらを容認してはならない事は多々存在する。
だから
【支持と動きの関係性とそれを遂行する許容量及び他の要素及び要因との連携】
人間は重力の影響を露骨に受ける地上に対して脊柱と骨盤及び下肢を大部分垂直方向に向けている姿勢を起点とした上で殆どの運動及び移動が遂行されている。
それは海中生物や他の地上生物と比較した時に明確な差異となる点。
つまり、他の動物と比べてより支持しながら動く事が求められる動物。
それが意味する事は身体全体としての支持能力の重要度が極めて高いと言える。
しかし、各構造の仕事の許容量は有限であり、